第21話「二人への試練」

「これ、先生とひよですよね?」


 それは翌日の放課後のこと。

 俺の前に立っているのは、俺の受け持ちの生徒、乾琴子だった。彼女が神妙な面持ちで見せているのは、スマートフォン。そして、そこには一枚の写真があった。

 それはまさに昨日、ひよちゃんが俺に倒れ掛かってしまった瞬間の画像だった。

 あのとき、写真をとったのは乾だったのだ。


「……面談室で話そう」


 俺がそういうと、彼女はこくりと頷き、素直に俺についてきた。




 面談室は職員室のすぐ隣にある部屋だ。中には間仕切りが立てられていて、その合間合間に机と椅子が置かれている。壁があるわけではないので、話は筒抜けになってしまうが、幸いなことに今は誰も居ない。他に誰かが入ってくればすぐに解る位置取りで話せば問題ないだろう。


「この写真をどこで?」


 解り切った質問だったが、まずはそこから始めることにした。

 乾は眉一つ動かさないで言った。


「昨日、ひよの家だったはずの隣の部屋で。あそこは先生の家だったんですね。昔、『奏多さんは隣の部屋だった』と言っていたのを聞いたことがあります」


 乾とひよちゃんの関係は長い。当然、そういう話をしたこともあっただろう。


「……なぜ、昨日、あそこに居た?」

「ひよの家に遊びに行こうと思って」

「そんないきなり家にくるものなのか?」

「ひよは携帯を持っていないでしょう? だから、連絡の取りようがなくて」


 そう言って、乾はわずかに口の端を緩めた。


「………………」


 正直、納得できるかと言えば微妙だ。携帯を持っていないことと、いきなり家に行くことは繋がっているようで繋がっていない。それならそれで、あらかじめ学校で約束すればいいだけのはずだ。


「先生、でも、話の本質はそこではないでしょう?」


 それはその通りだった。いかなる理由にせよ、昨日、俺とひよちゃんが二人きりで過ごしていた写真を撮られてしまったという事実には変わりがない。


「もう一度、写真をきちんと見せてくれないか?」

「ええ、どうぞ。きちんと、バックアップは取りましたから」


 そう言って、彼女は俺を牽制する。もとより、無理矢理、データを消すようなことをするつもりはなかったが。

 彼女の手からスマートフォンを受け取り、画像を改めて確認する。

 そこには俺とひよちゃんの顔がばっちり映っていた。他の似た誰かだと誤魔化すのは厳しいだろう。仮にこれが加工された何かだと言い訳するとしても、実際に家に来られれば、すべて露呈する。このように疑惑を起こさせる証拠があるだけで、問題なのだ。

 俺は乾に向かって言う。


「君はおそらく勘違いをしている」

「勘違いですか」


 乾はすまし顔を崩さない。


「俺とひよちゃんは決して怪しい関係なんかではない」

「その写真は?」

「それは――」


 ひよちゃんが俺の目に入ったゴミを取ろうとして、結果的にこういう体勢になってしまったのだということを説明する。

 乾はその説明を聞いて、顔をしかめた。


「そんな簡単に――」


 彼女の言葉が聞き取れたのはそこまでだった。そのあとも、何かぼそりと言葉を漏らしていたが、その内容までは聞き取れなかった。


「おっしゃりたいことは解りました。しかし、それでは説明になっていないこともおわかりですよね」


 乾は再び表情を消して、喋り出す。


「それは先生とひよがこのような体勢になってしまった説明にはなっていても、なぜ二人が密室に居たのか、という説明にはなっていませんよ」


 それはその通りだった。この体勢になったことは事故なのだと納得してもらえたとしても、そもそも、なぜ二人で居たのかということは説明できない。写真の背後には生活感のある部屋が映りこんでしまっている。少なくとも、教師と生徒が二人きりで居るには適切とは言い難い状況だ。

 いったい、どう説明すれば納得してもらえるのか。俺はなんとか言い訳の言葉を見つけようとする。だが、俺の機先を制するように彼女は言った。


「ひよが隣人である自分の家に遊びに来ていただけ、というのは納得できないですよ。だって、ひよの部屋には明らかに生活感がありません」

「………………」


 そうだ。ネックはそこなのだ。


「誤解なきように申し添えますが、私は別に人の家を覗く趣味があるわけではありません。ひよの家を訪れたが反応がない。人が住んでいる気配がなかったのです。そうなれば、ひよは今、どこに住んでいるのか。そう考えていたときに、お二人の声が聞こえました。それで、思わず写真を」


 重ね重ね間が悪いことだった。


「もし、遊びに来ていただけなら、ひよの家が空っぽなんてことはないですよね? 今から行ってみましょうか? それではっきりするはずです」


 実際、ひよちゃんの部屋に行っても家具一つないし、そもそも、鍵はもう返却してしまっているので中に入ることすらできない。


「わかったよ……全部、説明する」


 俺は事情を彼女につまびらかにすることにした。

 ひよちゃんの母親が蒸発したこと。家がなくなったこと。彼女には頼る身寄りが自分以外にないこと。仕方なく、俺が家に泊めていたこと。

 婚姻のことは伏せた。それを語っても話がややこしくなるだけだ。まず、こんなバカげた話、信じることも難しいだろうし。


「そんなことが……」


 乾は一応は俺の話の内容は信じてくれたようだ。

 だが、彼女は事情を話しただけで許すつもりはないようだった。


「で、先生はこれからどうなさるおつもりなのですか?」

「どうって……」

「このまま、ずっとひよと二人で暮らすつもりだったのですか?」

「それは……」


 俺にとって彼女はあくまで「妹」だ。だが、世間の人がそう簡単に納得してくれるはずがないということも解っていた。


「教師と生徒が同じ屋根の下。それが社会的に許されるとでも?」

「乾の言っていることはもっともだ……」


 俺はいつの間にか麻痺していたのかもしれない。最初の内は早く彼女を自立させてやらないと、などと思いながら、最近は彼女が家に居る生活に慣れ切ってしまっていた。

 ――安らぎを覚えてしまっていた。

 これでは彼女に偉そうに言えない。俺は教師失格だ。


「この状態は早急に解決しなくては――」

「具体的には? どうするんですか?」


 乾はまるで政治家に詰め寄るマスコミのような口調で問う。


「それは……」


 一応、考えはあった。だが、何かと理由をつけて、俺はその考えを実行せずに今日まで来てしまった。だが、これはいい機会なのかもしれない。

 すべてを清算するための――

 俺は乾に向かって、自分の考えを語った。

 乾は何度か眉をしかめたが、ほとんど何も言わず、最後まで俺の話を聞いてくれた。


「それにはどれくらいの時間が?」

「二週間……いや、一週間だ……」

「わかりました。私も鬼ではありません。先生がその約束を守るなら、この写真は公表しません」


 意外にも物分かりの良いことを言って、乾は引き下がった。

 俺の考えが顔に出ていたのだろう。乾は俺を見て言った。


「私は別に先生を貶めたくてこんなことをしているわけじゃありません。ただ――」

「ただ?」


 乾はなぜか少し悲しそうな顔して呟いた。


「ひよを、守りたくて」

「……ひよちゃんを?」

「ともかく、この話は終わりです」


 乾は最初のような固い表情になって、ぴしゃりと言い切る。


「この写真をどうするかは、先生次第です。では、失礼します」


 そう言って、彼女は折り目正しく頭を下げて、面談室を出て行った。

 一人残された俺は呟く。


「——けりをつけないとな……」


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