紫玄。


 宮殿の内部はまるで現実味がありませんでした。今着せられている湖上の都では浮いてしまっていた華美な衣装も、この空間では馴染むようでした。


 塔の主のしもべの案内に続いて奧へ奧へと行くほどに、きらびやかになっていきます。単なる廊下の壁に巨大な宝玉が煌めいていました。


 不思議と悪趣味や下品な感じはしません、とても優雅で幻想的でした。案内人がノックします。何やら遣り取りがあり、絢爛豪華な巨大な観音扉が開きました。

 異様に広い室内で長椅子に腰掛けた少年が待っていました。華奢な肢体を儚く美しい衣装に包んでいます。幻想的な装束が妙にさまになっていました。少年はわたしの姿を目にした途端に華咲くように微笑みました。淡雪のようにとけていきそうな優しい表情でした。少年はととと、と少しだけ駆け寄り、まっすぐ、わたしに抱き着いてきました。なぜかわたしの腰をひしと抱きしめ、泣きじゃくる少年を見下ろしました。綺麗な面差しでした。人形のようと褒めるのも何か違う、人ではないような神憑った美貌でした。どうして、この人は泣いているのでしょうか。わたしはとりあえず抱き締め、頭を撫でてあげました。教会の兄弟姉妹にそうしたように。兄弟姉妹たちは互いに殺しあい、立派になって旅だっていきました。アリンは14人、レアナは8人の兄弟姉妹と一つになり、彼女たちは教会内部で別の任務に就いていたと思います。今は何を感じ、考えて生きているでしょうか。

 わたしは見知らぬ少年に抱き着かれています。それにしても綺麗な顔ですね。涙まで透きとおり月光の結露のようです。わたしは指で優しく拭ってあげました。

わたしの何が琴線に触れたのか。アルエリヤさまに懐かれました。少年はわたしを対等に見ていました。若干尊敬されていた節すらあります。

 とても奇妙なことだと、思います。

 地上の民は主人達の道具です。生体人形は愛玩人形の一種であり、闘う見世物です。旧世界教には別の見解があり、最も正しいものですが、一般的に湖上の都ではそういう見解です。

 そもそもアルエリヤさまの立場では、自分が世界の中心だと思っていても不思議ではないのですが。アルエリヤさまに叩頭する主人達の中にも、そういうことを根拠なく思っている方はいます。それどころか、地上の民、情けなくも教会内部にさえも思い上がった人物はいました。荒廃した世界。『最後の聖戦』が終わるまで正統な道理は戻らないのでしょう。嘆かわしい。

 アルエリヤさまは主人達を憚っていました。心のどこかでは怯えてもいました。なんというか、自分に自信を持てないでいるようでした。全くないわけではないのです。ただ、人間の根幹に関わる部分の根本的な自信というものが弱いようでした。


 アルエリヤさまは頻繁にしもべ達から逃げ出して、一人で何もできずに途方に暮れていました。彼を連れ戻すのは、わたしの仕事でした。アルエリヤさまは、わたしを猫のように好きにさせていました。どこへでも行くことができまし、誰の許可を取ることもなく気儘に過ごせました。主人の不在に慌てる僕達を余所目に庭園を散歩していれば、アルエリヤさまが一人でいるところに出くわすのです。あれは多分、しもべ達には『見えていない』のでしょう。

 なんだか、思っていた人と違い出鼻を挫かれたのは確かです。それは困惑、でした。それ以外の感情は1ミリたりとも。ないでしょう。そのはずです。

 人を人とも思わぬ傲慢な方だと思っていました。もっと年上で……容姿はいくつか想定していた中の一つに入っていますが、あんなに幼いとは思いませんでした。宮殿の僕達も湖上の主人達もアルエリヤさまを懼れていました。彼の言動の全てを神の啓示のように受け取り、忠実な道具のように振る舞いました。どれほど暴虐無人にふるまっても、誰に憚ることがあるでしょう。望むままに全てが叶う塔の主とも思えぬ、弱気な態度でセアラに接していました。

 

 セアラの心が離れるのを不安がるのはどうしてでしょう?

 一言、『円』を通して命じればいいではありせんか?


 私を永遠に愛せ、と。


 

『円』とは生物の精神の裏側です。そこを介して全ての精神に干渉できるのですから。

『偉大なる主人たち』はそうして、地上の民を掟で縛っているのです。

 

 




 

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