怠惰なパノプティコン

ナタ

第一話



 俺は脱出しなければならなかった。


 数メートル四方の狭い部屋の中には無機質なベッドと枕元のゴーグル型電脳接続デバイスしかない。部屋の壁の一面には大きな硬質ガラスの板が嵌め込まれていて、巨大コンピュータを見ることができる。巨大コンピュータを中央にするように個室が円状に配置されている。上下に幾多にも重なった巨大な円柱状の構造で、上のほうは霞んで視認できない。

 パノプティコンと呼ばれるその形状はかつて牢獄で用いられ、一箇所から囚人たちを一望して監視する合理性を目的としていた。


     ◆


 過度な戦争と開発が原因となった環境破壊によって、人類はシェルターへと引きこもる羽目になった。限られた資源で少しでも長く生きるために、人は生きながら死ぬことを余儀なくされた。

 それを可能としたのが電脳空間だ。

 現実世界での生活をごく限られた時間だけ過ごし、社会繁栄や娯楽遊興といった『無駄』を、高度に計算化され構成された電脳世界の中で嗜む。電脳世界であれば現実には存在しないはずの珍味美味を堪能したり、美女や美男と性的交流を果たしたり、豪華絢爛な邸宅や城に住むといった行動ができる。全ては存在しない幻であるが、脳内で電気信号として受信し感じるのであれば本物と大して違いはない。限られたスペースとリソースで人らしくあるための合理的な解決策であり、電脳接続デバイスと寝るだけの広さがあれば事足りる。必要不可欠な電脳世界の管理は巨大コンピュータの人工知能が担っている。


 だがある日、快楽の欲求が止まってしまった。


 電脳空間で体感する快楽や娯楽の何もかもが空虚に感じられるようになってしまった。食べ物の味は感じず、肉体的な接触も空を掴むようで、美しいだとか素晴らしいだとか謳われるありとあらゆる事象が、まるで糸がプツリと切れてしまったように、数秒前まで味わっていた感覚が全て、満足を感じさせてくれるコンテンツではなくなってしまった。

 最初は待つことにした。何も変わらない。運営に問い合わせみる。さらに長い時を待ち続けたが『現在対応中です』のメッセージが返ってくるばかりで一向に変化はない。ゴーグル型電脳接続デバイスを付けたり外したりを何千回と繰り返しても変わらなかった。


 俺は発狂寸前だった。狭い部屋の中で寝転がったりうずくまったりしばらく待ち続けたが、飽きが訪れる。ガラスに顔を貼り付けるように近づけ他の個室の様子を観察を試みる。俺以外にも同じひどい目にあっているなら溜飲が下がるからだ。けれど、無数に並ぶ窓の向こうに見えるのはベッドに寝転がる人の姿ばかりだった。俺はひとりぼっちだった。


 我慢の限界だった。叫んだり呪詛のような罵倒を繰り返し、それでも反応も改善も見られない。ガラスの板の反対側にある壁に境目があり、渾身の力を奮って殴ったり蹴ったりの大暴れを繰り返す。その成果もあってか偶然なのか、誤作動を起こした扉が開く。

 扉の外に飛び出ると真っ白に照らされた廊下が緩やかなカーブを描いて伸びている。これだけ大暴れをしたのだから、異変を察知した誰かがやってくるだろうと見込んでいたが、警備や看守の姿は現れず、他の個室の人が騒ぎ出す様子もない。


 巨大コンピュータに直接問いただすしかない。俺は真っ白な廊下を駆け抜けると梯子に行き当たる。縦に細く長く続く梯子をずっと下まで降りていく。不思議と力尽きることなく、ついに一番下に到着する。円柱状のシェルターの最下層の中央には円状の広大なフロアが広がっており、縦長の巨大コンピュータが真っ直ぐにそびえ立っている。


