第3話「再会は春風と共に③」
「お久しぶりです、如月先生」
俺はそう言いながら深々と頭を下げる。
「ああ、久しぶり。よく来てくれたな」
如月先生は深みのある渋い声でそう言って、快活に笑った。
如月先生は俺の恩師だ。高校の三年間、俺の担任をしてくれていた。相貌は、まもなく還暦に達しようかという歳の人間とは思えないほど若々しい。今は穏やかな笑みを浮かべているが、生徒を叱るときに発する怒気は並大抵のものではなく、どんな生徒も恐れていた。この人だけは敵に回してはいけないと、子供ながらに感じたものだ。
「校長へ就任されたんですよね」
「ああ。なかなかに荷が重いよ」
「いやあ、先生以上の適任者はそうそう居ませんよ」
「いやいや」
如月先生はこの春から私立二見高校の校長に就任した。去年、副校長に就任したばかりだったのだが、前校長が体調を崩し、急遽退職することになり、その後任に着くことになったのだ。
「まあ、私に誇れる点があるとしたら、君のようにすぐに助けに駆けつけてくれる元生徒を持てたということぐらいだな」
「そろそろ、地元に帰ろうかと思っていた時期だったので。ちょうどよかったです」
俺は今年度、国語教師として母校である二見高校に帰ってきた。昨年度までは、東京にある系列校で働いていたのだが、如月先生からの誘いを受けて、母校で教鞭をとることになったのだ。
「定年退職者に加えて、予定外の産休、自己都合退職者が現れてな。国語教師が不足していたんだ。講師ならすぐに集められるが、教諭となるとなかなかな。だから、学生時代からよく知っている君に頼みたいと思ったんだ。系列校での評判も聞いているし、君なら間違いだろうと思ってな」
「恐縮です」
先生は話を続ける。
「ここには実家から通うのかね?」
「そうですね、そのつもりです」
「確か、君の家は母君一人だったかな。では、二人暮らしになるのか?」
俺の父は、俺が物心がつく前に亡くなっていて、子供の頃から俺は母と二人暮らしだった。地元に帰ることになったので、実家で母と暮らそうと思っていたのだが――
「母は世界一周の旅に出てます……」
「世界一周?」
「懸賞で当たったんですよ」
母はその企画に応募し、見事に当選した。つい、先日、母は豪華客船に乗り、日本を旅立っていった。
「ふむ……そんな話、現実にあるものなのだな」
「そうですよね。私も最初信じられませんでした」
俺は苦笑しながら話す。
まるでマンガみたいな話だが、事実なのだから仕方がない。
「だから、今、私は実家で一人暮らしですね。まあ、狭い部屋なのでちょうどよかったですけど」
「ふむ……そうなのか」
先生は整えられた髭をなでつけながら言った。
「まあ、何にせよ、君ならうまくやってくれるだろう。ここは母校だ。よく知っている教員も多いだろう。解らないことがあれば、彼らを頼るといい。もちろん、私もサポートするよ」
「ありがとうございます」
「それに、君も知っていると思うが、この学校には彼女も居るしね」
そう言って、先生は意味ありげに目を細めて言った。
「彼女?」
「ああ、君のクラスメイトだった。 千瀬歩美くんだよ」
「あ、えっと……久しぶり、かな?」
それは、新任教師を集めたミーティングが終わり、俺が職員室に足を踏み入れたときのこと。俺に声をかけてきた一人の女性教員。
「歩美…… 久しぶりだな」
長い髪を後ろで結び、グレーのパンツスーツに身を包んだ細身の女性。身体つきはよく引き締まっている。そんな身体の中で自然と目を引くのは胸の大きさだ。スーツの上からでも、その大きさは見て取れる。
千瀬歩美。俺の高校時代のクラスメイトだ。俺が委員長を務めていたときに、彼女は副委員長をしていた。
そして――
「何年ぶりになるのかな?」
「最後に会ったのが、確か大学二年のときだから……」
「もう四年以上か……そんなになるんだ……」
彼女は過ぎ去った時間を噛み締めているかのような表情をしている。
彼女が母校で教師として働いていることは知っていた。だから、当然、再会することは覚悟していた。だが、実際に顔を合わせるとやはりぎこちなさが出てしまう。
そのとき、職員室に居た別の教員が歩美に向かって声をかける。
「千瀬先生、そろそろ」
「あ、はい。すぐに」
そして、彼女は俺に向き直って言った。
「……じゃあ、私、教科の打ち合わせがあるから、また」
「ああ。また、よろしくな……」
千瀬歩美は――俺の元彼女でもあった。
彼女は足早に去って行った。おそらく、どんな顔をして俺と話せばいいのか解らないのだろう。それはこちらも同じだった。一度、交際はしたものの、あまり円満とは言えない別れ方をした女性だ。そんな相手にどういった態度で接するべきか迷ってしまっている。一人の同僚として節度を持った距離感で接するのか、それとも、かつてのように親しく付き合うのか。
とはいえ、これから同僚として同じ職場で働いていくことになる。顔を合わせる機会も少なくないだろう。ずっと、今のようなぎこちない態度でいるわけにもいかない。お互い、いい大人なのだから。
(一度、きちんと話をした方がいいのだろうか)
俺は彼女の背中を見送りながら、今後の彼女との関係に思いを馳せた。
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