第98話 ルヴァーナ監獄(6) vsミカエル

  ミカエルが大爆発を放つ直前にライラが霊体化をかけてくれたおかげで、エスペルは命拾いした。


 だが次の瞬間、分厚い煙の中を握った拳とともに突進下降してくる、赤い獅子のごとき男に気づくのは、遅れた。

 上方、煙の中から突然現れたミカエルは、振りかぶった拳をエスペルの顔面に突き出した。

 気づくのが遅れたエスペルは避けることができなかった。


 とは言え霊体化しているので、顔面に拳は当たらない。

 ミカエルは拳とともにエスペルの体をすり抜け、着地した。


 のだが。


「うっ……くあああああああっ!!」


 エスペルは激痛にまなこを見開き、割れんばかりの頭を抑えた。


 ミカエルに体をすり抜けられた時、自らの魂構成子セフィラが一気に崩れ去る音が頭の中で響いた。


 エスペルは八つの魂構成子セフィラを、破壊されていた。


 何が起きたのかは、すぐに理解できた。エスペルの斬魂剣ザン・セフィロトと同じだ。

 ミカエルは物理的攻撃にて魂攻撃が可能なのだ。それも剣という触媒すら必要としない。

 自分の拳一つで、相手のセフィロトに直接触れて、叩き割ることができるのだ。


「エスペルっ!」


 ライラが悲鳴のような声を上げる。


 エスペルを振り向いたミカエルは、しかし、その目に激しい憤懣ふんまんを見せた。乱れた赤髪の隙間からエスペルを睨みつけ、


「……なんで死んでねえんだよ、てめえ」


 ラファエルとガブリエルも息を飲んだ。


「は、初めて見たっ、ミカちゃんの魂直撃パンチくらって死ななかったやつ!」


「なかなか、やりますわね」


「許せねえ、人間の分際で!俺に恥かかせやがってええええええ!」


 ミカエルが再び拳を握り、突進してくる。


 次、一度でも食らえば確実に死ぬ拳を。


 エスペルは激痛に苛まれながらもかわした。

 右から左から、ビュンビュンとその拳がとてつもないスピードで繰り出される。

 エスペルは腰を落とし、全神経を集中しその拳をかわしていった。

 脇にそれ、身を沈め、身をよじり、かわし続ける。

 その「避け」は揺れる柳のようなしなやかさだった。


 ミカエルが拳を連打しながら舌打ちをする。


「落ち着いてんじゃねえか、なめてんのかよ!あと一発で死ぬんだよてめえ、分かってんのかあ!?」


「……」


 エスペルには煽りに答える余裕などない。なめてもいない。ただ死の淵にいるという現実が神経を研ぎ澄ましていた。


 ラファエルが面白そうに野次を飛ばした。


「うっそ人間、ミカちゃんの乱れ打ちパンチ避けてんの?いい動きすんじゃーん。これ観戦しがいあるわぁ。あ、煙邪魔だね、ガブリエルおねがーい」


「仕方ないですわね、もうとっくに濡れてますし」


 ガブリエルが右腕をあげ、天に手の平を向ける。

 エスペルが先ほどやったように、大雨が振り、煙を消失させた。


「エスペルっ!」


 ライラがミカエルに向かって両腕を突き出した。

 その腕に、ラファエルの鞭がしゅるんと伸びて来て巻きついた。


「いっつ!」


「たーいほ!ダメダメ、させないよお?ちょっと大人しく観ててあげようよお」


 ずぶ濡れのミカエルが、水を迸らせながら、緩むことなく両拳を突き出してくる。

 同じくずぶ濡れのエスペルは必死で避け続けた。

 傍目には優美なほどなめらかなかわしの妙技だったが、本人はただ必死である。

 

