第11話 ホタルと水戸黄門からの宿題

天下分け目の関ヶ原、徳川家康とくがわいえやすひきいる東軍と石田三成いしだみつなりひきいる西軍が雌雄を決してから400年。どういうわけかペリーの黒船は浦賀に来航せず、プチャーチンのロシア艦隊も長崎に姿を見せず、安政あんせい大獄たいごくもなかった。


となると桜田門外の変は起こりようもなく、下田・函館はもちろん横浜・神戸も開港せず、米国領事のハリスや英国領事オルコックは一度も日本に来ることなく幕末の嘉永かえい・安政・万延まんえん文久ぶんきゅう元治げんじ・慶応は過ぎていった。


開国鎖国に尊皇攘夷、勤王か佐幕かといった国論を分けた大動乱も起きないまま平穏に徳川幕府は18代将軍の御世みよを迎えていた。ここでは今も江戸時代。


神田小泉町の一角、瀟洒しょうしゃな料亭の中庭では楓やモミジに銀杏の木が鮮やかに色づいている。パラレルワールドに来てからはや3カ月が過ぎ、江戸は秋の盛りを迎えていた。


江戸随一の料亭「万七楼まんしちろう」の奥座敷では若い娘たちが楽しげにおしゃべりをしている。


「それにしても、こうして3人だけで会うのって久しぶりだよね」

「サクラの言うとおりだわ。なにせホタルは外出もままならない、どこに行くにも御付おつきがいっしょの箱入り娘だからね」


と、カホルは3人の中でいちばん綺麗きれいな娘を見やりながら言う。


「箱入り娘言うな!」


薄紅の縮緬ちりめんに鮮やかな紅葉を染め上げたあわせをまとい、紅い鹿の子の手柄てがらに艶々した美しい髪をからめ、結綿髷ゆいわたまげに結い上げた愛らしいかんばせから出た乱暴な言葉に誰も気にする風はない。


「だってそうじゃない。水戸の殿様のところに行くとか市村座の周五郎しゅうごろうさんに習い事で行くとか、特別な理由がなければ親から外出許可が出ない深窓の令嬢なんでしょ?」


カホルがたたみ掛ける。


「うっ」


色白で透きとおるような素肌をしてはいるが、中身は男子高校生であるホタルが言葉に詰まった。


「だからこうして、私たちの方からわざわざアンタのところに来てあげてるんじゃないの」


そう言うカホルは、長い髪をポニーテールにした若衆髷わかしゅわげに小太刀を差した袴姿はかますがたで、ホタルより余程に男の子っぽい。


「それもあるけど、ホタルんちは料理屋さんだから何か美味しいもんご馳走になれるかもしれないしね!」


ポッチャりした体をかすり単衣ひとえと赤い半幅帯でラッピングしたサクラが期待に目を輝かせながら言った。


「サクラ、アンタは食べることしかないんかい!」


と、廊下を軽い足音が近づいてきた。


「お嬢様、こちらにお茶をお持ちしました」

「ありがとう。さよ」


敷居に控えたホタル付きの女中さよは手に盆を抱えている。


「うわあ~♪なんかあるよ!そのはちの中身はなあに?」

「こら!サクラ。ほんと、あんたときたらハシタないんだから」


そんな様子にさよが笑いをかみ殺している。


「さよ、今日のお茶うけはなにかしら?」

「お嬢様方がお揃いということで旦那様が甘いものがいいだろうと仰って、丁度仕入れて参ったばかりの鈴木越後すずきえちご煉羊羹ねりようかんをお持ちしました」

「うわ~あ♪ヨウカンだぁ!」

「ありがとう。後はやっておくから下がっていいわ」

「はい。お嬢様」


さよが盆を置いて行ってしまうと、さっそくサクラはサッと手を伸ばして羊羹にかぶりついた。


「あ~しあわせぇ!甘いものなんて、ほんと久しぶりなんだもん」

「あのなあ、いくら飢えているからって私たちといっしょに食べるまで待てないのかね?」

「サクラ知ってるんだぁ。鈴木越後すずきえちごって江戸でもNo.1のお菓子屋さんなんだよぉ。将軍家とか御三家とかの御用達ごようたしなんだってぇ、パパとママが話していたもん」

「ちっ。なんも聞いちゃいないし」

「ま、いいけど。ほら、オレの分も食べていいよ。サクラ」

「わ~い!やっぱホタルは男の中の男の子だねぇお兄ちゃんだねぇ」


と言ってまた一口美味しそうにかぶりつく。サクラのいかにも感に堪えないといった表情に、ホタルもカホルも苦笑するしかなかった。


「で、ホタル。水戸黄門から出された宿題はできそうなの?」


先日、小石川にある水戸徳川家の上屋敷に呼び出された際に水戸中納言 徳川満圀とくがわみつくにから「その方、料理が得意と聞く。なにか作って見せよ。子らも喜ぶものがよい」と言われている件だ。


