第50話 帰れぬ故郷(2) 繋がる川
「復讐……?」
その単語の不穏な響きに、エスペルはたじろぐ。
自分が目指しているものは「復讐」なのだろうか。「正義」ではなく。
「わからない……そうかもしれない。でも、俺のこの気持ちの呼び名なんてどうでもいい。好きな言葉で呼べばいい。ただな、ライラ、一つ確かなことがある……」
目の裏を去来する、あの惨劇。
理由無く殺された五十万の命。
エスペルはライラを両肩をぐっと掴んだ。そしてその不安げに揺らぐ瞳をまっすぐに見据えた。
「あんなことは、許されない」
「!」
ライラの揺らいでいた瞳が、一点で固まり見開いた。
「セラフィムはあんなことを繰り返し続ける気か?殺し続け、奪い続けるのか?それは、許されないことだ。俺だけが死の霧を生き残った、俺だけがセラフィムと戦う力がある。だから俺が、やらなきゃいけないんだ。俺がセラフィムを許さない」
そこでエスペルは言葉を切った。感情の昂りを落ち着けるかのように一呼吸し、
「なあライラ、セラフィムはカブリアで……霧のドームの中で、何をしている?これから、何をする?」
「だから、それは……」
「あいつらはまた、人を殺すか?」
「……」
ライラは絶句した。
「答えられない、か?」
それが答えであるような気がした。
「ごめんなさい、私……」
エスペルは瞼を閉じ、深く息を吐いた。
「いいさ、何も言わなくても。下っ端でしかも逃亡中のお前を責めても、仕方のないことだ。セラフィムにもボスがいるんだろう?イヴァルトよりもっとずっと偉いやつがさ。俺はいつか、そのボスとカタをつけようじゃないか」
そのとき、ギイと大聖堂の扉が開く音がした。
はっとして振り向くと、聖堂に勤める神職の女性が入ってきた。
女性はエスペルたちを見て、驚いた声をあげる。
「あら!?トラエスト城の皆さんですよね。つい先ほど、お連れのお二方はお帰りになりましたが」
あっ、とエスペルは気まずそうに、ぺこりと頭を下げた。
「そ、そうですか、長居してすみません」
女性は親切そうに微笑んだ。
「いえ、好きなだけいて下さっても結構ですよ、当聖堂は旅の方をお泊めする宿も併設しております。我々を救ってくださった英雄ですもの、心を尽くして最大のおもてなしをいたします」
「いえいえ、そんな!お気持ちありがとうございます!」
エスペルは恐縮して頭を振り、ライラを伴ってキリア大聖堂を後にした。
※※※
キリア大聖堂を出たエスペルは、城に戻る前に寄りたいところがあると言った。
今二人は、大きな川を臨む、草に覆われた土手にいた。
「寄りたいところ、って、ここ?」
「うん、そう。せっかく南のほうまで来たからさ」
ゆったりと流れる穏やかな大河。
対岸には過去の戦時に使われていたという古城の廃墟が見えた。
帆船がいくつか、川面をすべっていく。
二人の背後には、深緑の葉をしげらせる鬱蒼とした木々が屹立し、その向こう側の帝都の喧騒を遮断していた。
エスペルは、よっ、と石を川に投げ込みながら、川の説明をする。
「この川はテイム川って名前でさ、世界の西端って言われてるラック大山脈の雪解け水が支流の、長い長い大河なんだ。大山脈のてっぺんからやってきた水がさ、カブリア王国の長城の北西水門から領内に入って、王国内を南に下って、長城の南西水門を抜けたら大きく東に湾曲。そして長城の南門前を通って、荒野をまだまだ東に流れて、帝国領を貫く。それを今、俺達が眺めている。王国のテイム川はもっと小さいのに、ここのは大きいな」
ライラは、曲げたひざを抱えて座っていた。
そのひざにあごをうずめて、呟いた。
「長ったらしくて何を言ってるのか全然分からないけど、つまり……あなたの故郷に繋がる川なのね」
エスペルが意外そうな顔をしてライラを見る。
「お、やるなライラ。人間の心の機微、分かってきたじゃないか」
「なあに、その上から目線」
「さっきはごめんな、ちょっと熱くなっちまった」
「……」
ライラはうつむき、黙っている。
「何を考えているんだ?」
エスペルは、自分がぶつけたありのままの思いが、ライラの中でどう消化されたのか知りたくなった。
「どうしようかな、って」
「なんだそれ」
ライラは一つため息をついた。
「私は……今日一日を生き伸びる、それしか考えて来なかったわ。死霊傀儡を、私を殺しに来た敵を倒し、生き残る、一日でも長く。それだけ。でも、それだけじゃ駄目なのかも、って……。私はこれから、どうしたいんだろうって……」
「ライラのこれから、か……」
エスペルはライラの隣にこしかけた。
そしてどこか言いづらそうに、
「お前は半人間なんだよな?だったら、人間として生きることも……」
「えっ……!?」
エスペルは自分の後頭部をかいた。
「あ、いや、なんでもない……。生き延びるためには、死霊傀儡、なんとかしねえとな。セラフィムが死霊傀儡を送ってこれなくなる方法、何か思いつかないか?」
「そうね、考えてみるわ」
二人はしばらくじっと、大河の流れを見つめていた。
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