 こうなっては霊体化状態は足枷でしかない。霊体化状態では魔法は撃てるが物理攻撃は出来ない。

 ミカエルの拳をかわしながら魔法を打つことなど出来そうもなかった。

 イヴァルトは、霊体化は自在に解除できると言っていたが、一体どうすればいいのか……。


「解除っ!」


 ライラの叫ぶ声が聞こえた。同時に、知覚が通常に戻る。

 ライラが状況を見て、霊体化解除してくれたのだ。改めて、とても優秀な相棒パートナーだと思う。


 殴打を繰り出し続けるミカエルが、眼光は鋭いまま、口元だけで笑った。

 エスペルの目に灯された意思に気づいたのだろう。


「はっ、やる気かよクソが」


 言いながら、ちらとエスペルの右手に握られた剣を見る。

 エスペルが殴打をかわして後退しながら、剣を持つ手に力を込めた。


「なんだそのガラクタは?俺が素手でへし折ってやるよ!」


 エスペルは剣を思いきり後ろに引き、ぐっと身を沈めた。

 ミカエルが嘲笑をその顔に浮かべた。


 だが次の瞬間、ミカエルの嘲笑は衝撃と苦悶に歪む。


 身を沈ませたエスペルの、強烈な頭突きがミカエルの顎に直撃したからだ。


「ぐはっ……!」


 剣はフェイントであった。

 喉仏をさらけ出し後ろに仰け反ったミカエルの腹に、エスペルは今度こそ剣を斬りつけた。


斬魂剣ザン・セフィロト!」


 七色に輝く剣身が、ミカエルの腹に赤い真一文字を刻み、血が滴る。

 続けざまに放たれたエスペルの突きを、ミカエルは後方に飛んでかわした。


 エスペルは肩で息をする。

 大破魂メガ・クリファ・セフィラよりずっとセフィロト破壊力が強い斬魂剣ザン・セフィロト

 だが今の一太刀で破壊することができた、ミカエルの魂構成子セフィラは、一つだった。

 たったの一つ。

 ミカエルは一発でエスペルの魂構成子セフィラを八つ破壊したと言うのに。


 エスペルは己の非力さに、かつてないほど打ちのめされた。


 だがミカエルもまた、エスペルと同じような表情をしていた。

 傷ついた腹を治癒咒法で塞ぎながらエスペルを睨め上げ、


「てんめえええええ……!」


 気楽な様子で観戦していたガブリエルとラファエルが、つと真顔になる。


「ミカちゃんの魂構成子セフィラを破壊!?」


「意外にやりますわね……」


 ラファエルはライラの両腕を縛っていた鞭をほどくと、エスペルの方に近づき、手を突き出した。


「ごめんミカちゃん、私やっていい?こいつの魂構成子セフィラあと二つだし、サクッと殺しちゃうよ!」


 ミカエルが怒鳴った。


「やめろっ!!手出ししたらゼッテー許さねえ!てめーの羽もちょん切ってやる!!」


「ええー!?なにそれひどっ!!」


 ミカエルは立ち上がって、ぶんと右腕を振るった。

 するとその手の中に、真紅の刀身の三日月刀が出現した。見惚れるほど美しく、同時にぞっとするほど禍々しい赤い月。

 勘の鋭い者であれば、その剣の赤味の美しさは、吸ってきた血の量そのものであると理解できるだろう。


 エスペルは緊張にゴクリと喉を鳴らす。

 

 魂構成子セフィラを二つ残すのみのエスペルは、今も全身を激痛に苛まれており、気を抜けばいつ気絶してもおかしくないような状態であった。


 ただ気力だけで戦っている。

 この気力が、どれだけ保つのか。


 ラファエルの鞭から解放されたライラが、エスペルとミカエルの間合いを測るように見比べた。

 そんなライラにミカエルが釘を刺す。


「妙なこと考えてんじゃねえぞ出来損ない。お前がエスペルに近づくより、俺がお前を殺す方が早い」


 光速移動フォトン・スライドで逃げようとしても無駄だ、と言う警告だ。


「うっ……」


 ライラが震えながら手を握りしめた。


 ミカエルが動く。

 動きは一瞬だった。

 気づけばミカエルはエスペルの目前にいて、禍々しい真紅の三日月刀を、正面から振り下ろしていた。

 エスペルはなんとかその刃を剣で受け止めることができた。

 だが、額から脂汗が流れ落ちる。


 かつてキリア聖堂で戦った、巨大死霊傀儡すら軽く感じられるほどの、恐るべき重量だった。

 ミカエルが物凄い力でギリギリと剣を押し込みながら、エスペルの透明な剣を見て眉をあげる。


「ふーん、その剣、ガラクタじゃねえな。普通の剣ならとっくに折れて、今お前は俺に脳天かち割られていたはずだ」


 そうだろうな、とエスペルも思った。神剣ウルメキアでなければとても耐えられなかったろう。

 神の剣に救われた。


 その時。


「そこまでよ!」


 頭上から第三者の声が響いた。美しく威厳に満ちた声音。


 その声に、ミカエルが物凄く不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。

 その隙をつく。


 エスペルはミカエルの三日月刀を押し払い、後飛びして距離を取った。


「チッ」


 とミカエルが舌打ちをした。


 その声の主は、エスペルとミカエルの中心に、降り立った。


 輝く金髪の、真珠色のドレスを身にまとった、美貌の女セラフィム。


 ミカエルが苛立ちの表情で、女に問う。


「なんの真似だ、クソアマ」

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