第105話 原初のセラフィム
天空宮殿の神の寝室は、幾重もの薄布のカーテンで仕切られていた。
神の寝室に入室したルシフェルは、そのカーテンを一枚づつかき分けながら、奥に進んだ。
最後の薄布をめくりながら、ルシフェルは興奮気味に、弟に大事を伝えようとする。
「サタン聞いて、ついに見つけ……」
が、その言いかけた言葉は飲み込まれた。
神の寝そべる寝台の傍らに座したサタンが、今まさに、神の果実を自らの口に含もうとしていたためだ。
神は寝台の大きなクッションにしなだれかかり、夢見心地でそんなサタンを見つめていた。背中で六枚の羽を楽しげに震わせながら。
「サタン、何をしているの!?神の果実ゼリアルに口を!?」
「ルシフェル……」
サタンは、姉を見ると、自らの口の上に掲げていたゼリアルを下ろした。
その様子に、ルシフェルは胸を押さえてほっと一息つくが、すぐに怖い顔をする。
「死にたいの!?その実の蜜は神だけが口にしていいものよ!それを神に捧げるのが私たちの役目でしょう!」
サタンは口元でふっと笑った。
「誤解するな。もちろん神に捧げているさ。……口移しでな」
「え?」
サタンは再び自分の上にゼリアルを掲げると、くしゃりと潰し、口の中に滴らせた。ルシフェルが悲鳴のような声を出す。
「ああっ!!駄目よ、すぐ吐き出してサタン!!」
サタンはそんなルシフェルを無視して、神の顔を両手で挟んだ。
そして覆いかぶさるように唇を重ねた。神は自然に口を開き、サタンは自らの口内から、神の口内に蜜を注ぎ込む。
「サタン!?し、信じられない、か……神にくちづけするなんて……っ!!」
ルシフェルは両手で口を覆った。その恐ろしく背徳的な光景に身を震わせながら。
神は至福の表情で、懸命にサタンの舌を貪る。
「んんっ……ふあぁ……」
とても見てはいられなかった。自分の目が信じられなかった。
サタンは満足そうに、
「ほら、喜んでるじゃないか。なんと穢れなき笑顔だろう」
「無垢な神になんてことを!こんな不敬を下々の者たちに知られたらどうする気!?それにゼリアルの蜜をセラフィムが口にして、無事でいられると思うの?たとえほんの少しでも、あなたの体に何が起こるか分からないのよ!」
「大袈裟な、何も起きていない」
サタンは実を潰した時に指に付着した蜜を、神の口に含ませた。神は必死にサタンの指をしゃぶり、舐めとる。
そんな光景に眩暈を覚えながら、ルシフェルは言葉を続けた。
「でも、猛毒なのよそれは!たとえ少量ですぐに影響が出なくても、そんなことを続けていれば、いつかあなたの肉体は耐え切れなくなって破滅するわ!」
「破滅?それは面白い」
「本当の事よ!セラフィムがその実を口にすることが許されるのは、神が御隠れになった時だけ!それも女性セラフィムだけよ!」
「……」
「神が亡くなった時、全ての女性セラフィムの体は一時的に、その実を受け入れることが出来る体に変化する。我々至高セラフィムが次の神にふさわしい女性セラフィムを選び、その実を与える。そうすることで、その女性セラフィムは神に生まれ変わる……」
「知っているとも」
「でも、それだって全てイレギュラーな話。神が存命中の通常の状態では、男も女も決して口にしてはならない実よ!」
「最初の天界……」
サタンはおもむろにそんな言葉を発した。
「えっ……?」
ルシフェルは眉間にしわを寄せる。
「はるかはるか、遠い昔。我々がかりそめの天界を転々とする以前のことを、お前はどれだけ知っている?」
「突然、なんの話?」
「我々の真の故郷の話だ」
「セラフィムの原初の母星のこと?そんな遠い祖先のこと」
「原初の母星では、全てのセラフィムに生殖能力が授けられていた。……『シシア』もいなかった……」
「昔の話よ。その時代から既に何億世代もたち、私たちの体は進化を遂げている」
「進化だと?果たして我々は進化してきたのか?退化ではなく?」
「サタンあなた、何を考えているの?」
サタンは何も答えず、ただ戯れのように、神に己の指をしゃぶらせていた。そして囁く。
「我が神……なんと美しい……。成熟後のみならず、その途上の今もまた、全ての瞬間が美しい……」
「サタ……ン……」
サタンの瞳の奥に、底知れぬ情念を見て取り、ルシフェルの背筋に冷たいものが走った。
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