第100話 森の中(1) 回復

 ルヴァーナ監獄から飛び立ったエスペルとライラは、森の中に身を潜めることにした。巨大カア坊は流石に目立ちすぎるため、長く飛行はしていられなかった。

 

 ダチョウ形態のカア坊に乗って入り込んだ森の奥、木立の丸くひらけたあたりに止まった。柔らかな草が土を覆い、木漏れ日が緑の綾を作っている。

 付近に誰もいない。霊能感知器ペンダントも無色透明だ。

 エスペルはカア坊から降りた。


 途端、緊張の糸が途切れ、エスペルの体に、どっと疲労と痛みが押し寄せてきた。

 木に手をつき、ハアハアと息を上げる。

 魂構成子セフィラ残二つという状態での戦闘の、無理が祟っていた。


「エスペル、辛いのね!?座って!」


 ライラはエスペルの体を支え、草地に腰を降ろさせた。左手でその背中をさすりながら、右手を腹の上にかざし、唱える。


治癒の咒ナサティーヤ!」


 オレンジの光とともに、暖かい気がエスペルの身体中に染み渡り、痛みがすうっとやわらいでいく。

 さすってくれる左手の動きと相まって、うっかり、恍惚としてしまいそうなほど心地がよかった。


「ライラ、回復魔法を……?」


「セラフィムは魔法じゃなくて咒法じゅほうって呼んでるわ。神域の中に入ったから、今まで使えなかった咒法じゅほうがいっぱい使えるようになったの。ヒルデって人程の腕はないけど」


 自分を介抱してくれるライラの姿は、木漏れ日の煌めきの下でますます清らかで綺麗だった。


「いやヒルデに回復されるよりずっといい……。なんかこう、幸福度的なのが段違いだ……」


 例えるならヒルデの回復魔法は医者の治療、ライラのこれは奇跡体験。


「……怒られるわよ?」


「そ、そうだな、散々世話になったんだった、すまんかったヒルデ」


 そうこうするうちに、エスペルの魂構成子セフィラが一つ回復し、残り三つとなった。


「もう回復した!」


「あなたは回復力が強いのね。それにここは神域内だから、外より魂構成子セフィラの回復はずっと早いわ」


「なるほど、ここの濃密な神気のおかげか。ありがとな、だいぶ楽になった、もう大丈夫だ。ライラだって戦闘してたんだ、疲れてるだろう?」


「平気よ」


 とライラは言うが、本当は疲弊してるのは分かった。なおも回復咒法を続けようとするライラの手を掴むと、エスペルは首を振る。


「大丈夫なのに……」


 ライラは術の発動をやめ、手を引っ込めた。

 ちょこん、と二人で草地に座って並ぶ形になる。


「無理すんなって。ところでなんなんだ、さっきの金髪の王女様みたいな感じのやつは?」


「至高セラフィムのルシフェル様……三大セラフィムよりさらに上に位置する、最高位のセラフィムよ。双子の弟のサタン様と並んでね。今は、宮殿内でお二人が神様のお世話をしてらっしゃるの」


「なんで俺たちを見逃してくれたんだろう」


「私にも分からない。どういうことかしら」


 正直、気持ち悪かった。不穏な予感しかしない。

 だが分からないことを思い悩んでも仕方ない。まあいずれ明らかになるだろう、と思った。


 その時、対処する。


「とりあえず置いておくか……。宮殿の中に、神様がいるんだな。神に会うためには、あの空飛ぶ宮殿の中に行かないとだな」


「……」


 読み取れない表情で俯くライラ。


「ライラ、言ってたよな。第六段階で新生セラフィムが生まれて、人間が滅びるって。そして新生セラフィムの卵を生むのは神様だって」


「ええ……」


「人間を救うためには、神様をなんとかしなきゃいけない、ってことだよな?」


「そうね」


「俺は、場合によっては……神様を殺すことになるかもしれない」


「……」


「ごめんな。お前をここまで巻き込んでしまって」


「なんで謝るの?私はあなたに巻き込まれたなんて思ってないわ。私は私の意志であなたに協力したの」


「なぜ協力してくれたんだ?裁かれる覚悟……死ぬ覚悟まで決めて、なんで俺に協力したんだ?」


 ライラは困ったように微笑んだ。


「さあ、なんでかしら……」


「ライラ」


「なあに?」


「キスしていいか?」


「えっ?」


 エスペルはライラの肩を引き寄せると、その唇に自分の唇を重ねた。


「っ!」


 驚くライラの背中をぐっと抱きかかえ、唇を押し付け続ける。

 柔らかくかすかに濡れた唇。だがその柔らかさを堪能すると言うよりは、己を激しくぶつけるような強引な結合。

 初めてのキス。にしては、あまりにも荒々しいキスだったかもしれない。


 ようやく顔を離しライラを開放すると、彼女はエスペルの腕に身体を預け、真っ赤な顔で見上げていた。


「うっ……ふわっ……?」


 手で口を抑えながら、可愛い謎声を発している。


(してしまった……)


 エスペルは片手でライラの頬を包み込み、目を見つめた。


「頼む、約束してくれ。もう絶対、勝手に遠くに行かないって。何も言わず出てくなんて、もうやめてくれ」


 ライラは頬を赤く染めたままうなずいた。


「わ、分かった……。約束する。もう……どこにも行かない」


 安堵し、エスペルは微笑んだ。

 ぎゅっとライラを抱きしめる。


「絶対だぞ!」


「うっ……うん……」


 やがてライラはエスペルの腕の中で、うつむきながら声を出した。


「あの……あのね、エスペル」


「なんだ?」


「かみ……神様を、殺さないで欲しいの……」


 エスペルの服の裾をぎゅっと掴み、震えながら言う。

 エスペルはライラの震えを腕の中で感じ取りながら、


「分かった」


 嘘をついた。


「ほんと?」


「ああ。言っただろう、俺の目的は話し合いだって」

 

 ライラの震えが治まった。エスペルを見上げると、子供のように相好を崩す。

 やがてエスペルにもたれるようにその体重を預け、目を瞑る。

 エスペルに己の全てを委ねるように。

 エスペルはその髪を、ずっと撫でつづけた。

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