第103話 旅の宿(2) 通信
天蓋付きベッドが二つ並んだ寝室のカーテンをあけ放ち、エスペルは歓声を上げた。
目の前にミリアーナ湖を臨む、いかにも別荘らしい、景観の良い部屋だった。
「見ろよ、湖に満月が映ってる!すげえロマンチックじゃね!?」
「え?水に光が映るのなんて当たり前じゃない」
「そう言う感じかー……。駄目だなあセラフィムは。情緒とかまるでなさそうだもんなあ、お前らの社会」
「わ、悪かったわね!」
エスペルはベッドのシーツを剥ぎ取った。
「おお、シーツは埃だらけだけど、一枚剥げば十分、十分!ああやっとベッドで寝れる。ずっと居候娘に奪われてたからな」
「な、なによそれ、だから私は別にソファでもいいって言ってるじゃない!何度言ってもあなたが頑なにソファで……」
「それはそうだ、騎士だからな」
「もうほんと、わけが分からない……」
エスペルはどかりとベッドに仰向けになった。
「おー、フッカフカ!貴族のベッドすげえ」
疲れがじんわりと和らいでいく。
天井を見つめ、頭を整理させた。
「なあライラ……」
「なに?」
「セラフィムの神様は、永遠の命を持っているのか?」
「いいえ。とても長寿だけれど、いつかは御隠れになるわ」
「だよな。でも今、セラフィムは神様の出すプラーナのおかげで生存できているんだろ?そしてセラフィムの卵を産めるのも神様だけ。じゃあもし、神様が死んだら、セラフィムは絶滅してしまわないか?」
「しないわ、神様が死んだらすぐに新たな神様が誕生するもの」
エスペルは鼻息を漏らすと、手の甲で自分の額を抑えた。
やはり、神を殺せば解決というわけにはいかないようだ。
「……そっか。どうやって誕生するんだ?」
「全ての女性セラフィムの中から選ばれた一人が、神様に変化するんですって。ただの女性セラフィムが、どうやって神様に変化するのかは、教えられてないわ。至高セラフィム様だけが知っている極秘事項よ」
「全ての女性セラフィム……。ライラも?」
「わ、私が!?ま、まさか!だって私、出来損ないだし、選ばれるわけがないでしょう!」
「でも、もし選ばれたら、神になれるんだろう?」
「ど、どうなのかしら、分からないわ……」
神を殺しても他の誰かが神になれる。
ならば一万人のうち半数、五千人が女セラフィムだとして、その五千の女セラフィム全てを抹殺して初めて「神殺し」が完遂する、ということになる。
一人で五千人殺すなど、出来るわけもない。
「なあライラ、第四段階の秘儀ってなんなんだ?」
「神の成熟」と「神の産卵」の間にあるもの。普通に考えれば……「交尾」が当てはまりそうである。
「知るわけないじゃない、秘儀だもの」
「やっぱ交尾か?」
「こうびってなに?」
真顔で聞かれた。
「……せ……っくす……的な……」
「せっくすってなに?」
またも真顔で聞かれた
「……」
エスペルはガバと上半身を起こした。
真面目にセラフィム攻略法を考えていたエスペルの脳に、まるっきり余計な雑念がモワモワと膨れ上がる。
(ライラ知らないのか!?これはライラだけが知らないのか、そもそもセラフィムが交尾的な行為をしないのか?ああそう言えば生殖能力が退化しているのか。待て、しかし『恋』や『恋人』という単語は知っていたじゃないか、恋心が退化していないということはつまり、そこに退化していない性欲が存在しているということの証左ではあるまいか?だが生殖能力が退化しているにもかかわらず性欲は退化しないなんてあり得るか?いや社会性生物にとって実は性欲はコミュニケーション欲求の根源として必要不可欠なものなのかもしれず、社会性の維持のために残されているという可能性も排除できず……)
「セ、セラフィムの恋人同士って何をするんだ?」
