第10話 水戸藩上屋敷
それから数日後のこと。いまも江戸時代が続くパラレルワールドの小石川水戸藩上屋敷奥御殿に、2008年の東京から迷い込んだ三人はいた。
「その方、名は?」
「ホタルにございます」
流れる
「いや、美しい。実に
「ほんにほんに」
一段高くなった上段の間から、殿様と奥方様がホタルの華麗な娘ぶりを見つめながら言った。
「して、その方は?」
隣りに目を向けると、
「カホルです」
「なるほど、大きいのう」
水戸中納言
「でしょでしょ? サクラは水戸黄門にウソつかないもん」
サクラはまったく緊張した様子も見せず、いつも通りの口調で言った。
「これ! サクラ控えなさい!」
「よいよい、勘解由。その方の娘は実に愉快じゃ。好きにさせえ」
「は、はあ・・・」
「それより、ホタルと申したな? その方、料理が得意と聞く。なにか作って見せよ」
「え? りょ、料理でございますか?」
「うむ。子らも喜ぶものがよい」
「で、でも・・・」
「できぬと申すか?」
「調理道具と材料がそろわなければ・・・」
「ふむ。
「御台所頭
しばらくして実直そうな侍が現れた。
「頼母。そこなホタルに料理を作らせよ」
「は。しかし・・・」
「いかぬか?」
「は。
「ええ~っ! そんなの変じゃん。カホルだってそう思うよね?」
「うん」
思わずサクラとカホルが不満の声をあげる。
「こ、これ。殿の御前じゃ。控えよ」
家老の
「よい、左近。ふむ。それにしても頭の固いことよの、頼母。しからば、その方の長屋の台所を使わせればよいではないか」
「え・・・」
思わぬ展開に御殿の料理人の元締めも二の句が継げない。
「あとは道具であったかな?」
「はい・・・フライパンとかオーブン、があるわけないよね。えっと、厚底の鉄鍋とふたのきっちり閉まる大きな鉄鍋はありますか?」
「その様なものはない、が、強いて言えば飯を炊く
「羽釜か・・・できるだろうか」
「それと必要な食材はなんじゃ?」
「あ、バターとチーズ、最低でもこのふたつがあればって、あるわけないよね。困ったなあ、そうだミルク、いや、牛の
ホタルが何を考えたのか理解した幼馴染が顔を見合わせた。
「へ~ホタルは原料から作っちゃう気なんだぁ」
「それって凄いかも! さすがリケジョだわ」
感嘆したようにサクラとカホルが言う。
「う、牛の乳だと? そのような
頼母がさも汚らわしいといった表情で言い切った。
「・・・ですよね」
「作れぬのか?」
ホタルが牛乳を諦めかけると、水戸黄門が残念そうな声で言った。
「まず、牛の乳を使って食材を作り出すところから始めないとなりません」
しばらく黙考したホタルは、できそうなことから冷静に段取りを考えた。
「食材とな。牛の乳から何を作るのじゃ?」
「例えてみれば、豆から豆腐や
「そうか。うむ? 確かその方の家は
「はい」
「であれば牛の乳の食材もできよう。早々に作ってみせよ。左近、万七楼の主に徳川満圀の所望じゃと申し伝えよ」
「は。畏まってござる。万七楼はわが藩がしばしば宴席に使う料亭であれば、
こうしてホタルはパラレルワールドの江戸時代で、現代の料理を再現しなければならないことになってしまった。
「さて、カホルとやら。その方、女だてらに剣技に秀でておるそうじゃな? 腕前を見せてみよ」
「ここで、ですか?」
「うむ。そこの庭先でよかろう。そうじゃ水戸家の流儀は
「剣術指南役 千葉兵庫にござる」
威風堂々とした壮年の武士が名乗った。
「この人が周作の子孫か・・・」
「え? シュウサクって遠藤?」
ホタルのつぶやきを聞いたサクラがトンチンカンなことを言う。
「兵庫、そこな女剣士と手合わせをして見せよ」
「は。して、そなた様は?」
「わ、私はカホル。えっと、冬影かほるです」
「冬影・・・とな。しからば、
「はい。
「ほう、主水殿の
「ええええい!」
≪カシッ≫
兵庫が横払いに受けたと同時に竹刀が絡み合ったまま動かなくなった。
「むっ」
「うっ」
互いに歯を食いしばり、ビリビリと腕が震えている。相手を押し除けようと力を振り絞っているが力が均衡して
「す、すごい・・・」
縁側で観戦していたホタルが思わずつぶやく。サクラは凄まじい力と力の激突に声も出ない様子だ。
水戸徳川家の上屋敷は、今で言う小石川後楽園。大名屋敷の壮大な回遊式庭園の中にある御殿前の庭は鬱蒼とした木立に囲まれていた。夏の終わりの昼下がり、蝉が季節に追われるように伴侶を求め鳴いている。と、なぜか急に鳴き止んだ。
蝉しぐれが止まった瞬間、双方がまったく同時に背後に飛び下がった。
「むっ」
「うっ」
見合ったまま両者正眼の構えに戻り向かい合う。
「ふっ」
口元に声のない笑いを浮かべると、千葉兵庫は竹刀を引いた。
「殿。本日は引き分けといたしましょう。この娘御、相当な遣い手に育つとみました」
「ほほう、兵庫が褒めるとは珍しいのう」
「は。将軍家が楽しみにされておられる御前試合には百鳴館も招かれましょう。そこまで修練を積まれたうえで、本気の立ち会いがいたしとうござる」
「ご、御前試合?」
思わずカホルは驚きの声をあげた。
「左様、十八代将軍
「しかし兵庫。
「殿。その心配はご無用かと。
「ほほう。さようか」
水戸中納言 徳川満圀は感心したようにカホルを見つめ直した。
「ならば次の御前試合には忘れずこの者を推挙いたすとしよう。左近、よお覚えておけ」
「は」
家老の朝比奈左近は、そばに控える
「ね、ね、水戸黄門。サクラのお友だちふたり、ここに連れてきてよかったでしょ?」
「こ、これ! さくら。口を慎みなさい」
「よいよい、勘解由。確かにさくらの申す通りであったぞ。異世界の料理に異世界の剣術、そしてその方の娘さくらの異世界の舞いか。これは楽しみが増えたわ」
「ほんに。殿は新しきもの、珍しきものには目がござりませぬゆえな。
上機嫌の水戸中納言とその
こうして2008年の吉祥寺からパラレルワールドの江戸時代に紛れ込んでしまった幼なじみの3人は、この世界の徳川幕府の
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