第29話「あのときの想いをもう一度③」
「なんで、ひよが学校が楽しいって思ったか解らないの?」
長い回想から俺は今目の前の現実に立ち返る。
ひよちゃんは虚ろな瞳で俺を見ていた。そこに幼い頃の彼女の姿が重なった。
「なんでって……」
俺は思わずたじろぐ。
俺だって馬鹿じゃない。それくらいのことは理解しているつもりだ。
だけど、俺は何も言えない。いや、何も言うわけにはいかなかった。その理由を口にしてしまえば、俺の中の何かが崩れ去ってしまう。そんな予感が確かにあったからだ。
黙り込んでしまった俺に彼女は言う。
「教えてあげよっか」
そう言いながら、彼女は一歩ずつ俺への距離を詰めてくる。彼女の一歩こちらに近寄るたびに、俺の心拍数は上がっていく。それは一つの予感だったのかもしれない。
そして、ひよちゃんは俺の目の前に立った。顔をそむけることも、目を逸らすことも許されない距離。彼女の長い睫毛がはっきりと解った。
「ひよが――私が楽しいって思えたのは、奏多さんが居たから」
そう言って、彼女はふっと表情を和らげて、優しく笑った。
「奏多さんが居たからです」
そのまぶしい笑顔に俺は目がくらみそうになる。
「奏多さんが居たから、私は生きています。息をしています。ここ居ます。奏多さんが居なかったら私はきっとここには居ません」
「…………ひよちゃん」
「私にとって奏多さんは世界で一番大好きで素敵な人です」
そして、彼女はいたずらっぽく笑った。
「奏多さんにとって、私は何ですか?」
俺にとっての彼女とは一体何か?
それは――
六年ぶり、正確には五年ぶりの再会。俺は彼女の成長を見て、本当に嬉しかった。
そして、心のどこかで少しだけ寂しい気持ちがあった。
親がなくても子は育つ、なんて言葉を思い出した。俺が居なくても彼女は立派に育っていた。
だけど、路頭に迷った彼女を見て、俺は迷わず手を差し出した。それはもちろん正しいことだ。あの時の彼女を見捨てるなんて選択肢は絶対にありえない。だが――
(また彼女を守れる立場になったことを喜んでいる自分は居なかったか?)
もちろん、結婚なんて頓狂な事態になっていることには純粋な怒りを覚えた。だが、彼女が俺を頼り、慕ってくれる。そんな関係に戻れたことに歓迎していなかったと言えるだろうか。
本当は彼女が俺に依存していたんじゃない。
俺が彼女を守ることに依存していたんだ。
俺にとって、ひよちゃんは誰よりも俺の世界の中心に居る存在だった。
だからこそ、だからこそ、怖かった。
彼女を、彼女のすべてを受け入れてしまいそうになる自分が。
俺はひよちゃんから距離をとることにした。乾に言われたことはあくまでもきっかけに過ぎない。俺は彼女という存在に背中を向けて逃げ出したのだ。
だけど、もうここまで来て逃げるわけにはいかない。
中途半端なごまかしは許されない。誰よりも自分の中の感情がそう叫んでいた。
俺は――
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