「やっ、やだ何よ急に。えっと、目撃したことはあるけど、キスとか。それから一度見たことがあるのは、茂みの中で裸になって抱き合って横になって、男の人がすごい体を動かしていて、あれは一体何かしら……」
「してるな!してたな!俺一本、論文書けそうだ!科学教師に復帰しようかなってちょっと今思ったわ!」
「な、何!?なんの話!?」
「……すまん。話を戻そう……」
エスペルは気を取り直した。雑念に
「第四段階について知ってるやつは、どこにもいないのか?」
「至高セラフィム様はもちろん知ってらっしゃると思うわ」
「至高セラフィム……。さっきのルシフェルと、その弟のサタン、だったか。どちらも宮殿にいるんだよな」
やはり目的地は天空宮殿で変わりはないようである。
第四段階の秘儀がなんなのか暴き、それを阻止する。
そうすれば第五段階の「神の産卵」を止めることができるかもしれない。
「あ、そうだ」
エスペルはリュックの中をごそごそして、通信鏡を取り出した。霧の内外でも通信できるよう、通信力を強化した特製品だ。
「早く連絡しないとな。きっとみんな無茶苦茶心配してる」
エスペルは鏡に指で文様を描いた。対になる通信鏡はキュディアスに預けてある。
鏡面がぐにゃりと歪み、向こう側の光景が映し出された。一刻を置き、すぐにドアップで顔が表示された。
……シールラの顔が。
『エスペル様ああああ!!ライラさんどうなりました!?ライラさん助け出せました!?もうシールラ心配で心配でオレンジも絞れないんですうううう!ライラさんはどうなったんですかあああああああ!?』
「うわわっ」
「シールラ!?」
ライラがエスペルの隣に座って、鏡を覗き込んだ。すると、
『あきゃあああああ!ライラさんいるじゃないですか、良かったああああああ!』
「あ、うん、心配してくれてありがとう……」
ライラがはにかんだ表情を見せる。
シールラの後ろからキュディアスの声が聞こえた。
『ほんとか!?』
シールラが画面半分に寄って、もう半分にキュディアスの髭面が現れた。
『おお……!エスペル、ライラ、良かった無事なんだな!』
「ご心配おかけしました」
『どういう状況だ?』
聞かれて、エスペルはこれまでの状況とこれからの計画を説明した。キュディアスは神妙な顔つきで頷いた。
『天空宮殿への門を開くために五ヶ所の装置破壊を行うと……。分かった、やってくれ。天界開闢とやらを止める手立ては、掴めそうか?』
「すみません、それはまだ……。でも天空宮殿に行けば、必ず分かるはずです。天界開闢の全てを知るという至高セラフィムと神がそこにいます」
『そうか……。その滅法強いミカエルとかいう奴とは無理に戦闘するな。ライラもいざとなったらすぐ例の瞬間移動で二人で逃げてくれ』
「
『頼んだぞ、エスペル』
「はい!」
通信は切られた。
ライラが何やら、ぼうっとしている。
「どうした?」
「あっ……。ええと、シールラ、あんなに心配してくれてたんだ、って……」
「友達だから当然だな」
エスペルはその頭を撫でてやる。ライラはくすぐったそうに笑った。
「うん……」
可憐な花が風にそよぐような笑顔。
エスペルはそんなライラを思わず抱きしめそうになって、ここがベッドの上であることを思い出し、ピタと止まる。
差し出した手を引っ込めてぐっと拳を握り難しい顔をする、というエスペルの妙な挙動にライラは首を傾げた。そして、
「あ。あなたのベッドよね、ここ。座ってごめんなさい」
と言って立ち上がった。
「あ、いや、ちが……」
エスペルはスタスタと自分のベッドの方に向かうライラの後ろ姿を見送り、
「ぷくはぁ……」
という謎の言葉を発した。
一人、ベッドに仰向けに倒れ込む。
(ぷくはぁ……)
目をつぶり、頭の中でもその謎の言葉は発せられた。
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