第111話 南下(2) 勅令

 二人はテイム川の岸辺を歩いていた。何かを探す様子だったエスペルが声を上げる。


「あった、あった。ここだ、船着場!」

 

 川岸からせり出すように、木の板床が設置されていた。

 その周りにいくつかの小舟が浮かんでいる。

 エスペルは床板に乗って、身を屈めた。ロープを引っ張り、一艘の小舟を手繰り寄せる。


「よし、使えそうだな。かいもある」


「な、なにこれ!?」


「何って、船だよ」


「は?フネって何?」


「お前、船知らないのか!?これに乗って、水の上に浮かんで、移動するんだよ」


「み、水の上を!?」


「おう。結構楽しいもの……」


 その時突然、上空から金管楽器の音が鳴り響いた。


 二人はハッとして空を振り仰ぐ。


 朗々と響く美しい音色と、心を扇動するような高揚感に満ちた旋律。

 音楽が今、天地を揺るがしていた。


「なっ……、これは!?」


 わけがわからないという顔をするエスペル。ライラは苦い表情で上空を見つめた。


「セラフィムたちのラッパ……。勅令が来るわ……」


「勅令?」


 音楽がピタリと止まった。

 続いて、拡声された声が大音量で響き渡った。


「皆のものに告ぐ!

 反逆者、矮小羽のライラ及び人間エスペルを殺害せよ!

 繰り返す、ライラと人間をただちに殺害せよ!

 これはミカエル様からの勅令である!

 全セラフィムがただちに行動せよ!」


 エスペルは呆気にとられた後、呟く。


「おいおい、派手すぎんだろ……」


「ぶちぎれたわねミカエル様……」


「急ぐしかねえな!」


 エスペルは小舟に飛び乗った。ライラに手を差し出す。


「来い!」


 ライラは躊躇いながらも、その手を取り、初めて乗る「船」に足を踏み入れた。


「きゃっ……」


 足元がぐらりと揺れる。怯えた顔をしながら、ライラはよたよたと小舟の中を歩んだ。


「そっち側、座ってくれ」


「う、うん」


 エスペルはライラを対面に座らせると、片足を船に乗せたまま、片足で岸を蹴った。ゆっくりと小舟は岸を離れ、川の流れに沿って南下を始める。

 エスペルは両手に持った櫂を動かし、船を進めて行った。


「よし、流れは速い。見つからなきゃいいが……」


「まさか川を移動するなんて、セラフィムなら思いつかないわ。ちょうどいいかもしれないわね……」


「セラフィムってマジで船に乗らないのか!?」


「だって乗る必要ないもの!飛べるんだから」


「セラフィムってつまんねえなあ」


「人間が不便なのよ!」


「どうだ?初めて乗った船の感想は」


 問われてライラは、周囲の水を見まわした。もう乗り込んできた時のような怯えた顔ではなくなっている。

 水音に耳を澄まし、揺らぎの感覚を確かめるように、じっと息をひそめた。


「不思議な感覚……。歩くのとも飛ぶのとも違う揺らぎ。水音をこんな間近で聞くの初めて。なんでかしら、心が落ち着くわ……」


「セラフィムって泳いだりしないのか?」


「およぐ……?」


「海とかに入ってばしゃばしゃ……」


「海に入る!?やるわけないじゃない、そんな無意味なこと!海なんて嫌よ」


「海、きらいか?」


「海なんて塩水だらけで飲料水にもならない、その存在になんの意味も無い大きな水たまりじゃない」


「おいおい、生命は海から誕生したんだぞ?」


「えっ……そうなの?」


「セラフィムだって昔昔、その昔は、どこかの惑星の海で泳ぐお魚だったと思うぜ」


 ライラはポカンとした顔をした。そして吹き出す。


「セラフィムが魚だった?もう、何を言い出すのよ。そんな嘘に騙されると思う?」


 エスペルは困ったように笑う。


「嘘って……。まあ自分に聞いてみな」


「自分に……?」


「水の上でなんか不思議な気持ちになるんだろ?きっとそれは、進化前の記憶が残っているからだ。いつか一緒に、海に行こうか。生命を育んだ海って意味、ちょっと分かると思うぜ」


「生命を……育んだ海……」


 ライラはその言葉に考え込むように、胸に手を当てた。


 エスペルは教師時代の生徒たちの反応を思い出し、微笑する。そういえば生徒たちも、初めて知った世の理に、ライラのように驚いたり、信じられず笑い出したりした。けれど最後はいつも、初めて得たその知識に、深く何かを感じ入ってくれた。

 だからエスペルは科学が好きなのだ。


 その時、遠くから爆発音のようなものが聞こえた。


 音のした方、東側の森を見ると、遠くに黒煙が立ち上っているのが見えた。


「なんだ?」


「何かと私たちを間違えて攻撃したんでしょうね」


「動物もいないのに、何と間違えたんだか。連中も相当、焦ってるってことか」


「まあ次のプラーナ窟では確実に待ち伏せされているでしょうね」


「蹴散らすしかねえさ!」


 エスペルは櫂を漕ぐ腕に力を込めた。

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