第106話 北部プラーナ窟(1) 大蛇
一つ目のプラーナ窟に向かって、猛スピードで飛びながら、エスペルは周囲に目を配り続けた。飛行をカア坊に任せているおかげで、余裕を持って周囲を見回すことができた。
広い王国内にたったの一万のセラフィム。
しかも北部の山間エリアなのでそうそうセラフィムに出会うことはなかった。
とは言えたまには飛行するセラフィムに出くわした。
そういう時エスペルは、問答無用でダガーをぶん投げ、一発で仕留めた。通報などされてはたまらないので。帝国騎士団の濃紺コートの上着の内側、ずらりとダガーが並んでいた。
「すごい威力ね、その短剣」
「ヒルデお手製の猛毒仕込みだ。実は急所を外しても殺せる」
それでも念のため、急所を狙って投げていたが。
やがて前方の谷間に、目標が見えてきた。
神秘の湖、ヴィチェト湖群。
先ほどのミリアーナ湖が人々の行楽のための観光地だとすれば、ヴィチェト湖群は人の進入が厳しく制限された聖なる湖だった。
大小九つの湖と六十の滝から成る湖群で、特筆すべきはその水の色だった。
時にエメラルド、時にアクアマリン、時にサファイア、時にアメジスト、時にラピスラズリ。
不可思議で幻想的なその湖の色味は、天候や季節や含有有機物によって日々刻々と変化し続け、見るものを幻惑させた。
美しすぎて恐ろしい、とすら評される聖地である。
ライラもため息まじりに、上空からその神秘の水の聖地を見下ろした。
「なんて綺麗なの……」
「すっげえ!俺も実物は見たことなかった、しかも上から見られるなんて。これ冥土の土産って奴だなぁ」
「縁起でもないこと言わないで!」
「そ、それもそうだな……」
二人はこの湖群の中の最大の湖の傍に降り立った。
湖の中心に島が浮かんでいた。
人が二十人も上陸すれば溢れそうな、小さな島である。
その島が、目標とする一つ目のプラーナ窟だ。
この島にはヴィチェト小堂と呼ばれる、石組みの小さな祠があったはずなのだが、それは撤去され、黒い箱とその上の銀の玉に置き換わっていた。
ライラが指差した。
「ほら見える?あの島の、黒い箱の上に丸い石。あれが
「見えるが、あれ石なのか?金属っぽいのだが」
ギラギラと銀色に光るそれは、鉄球を研磨して光らせたもののように見えた。
「石よ。ただ、この地球上にはない石ね」
「じゃあどこから持ってきたんだ?」
「天界よ、もちろん」
「なあ、前からちょっと思ってたんだけど、もしかして天界ってさ……。あー、まあ、それは後にしよう。さて、あの
「そうね……」
ライラはそう言いながら、辺りを見回した。エスペルも頷く。
「ああ、どこかに潜んでるわけだよな、
エスペルは透き通る神剣を抜き放ち、霊眼を発動させた。
目にセフィロトの樹を浮かばせると、そこら辺に落ちている石を拾った。
片足になって大きく振りかぶり、投げる。
完璧な軌道を描き、石は見事、
水中から水柱が立ち上り、エスペルの投げた石を阻んだ。
いや、阻んだのは正確には水柱ではなく、水柱の中にいた、
「お出ましだな」
背中に羽を生やしたその姿は、確かに元セラフィムの変わり果てた姿なのだろう。
だが全体的に、セラフィムの原型を留めないほど化け物じみていた。
まず顔。
大きさからして巨大なのだが、その造形も異様。限りなく魚に近い人面、といった風な容貌だった。
水の抵抗が少なそうなとんがった顔。その赤い眼はまん丸で黒目が大きくて、もはや魚類の目そのものである。
なお髪は全て抜け落ちていた。
そして体は、大蛇であった。
しかも黒と赤の縞模様付きという毒々しさ。
人面大蛇はこれまた魚に似た虚ろな口を、あーと開けた。上下のギザギザの歯がのぞく。
「ルエええええエエえーーーーー」
まったく意味不明な不快音が、ギザギザの歯の間から発せられる。
と、その口から真っ黒い液体がどばっと吐き出された。
ライラは羽で飛んでかわし、エスペルも脇に飛び退ってよけた。液体を浴びせられた草地は、じゅっと煙をたてて焦げた。
次にその長い尻尾を、ぶるんと地上に振るってきた。
頭上から空を覆うばかりに迫り来る、巨大な尻尾。エスペルは剣を上段に構え、腰を沈める。
「――
空を切る恐ろしい低音をたてて迫る尻尾を、エスペルの剣は見事に捉えた。
七色に輝く魔剣技が、巨大な尻尾を切断した。切断された尻尾が、木々をなぎ倒しながら森の中へと飛んでいく。
「るぐアアアアあああ」
人面大蛇は聞き苦しい叫び声をあげた。
上空に舞い上がったライラも攻撃を放った。
「
人面大蛇は痛がってその大きな体を水中で波打たせた。そのせいで湖面は大しけのようになる。
と、人面大蛇の体の両脇から、大量の細い蛇が突き出てきた。これまた赤と黒の縞模様。
「ルオッ オオッ オオオおーー!」
奇声と共に大量の細い蛇は、上空にいたライラに向かってビュンと伸び、その体を締め上げた。
「うっく……!」
細い蛇たちがライラの四肢に絡みつく。腕に脚に、胸に腹に、首に。ライラは苦しげにうめいた。
「ライラ!——
太ももに絡みついた細蛇の小さな口が、かぷりとライラの皮膚をさした。
「つっ!」
「
跳躍で宙に躍り出たエスペルが、剣を振るうと同時に風刃が生じ、細蛇が散り散りになって吹き飛んだ。
解放されたライラは、湖面に向かって落下したが、水面につくスレスレで羽を広げて体勢を持ち直した。
「た、助かったわ!」
エスペルは再度、空中で跳躍魔法を放ち、位置を調整した。
そして大蛇の背中の中央めがけて落下していく。逆手に持った剣の切っ先を下に向けて。
降り立つと同時に七色に光る剣をずぶりと突き刺した。肉体と魂、双方を断つその魔法剣を。
「ウルルるッ!!」
人面大蛇は目を白黒させた。
「さすが神剣……」
固そうな体に、剣はいとも簡単に深々と沈んだ。
剣身をその肉に沈めた状態で、エスペルは大蛇の背中を駆け上った。
「うおりゃあああああっっ!!」
羽の真ん中を駆け抜け、首のすぐ下を過ぎ、その巨大な頭にまで到達。
バリバリと頭骨を割る音を鳴らしながら、エスペルは魚に似たデカ顔を引き裂いた。
デカ顔の脳天から剣を引き抜きながら宙に飛び、ちょうどそこにあった、聖なる島に着地した。
「ルぐえエエエエエエ!!」
振り向くと、人面大蛇が砂となって崩れ去るところだった。
湖面に残骸の白砂が大きな層を作る。
ふう、と一息ついたエスペルの隣に、ライラも飛んできた。
ぐるりと白い木の柵で囲まれ、一本の木が生えるだけの、小さな島の上である。
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