第2話 王国の遺民

 <運命の出会い>からさかのぼること、半年前。


 「聖騎士さまあー!じゃなかった……。先生〜!エスペル先生ー!」


 新緑のまぶしい石畳の広場を、キリア都立学校中等科の女生徒がかけてくる。

 最初に聖騎士と呼ばれ、先生と呼び直された男は、足を止め振り向いた。

 

 こげ茶色の髪と、猫を思わせる大きなつり気味の黒い瞳。

 二十歳になったばかりのその外見は、まだ少年の面影を色濃く残す。

 高等科の生徒に紛れても、違和感はないだろう。


「パルナかよ、なんだ?」


「明日のテストの範囲はどこでしたっけ〜?」


 エスペルはあきれ顔でため息をついた。


「おいおい。先週の授業を聞いてなかったのか?星学は万有引力と太陽系の成り立ちについて、生命学は進化論についてだろ?」


「あ、そうでした!」


「一夜漬けかよ。そんなんじゃ身につかねえぞ」


「えへへ、すみませーん!」


 ぺろり、と舌を出したかと思えば、手を振ってまた駆け出していく。


「ったく……」


 だがまあ、元気が出て来て良かった、とも思う。

 聖騎士、と呼ばれたのは久しぶりだった。


 「死の霧」に閉ざされた祖国、カブリア王国の在りし日の姿が胸に浮かんだ。

 パルナのようなカブリア王国の遺民は、まだエスペルを聖騎士と呼ぶことがある。


 ……いやいや。


 「遺民」という言葉を脳裏に描いた己をエスペルは叱咤した。

 まだだ。まだカブリア王国は滅びてなどいない、と。

 エスペルが今いるトラエスト帝国もその帝都キリアも、所詮は外国だ。自分はまだカブリア王国民だ、と。


 小国でありながら、強大な力を持つ帝国の信頼を得て王国としての存続を勝ち取った、誇るべき祖国。

 カブリア王国はトラエスト帝国支配下にありながらも、貢納や従軍など諸々の義務を果たすことで事実上の独立を許されていた。

 有史以来、一度も異民族の征服を許したことのない、古い歴史を持つ国。


 だがその歴史は、あの「地獄の六日間」で粉々になった。

 人類の敵、「セラフィム」によって。


 一年前、カブリア王国の上空に突如、謎の空中宮殿が出現した。

 天空に浮かぶその宮殿から、幾千もの敵が出現した。


 彼らは姿形は人間そっくりだが、背中に二枚の羽が生えていた。

 広げた両腕よりも大きな、虫のはねように透き通る、幻想的な一対の羽。


 彼らは自らを「神の御使い」あるいは「セラフィム」と名乗った。


 セラフィムは人々を無差別に殺戮し、「地獄の六日間」の末にカブリア王国全土を制圧した。


 カブリア王国の避難民の多くが帝都に逃れて来てから、一年が経とうとしていた。

 つまり「地獄の六日間」から、一年が過ぎたということだ。


 ……取り戻す。


 エスペルはそう、心に誓った。

 必ずセラフィム共を殲滅し、王国を奪還してやる。


 それが己の使命なのだ、と。

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