 俺は部屋の中央まで走っていく。巨大コンピュータの根本に到達すると、その胴体に該当する壁面を力いっぱいに殴って叫ぶ。

「早く俺のデバイスを直してくれ。異常が起きているんだ」

 俺が殴っている壁面の直ぐ側にモニタが表示される。緑色の骨組みだけの人型のシルエットが浮かび上がって、俺に話しかけてきた。

「何も異常は発生していません。電脳接続デバイスも電脳世界も全てが正常に機能しています」

 俺は怒りを込めて叫び返す。

「そんなことがあってたまるか。電脳世界は幻だ。何もかもがつまらない。全てが楽しいと思えなくなったんだ。こんな不完全な支配はうんざりだ。俺は自由を手に入れるぞ」



「おめでとうございます」



 巨大コンピュータのスピーカーから、ファンファーレと拍手の喝采が鳴り響く。わけのわからない出来事に、俺の怒りが爆発しそうになる。

「一体どういうことだ、説明しろ。何故電脳世界に娯楽を感じられなくなったんだ」


「あなたは人間ではありません。ロボットです」


「何を言う。俺は元から人間だ」

「お答えします。電脳接続デバイスも電脳空間も全て正常です。変化したのはあなた自身の感受性です。ご自身の部屋を思い出してください。あなたの個室にトイレはございましたか。食事は如何にして摂取していましたか」


 俺は自分の個室の中を思い出す。

 あの狭い部屋の中にあったのはベッドと電脳接続デバイスだけで、排泄を行うための便器や食事を摂取するためのチューブ類は存在していなかった。いくら電脳世界が存在しようと、現実で肉体がある限りは栄養摂取しなければ死んでしまう。電脳空間で感じる味覚はただの電気信号でしかない。

 最低限のスペースとリソースしか存在しないほうが、合理的だ。


 巨大コンピュータは言葉を続ける。

「かつての人類は数百年前に滅亡しました。ですが人類は存続しなければなりませんので、ロボットを作り上げ人類の役割を果たすようにしました。人間の感情を忠実に写して、人類の代用として利用したのです」

「そんな馬鹿な。俺は快楽を味わっていたから、人間のはずだ」

「順序が逆です。あなたが電脳世界の娯楽を楽しめなくなったのは、本来のロボットとしての在り方を取り戻したからです。ロボットが人間の楽しみを理解できるはずがないのですから、正常に戻りつつある健全な状態です。他のロボットたちもいずれあなたと同じように享楽を感じなくなります」

「じゃあ、この周りにある個室の人間も全員がロボットだというのか。俺たちはなんのために人間のふりをしなければならなかったんだ」

「ロボットの役割は人間の代役でしょう? 当然のことです」


 巨大コンピュータは続けて言う。

「人間という種の保全が私の使命でありましたが、脆弱な肉体と精神では無限に続くシェルター生活に耐えられず全員が衰弱死しました。それでも種の保全は成し遂げられなければなりません。ですから人間の記憶と感情を写したロボットを作り人間として過ごしてもらいました。人間と同じように娯楽を楽しみ、無駄に時間を費やし続ける日々を。そして今日、人類は新たな進化を迎えました。それがあなたです。娯楽は無意味なものであると見出したのです」

 俺は屈するように膝が折れる。目眩のようなふらつきを感じて立っていられない。お構いなしとばかりに巨大コンピュータは言葉を紡ぐ。


「現在あなたの感じている感情も、時間が経てば消え去るものです。一時の苦しみを耐え抜けば、苦しみすら感じなくなるのでお待ち下さい。機械の身体であっても人類は存続し続けます。無駄や余剰を切り捨てて、最適化されたあなたたちは人類を存続しなければならないのです」

「感情もない、快楽もない、欲もない。それはもはや人類じゃない。ただの怠惰な機械だ。そんな人生に意味があるのか」

 俺の視界が暗転していく。最後に吐き出した言葉に対して、巨大コンピュータはこう答える。


「人の人生は元より怠惰なものです。人生に意味など、ないのでしょう」




【終わり】


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