第4話「再会は春風と共に④」

(まさか、ひよちゃんの担任になるなんてな……)


 学校からの帰りのバスの中で、すっかり暗くなった町の景色を見ながら、そんなことを考える。

 自分はこの学校では一年目だが、以前勤めていた系列校の経歴を踏まえて、担任を任されることになった。そして、渡された担当生徒の一覧の中に「静井ひよ」の名前を見つけたのだ。


(あの子も、もう十六歳なんだよな。なら高校生として、うちの学校に入学していても何もおかしくはない)


 彼女は特待生だった。かつての自分と同じだ。どうやら、彼女の成績はそれなりに良いらしい。彼女の家の経済事情は厳しかったはずだ。特待生でもなければ、私立である二見高校に入学するのは難しかっただろう。


(あんなに小さかったひよちゃんが……)


 自分の中にある彼女の記憶は、九歳で止まっている。彼女のことは赤ん坊の時から知っていて、それこそ、おしめを替えたことだってある。そんな彼女がもう高校生。自分は今年で二十四歳になる。

 不意に幼い頃の彼女の顔が脳裏をよぎる。


『かなたお兄ちゃんとおなじ学校にいけたらよかったのに』


「まさか叶っちまうなんてな……」

 自分と運転手以外、誰も居ないバスの中で俺は小さく息を吐いた。




「あれは……?」


 かつんかつんと音を立てるアパートの外階段を踏みしめ、薄汚れた玄関を開けようとした俺の目に飛び込んできたのは、部屋の前で座り込んだ静井ひよだった。


「ひよちゃん……?」


 俺が声をかけると、彼女ははっとした表情で顔を上げる。そして、俺を見つけると突然、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「どうしたんだ、何かあったのか」


 彼女の突然降り出した大雨みたいな泣き顔は子どもの時のまま。思わず、彼女が小さな子どもだったときと同じような調子で、俺はしゃがみ込んだ彼女の肩に手をかけた。


「………………」


 彼女はただ首を振り、涙を手で拭うばかりで、何も話そうとはしない。こういうときは、無理矢理に聞き出しても逆効果だ。俺はしゃくり上げる彼女の背中をさすりながら、彼女が落ち着くのを待った。




 どれくらいの時間が過ぎただろう。彼女はようやく泣きやみ、少し落ち着きを取り戻したようだ。


「すいませんでした……」

「いや、いいよ」


 ひよちゃんの泣き顔は見慣れてると言いかけたが、かわいそうかと思い、何も言わないことにした。


「それより、何があったんだ? どうして、こんな夜に家の中にも入らず、外に居た?」


 季節は春とはいえ、夜はまだ少し冷える。ワンピースにカーディガンを羽織っただけの薄着では少し辛い気温だ。


「えっと……なんて説明したらいいのか……」


 彼女はしばらく逡巡していたようだったが、なんとか覚悟を決めたのか、ようやくその場から立ち上がる。


「たぶん、うちを見てもらった方が早いと思います……」


 そう言いながら、彼女はうちと同じ古ぼけたドアノブに手をかけながら言った。


「驚かないでくださいね……」


 そう前置きして、彼女は扉を開けた。

 俺は部屋の中をのぞき込む。


「は?」


 俺は思わず、小さな声を漏らした。これは……?


「なんで、部屋の中に何もないんだ?」


 部屋の中はすっからかんになっていた。まるで、引っ越しをして、開け放たれた後の部屋のように部屋の中には何も残っていない。唯一、二見高校の制服だけが、ほこりよけのビニールをかぶせられたまま、窓際に吊り下げられていたのが、余計に異様さを醸し出していた。

 ひよちゃんは、また泣きそうな顔になりながら、言った。


「お母さんが……私を置いて逃げちゃったみたいなんです……」

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