「それがさあ、まだ水戸のご家老さまから手紙が届いていないんだよね」

「そっか。ホタルが親に切り出すにしても、タイミングがあるものね」


なにしろバターやチーズにクリームも存在していない世界なのだ。前にいた21世紀の料理を作るためには材料から用意する必要があるのだ。


「そうなんだよ。うちは料理屋だけに動物系食材はタブーだから、余計に拒絶反応を示すんじゃないかと思ってさ」

「動物系食材ぃ?しばらくたべてないなぁ。あ~焼き肉食いてぇ」


羊羹を食べ終えたサクラがため息をつきながらしみじみと言った。


「サクラ、アンタはそういうことにだけは直ぐ反応するんだから!でもさ、ホタル。どうして江戸時代だとお肉を食べちゃだめなの?」

「うん、それがさ・・・」


徳川幕藩体制によって平和な世の中が長く維持されたのにはいくつかの要因があった。そのひとつが宗教。


戦国時代のさなかフランシスコ・ザビエルによってキリスト教の布教は始まったが、唯一絶対神の名のもと他宗教を排斥するかたくなさと、異教徒であれば躊躇ためらうことなく奴隷として売買し異国に連れ去る冷酷な裏の姿に、嫌悪をいだいた太閤秀吉が禁教令を出したのを皮切りに何度も布教を禁止されている。そしてついにキリシタンの一斉蜂起、島原の乱を契機として徳川幕府第2代将軍秀忠がキリスト教を完全に禁止する禁教令を発布。以降キリスト教は“邪宗門じゃしゅうもん”とされキリスト教徒は強制的に仏教徒へ改宗させられることとなったのだ。


同時に幕府は寺請てらうけ制度を開始し、日本国内津々浦々一族一家ひとり残らず仏教寺院の檀家だんかとして所属させた。つまりは日本人全員が仏教徒ということになったわけだ。


そして仏教の教えには禁忌事項タブーがある。なかでも日本では仏教伝来以降、いろいろな宗派が生まれ独自に発達していくうちに動物由来の食材、特に哺乳類ほにゅうるいを禁忌とする食に関する定めが一般化するようになっていた。


「・・・というわけで江戸時代は肉食がダメなんだよ」

「そうなんだ。どうりで毎日魚か豆腐か卵ばかり食事に出て来るわけか」

「あ~肉食いてぇ。カルビとハラミ食いてぇタン塩もいいなぁ」


よだれを垂らしながらサクラがつぶやいた。


「ま、動物由来っていっても肉じゃなくてミルクだったら牛を殺生せっしょうするわけじゃないから大丈夫とは思うんだけど」

「え?江戸時代って牛乳を飲む習慣あったの?」


カホルが当然の疑問を口にした。


「一般的にはなかったかも。なにしろホルスタインやジャージー種が日本に入って来たのは明治時代以後だから、乳牛がいたかは分からないけれど平安時代に牛車ぎっしゃがあったくらいだから役牛えきぎゅうは必ずいるはずなんだ」

「そっか!源氏物語の車争いね。葵の上が六条御息所の牛車を壊して恥をかかせた奴か」

「そうそう、よく知っているね。カホル」

「ふふっ女の子なら当然のたしなみよ!」


カホルが胸を張る。


「カホル、あんたの読んだのはコミックだったでしょ、確か」

「あっこら!サクラ、おだまり!」


痛いところを指摘されてカホルが赤くなった。


「マンガか。いいんじゃないの?むしろ紫式部の描く昔の言葉で書かれた物語を絵で伝えてくれている分、君たちにも平安時代の世界に入りやすかったはずだよ」

「あっ、なんか上から目線!感じ悪~う、ホタル」

「だって仕方がないじゃないか。オレ、古文の授業で源氏物語に興味をもって、与謝野晶子版と谷崎純一郎版の現代語訳を図書室で読み比べてみたんだ。だから、ちょっとは詳しいかも」

「へ~ちょっとは詳しいかも、だって。江戸検1級をかさに着て!ホタルってホント感じ悪~う!」

「あのね、平安時代と江戸検は関係ありませんから」

「ミルクかぁ。いいな~あ~クリームシチュー食べてぇチョコレートパフェ食べてぇ」

「サクラ!いい加減にしなさいよ!」


ともかく、万七楼に家老から書状が届いたタイミングでホタルが親に相談してみることになった。






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