第73話 宮廷の夜(2) 密偵虫

「おやおや……」


 参った、という風にジールは額を押さえる。

 ヒルデは密偵虫バグを入れた小瓶を光にかざしながら、


「こっちから向こうに密偵虫バグを送ったことは何度かありますが、向こうから送られたことは今までなかったのですが」


 ちなみに人間から送った密偵虫バグは今まで全て破壊され、情報収集に失敗してきた。


「そう言えば今日の会議で、今までの死霊傀儡はイヴァルトという小物が送りつけていたもので、今日のはおそらくミカエルという大物が送りつけてきたもの、という話をしていましたね」


「ええ、その関係でしょうね。王宮を狙われたことといい、敵の動きが高度になってきている」


 ジールがふと、何かを思いついた顔をする。


「……あ、でもこれで、セラフィムにお手紙が書けますね」


「は?」


密偵虫バグにメッセージを託すことはできますよね。人間の密偵虫バグだと破壊されるかもしれませんが、彼ら自身の使い魔ならば『大物』さんの所までメッセージを送り届けられるでしょう?」


「まあ、そうですな」


「じゃあ、お手紙書きましょう!……ただ文字が問題ですね。以前ライラさんに聞いたのですが、セラフィムは人間の文字は読めないそうです。しかしなんで彼らは人間のしゃべり言葉を解し、話すのか不思議ですよね。理由を聞いたら、『低次生命体が高次生命体のことを理解しようとしても無駄よ』と舐めたことを言われ少々イラっときましたが……」


「……」


「まあそれはともかく、ライラさんに代筆を頼む必要が、ありますね」


「ライラならまだ城にいるでしょう。エスペルと一緒に、第四騎士団の部屋かと」


「分かりました、来ていただきましょう。ライラさんには他にとても大事な話もありますし」


「あの、セラフィムにどんな手紙を送るんですか?」


「『死霊傀儡を送られると困るのでやめてください。どうしたらやめてくれますか?』」


「……ストレートですね」


「どうせエスペル君とライラさんを差し出せ、って話でしょう。我々はもう分かっていますが、大臣達はパニックに陥っていて理解が追いついていない。だからセラフィムご本人にそれを言って欲しいんですよ」


 ヒルデが合点がいった顔をする。


「ははあ、なるほど。宰相は、エスペルに全権委任するつもりなんですね」


 ジールは肩をすくめた。


「それしかないじゃないですか。色々考えてみましたけど、他の方法が思いつきません」


「セラフィムと交渉が可能だと?」


 ジールはおかしそうに頭を振った。


「まさか!女王様含めた大物さんたちを全員、殺してきてもらうんですよ。で、『天界開闢』計画を阻止してもらいましょう」


「宰相は、セラフィムが人類を滅ぼそうとしているとお思いですか?」


「もちろん。そんなのは最初から分かっていましたよ」


 ジールは鼻息をふんと漏らす。ヒルデが目をしばたかせた。


「最初から?」


「『我々はセラフィム、神の御使い。低次生命体、汝ら人間を浄化するために来た』そう、言っていたんでしょう?彼らはこの世界に来た最初の時点で、その目的を告げている。そして彼らはまだ、人間を浄化……滅ぼしていないじゃないですか」


 ヒルデは眉を上げてジールをしばし凝視すると、やがて口元を緩めた。


「そう言えば、エスペルを帝国騎士団に入れたのも、帝国にセラフィム調査を始めさせたのも、あなたでしたね。私に、セラフィム研究の為の時間と予算をたっぷりくれたのも。あなたが帝国宰相であることは、人類にとって不幸中の幸いだったのでしょうな」


 ジールはふうむ、と顎に手をやってヒルデを見やった。


「前から思っていましたが、魔術師長殿って結構、ほめ上手ですよね」


「そうですか?」


「だって貴方、私のこと嫌いでしょう?」


「……まあ、はい、かなり」


 ヒルデは一秒くらい躊躇ったが、肯定する。


 ジールはいつもやり方が強引だった。

 不穏な動きを少しでも見せた周辺国は、不当な開戦理由をでっち上げて侵攻し叩き潰した。

 ジールを宰相の座から引きずりおろそうとした文官や武官は、次々とスキャンダルが持ち上がり失脚させられた。時には不審死すらあった。


 逆らう者は貴族でも没落させられた。そもそもプリンケが皇位に就いているのもジールのはからいである。亡き先帝の一人娘、唯一の直系子孫とはいえ、まだ幼いプリンケの即位に難色を示す貴族は多かった。先帝の兄弟やその子息ら、近縁傍系筋同士の皇位継承争いに発展しかねない状況だった。

 だがジールはあらゆる手段で対立候補を潰しプリンケを即位させた。プリンケは当時、わずか五歳だった。

 「うるさそうな」成人男性候補者を全て潰したジールは、プリンケ即位後にますますその権力を盤石なものとした。


 そして「無垢な幼帝を担ぎ上げ、その威光を笠に好きなように振る舞う宰相」という歪んだ体制が続く。


 思想的に潔癖症なくらいのヒルデが、この人物に嫌悪感を感じないわけがなった。

 ではなぜ彼がこのような汚い人物に従っているのかと言うと、手段はともかく目的は正しかったからだろう。


 ジールの治世下でトラエスト帝国は最盛期を迎えていた。


 ジールの鍛えた強兵は多くの戦乱を終わらせ史上最大版図を築き上げた。

 内政では貧困層が漸次減少し、国の隅々まで豊かさが行き渡りつつある。

 辺境の痩せた土地は灌漑事業で穀倉地帯に生まれ変わり、治安は改善され、市場は活気あふれ、蔑ろにされていた弱者は福祉政策で救済されるようになった。


 国民はジールの「善政」を礼賛した。稀代の有徳宰相と呼ぶものすらいた。


 自らの一族の権勢を広めようとすることもなく、驕奢な生活をするでもなく。


 彼はただ国と民の為だけにその権力と才覚を使った。

 この汚い政治家は、その一点のみは清廉だった。


 ジールは考え込むように天井を見上げた。


「私なんて、嫌いじゃない相手のこともあんまりほめてあげられない性質たちなのに!私も魔術師長殿を見習わないとですねえ」

 

「無理しないで下さい。ただ妙なことを言ってエスペルの奴をイジメないでくれませんか。発破はっぱをかけるつもりかもしれませんが、あいつは全部真に受けますよ。真面目なんですあいつは……宰相の三十倍は」


「おや、気にしてましたか?」


「それなりに」


「フォローして置いて下さい」


「もうしました。フォローじゃなくて尻拭いです、あなたの」


「それはどうも。じゃあ、もうそれでオッケーですね」


 言って、にこりとする。


「……」


 ヒルデの舌打ち交じりの半目に、宰相は首をかしげた。


「あ、これだからダメなんでしょうね、私」


「でしょう、ね。ライラ、呼ばなくていいんですか?」


「そうでした!」


 宰相はポンと手を打ち、デスクの引き出しを開けた。通信用の鏡にまた、指をなぞる。今度はキュディアスの名前であった。

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