第49話 帰れぬ故郷(1) 聖なる地

 キリア大聖堂は野外にあるいくつかの神殿と、壮麗な大建築である大聖堂から成る宗教施設だ。


 円の神殿での戦闘を終えたエスペルたちは、今、大聖堂の中にいた。


 高い丸天井には神々の絵が描かれ、壁を覆い尽くす華麗な大ステンドグラス群は圧巻の一言。内部は常に、神秘的な光で満たされていた。


 この大聖堂の祭壇前、ヒルデが大司祭ニコリスに事の次第の報告をしていた。


 ヒルデは大司祭に深々と頭を下げた。

 隣にいるミンシーも一緒になって頭を下げた。


「我々の力及ばず、聖なる神殿があの様な事になってしまい、誠に申し訳ありません」


 白髪のニコリスは感服した様に目を潤ませると、微笑みながら首を振った。


「あなたはなんと清廉な方なのでしょう、ヒルデ様。どうか面をおあげください。あなた方の命掛けの戦いのおかげで、誰一人犠牲者が出なかったのです。これぞ神の奇跡です。あの様な怪物をよくぞ駆除してくださいました。本当になんとお礼を申し上げたらいいのか」


「そう言っていただけると救われますが……。私の方からも城に掛け合い、神殿再建の予算を早急につけさせますので、どうかご容赦いただければ幸いです」


「そこまでお心を砕いていただけて、御礼の言葉すら見つかりません。帝国は本当に素晴らしい方を宮廷魔術師長に戴いています。さあお疲れでしょう、どうか休憩室においでください。お茶とケーキをいかがですか。そちらの騎士様や魔術師様がたも、ぜひ」


 ミンシーの目がキランと光る。


「よ、よろしいのですか!?ありがたくいただきます!」


「ははは、どうぞどうぞ」


 一方、ヒルデは後方を見やると……、顔を引きつらせた。


「あのバカども……。あ、いや、あっちにいる騎士と魔術師の二人は置いていきましょう」


「え?よろしいのですか?」


「全然構いません、さあ行きましょう」


 ※※※


 ヒルデと大司祭が真面目な話をしていたかたわらで、ライラはお上りさん観光客のごとく、聖堂内をきょろきょろフラフラ、しまくっていた。

 その後ろからエスペルが心配そうにぴったりくっついていく。


「な、なあライラ、お前も一応、宮廷魔術師って設定なんだからさ、大司祭様に挨拶の一つもしてくれよ」


「いやよ、知らないおじさんじゃない。それより、この石の人形なあに?羽が生えてるわ!セラフィム!?」


「なに罰当たりなこと言ってんだ!天使だよ天使!」


「なんで赤ちゃんなの?」


「なんでって言われても、天使つったら赤ちゃんじゃないか。それは愛の天使ピートーだよ、で天使を抱えてるのは美の女神アロディアーテで二人は母と子で……って触っちゃダメだって!」


「もーダメばっかり!ねえ、あの色のついた窓、とても綺麗ね、素敵。人間のくせになかなかいいわ、この建物は」


「あれはステンドグラスっていうんだよ。キリア大聖堂のステンドグラスは世界最大の面積を誇るステンドグラスの最高芸術と言われていて、デザインしたのはかの偉大な魔術芸術家、鬼才マルクトリウスで、朝昼晩、さらには季節によって図柄が変化し……って俺、なんかさっきからライラ専属観光ガイドみたいになってるような……」


「んー、でも上の方の絵がよく見えないわ、ちょっと飛んで見てきていい?近くで見たいの」


「ダメに決まってるだろ!?大司祭様だってミンシーさんだっているのに……」


 と祭壇の方を見て、誰もいないことに気づく。


「うわヒルデたちがいねえ!置いてかれてるじゃないかー!」


 ライラはフードを外すと、大きく息を吸い込み、両腕を広げ、ステンドグラスから差し込む聖なる光を全身で受け止めた。

 光の中、踊るようにくるくると回る。


「私、ここがとっても気に入ったわ!ちょっとだけ、神域の中の綺麗な空間に似てる」


 降り注ぐ聖なる光の中、ライラの髪と瞳が美しく煌めく。

 その姿はまるで、光を呼吸すると言われる光の精霊のようで、エスペルは束の間、見惚れてしまう。


「そ、そっか、ここの神聖な空気、ライラにも分かるのか」


「そりゃあ分かるわよ!これはプラーナって言うのよ」


 ライラが口にした単語にエスペルは大きく反応した。


「プラーナ、前も言っていたな!天界や神域を満たしている、セラフィムの生存に絶対に必要なもの!そうか、これのことだったのか!俺たちはこう言う空気を、神気シンキって呼ぶんだ。地上には聖なる場所、神気シンキに溢れる神気シンキスポットがいくつかあって、神殿や聖堂は、そう言う場所に建てられるんだ……」


 そこでふっ、とエスペルは言葉を切った。

 その顔に、急に深い闇がさす。


 何かを思い出した様に、エスペルはポツリポツリと語る。


「……カブリア王国は、世界で最も神気シンキの強い場所と言われていた。あそこは聖なる地なんだ。だから魔力の強い人間がたくさん生まれて……」


 でも、奪われてしまった。おぞましい死の霧に覆われてしまった。

 誇るべき祖国。愛すべき故郷。

 もう戻れないかもしれない、聖なるふるさと……。


 地獄の六日間の惨劇の記憶が、脳裏に次々と展開され、エスペルは口を覆った。

 悲鳴、死体、セラフィム。情け容赦ない全殺戮。

 吐き気を催す、大虐殺だった。


 忘れられるわけもない。


「クソっ……。セラフィムどもっ……」


 エスペルは拳をぐっと握りしめた。

 つと、その拳を誰かに触れられ、ハッとする。

 

 いつの間にかライラが目の前にいて、エスペルの拳に手を添え、じっと見上げていた。


「すごく怖い顔、してる」


 エスペルの拳が小刻みに震えはじめた。搾り出すような言葉が、エスペルの口から発せられる。


「俺は……セラフィムから逃げ遅れた人たちの救助に当たってたんだ。死の霧が生成されたあの日も。たみを馬車に乗せて、王国を脱出しようとした。……全部、骨になってしまった。俺の体一つ放り出されて。友も、助けたはずの人もみんな……」


 ライラはうつむいた。添えていた手をそっと離す。

 やっと聞き取れるくらいの小さな声で聞いた。


「セラフィムに復讐したい?」

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