第5話
エリザの眼に逃げ出そうとする王太子が映った。
ムクムクと怒りが蘇ってきた。
相手が王太子であろうと、誇りを傷つけられた事は許せなかった。
既に血の噴水は小さくなっていた。
いや、遠回りすれば何の問題もなかった。
力強く、思いっきり力を込めて走り出したエリザは、一足飛びで逃げ出そうとする王太子に横に現れた!
何が起こったのか、誰が現れたのか、王太子には理解できなかった。
その眼には、全てがゆっくりと見えた。
瞬きするような時間が、永遠の長さに思えた。
徐々にエリザの右手が自分の頬に近づいていた。
エリザは怒りに我を忘れそうになっていたが、それでもわずかに残った理性が、問答無用で王太子を殺すのは父上に迷惑をかけると考えた。
それでも武闘派のペンブルック公爵家の令嬢だ、許すとか利益利権を得るために交渉するとかは全く心に浮かばなった。
浮かんだのは正当な手続きで王太子を殺す方法だった。
その方法は、父であるペンブルック公爵からも武官家臣からも教わっていた。
決闘である。
正式な決闘でなら、相手を殺しても何の問題もない。
決闘の申し込みに必要な白手袋は、常に肌身離さず持っていた。
王太子に近づく前に、無意識に白手袋を右手に嵌めていた。
後は王太子の頬を張るだけだった。
白手袋で王太子の頬を張れば、それで決闘の申し込みは終わる。
王族であろうと逃げられないと、エリザは考えていた。
だが実際には違う。
国王や王太子の権力で、決闘を中止させることができた。
順当に手続きされていれば、少なくとも王太子は逃げに逃げただろう。
だが王太子は逃げきれなかった。
エリザは決闘をする心算だったので、この場で王太子を殺す気などなかった。
だから先ほどまでのように、怒りに満ちた全力張り手をする気などなかった。
誰が見ても決闘の申し込みだと理解できるように、言葉に出して、顔に手形が残るくらいの強さで、王太子の頬を張るつもりだった。
「先ほどまでの王太子殿下の言動は許せません。
私個人とペンブルック公爵家の名誉を護るために、正々堂々とした決闘を申し込みます!」
エリザが言葉にしたのは、父親と武官家臣から教わった口上だった。
相手の名前部分を王太子殿下に変えただけで、教わった通りの言葉だった。
ここまでは予定通りだったのだが、怒りにほんの少し力がこもってしまった。
そのエリザにとってはほんの少しの力が、王太子の命運を決めた。
首が叩き千切られる事はなかったが、決闘の申し込みのはずの平手打ちが、王太子殿下の顔面を粉砕して即死させてしまった。
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