第10話 水戸藩上屋敷

それから数日後のこと。いまも江戸時代が続くパラレルワールドの小石川水戸藩上屋敷奥御殿に、2008年の東京から迷い込んだ三人はいた。


「その方、名は?」

「ホタルにございます」


流れる水面みなもに浮かぶ鮮やかな色紅葉いろもみじが見事な友禅染のあわせをまとい、愛らしい淡紅藤うすべにふじ手柄てがらをからめて結い上げた結綿髷ゆいわたまげに秋らしく萩の花のはなかんざしを挿したホタルが、伏し目がちに恥じらいながら頬を染める。水戸藩主からの呼び出しということで、器量よしのホタルを見れば奥女中にと召し上げになるのではないかと心配したが、そこはそれ江戸一番の料亭のひとり娘の披露なものだからパラレルワールドの両親が目いっぱい着飾らせたのだ。


「いや、美しい。実に見目みめ麗しいのう」

「ほんにほんに」


一段高くなった上段の間から、殿様と奥方様がホタルの華麗な娘ぶりを見つめながら言った。


「して、その方は?」


隣りに目を向けると、羽織はおりはかま脇差わきざし若衆わかしゅ姿、正座していてもポニーテールの頭が一つ抜き出ている娘に尋ねた。


「カホルです」

「なるほど、大きいのう」


水戸中納言 徳川満圀とくがわみつくには、サクラの父で能楽師家元の吉祥きっしょう勘解由かげゆに引き連れられて御前ごぜんに召し出された新たな娘ふたりに興味津々といった様子だ。


「でしょでしょ? サクラは水戸黄門にウソつかないもん」


サクラはまったく緊張した様子も見せず、いつも通りの口調で言った。


「これ! サクラ控えなさい!」

「よいよい、勘解由。その方の娘は実に愉快じゃ。好きにさせえ」

「は、はあ・・・」

「それより、ホタルと申したな? その方、料理が得意と聞く。なにか作って見せよ」

「え? りょ、料理でございますか?」

「うむ。子らも喜ぶものがよい」

「で、でも・・・」

「できぬと申すか?」

「調理道具と材料がそろわなければ・・・」

「ふむ。頼母たのもをこれへ」




「御台所頭 田所たどころ頼母にござる」


しばらくして実直そうな侍が現れた。


「頼母。そこなホタルに料理を作らせよ」

「は。しかし・・・」

「いかぬか?」

「は。女人にょにんにござりますれば御殿の御台所に入れるわけには・・・」

「ええ~っ! そんなの変じゃん。カホルだってそう思うよね?」

「うん」


思わずサクラとカホルが不満の声をあげる。


「こ、これ。殿の御前じゃ。控えよ」


家老の朝比奈左近あさひなさこんが慌てて制止した。


「よい、左近。ふむ。それにしても頭の固いことよの、頼母。しからば、その方の長屋の台所を使わせればよいではないか」

「え・・・」


思わぬ展開に御殿の料理人の元締めも二の句が継げない。


「あとは道具であったかな?」

「はい・・・フライパンとかオーブン、があるわけないよね。えっと、厚底の鉄鍋とふたのきっちり閉まる大きな鉄鍋はありますか?」

「その様なものはない、が、強いて言えば飯を炊く羽釜はがまが近いものか」

「羽釜か・・・できるだろうか」

「それと必要な食材はなんじゃ?」

「あ、バターとチーズ、最低でもこのふたつがあればって、あるわけないよね。困ったなあ、そうだミルク、いや、牛のちちはありますか?」


ホタルが何を考えたのか理解した幼馴染が顔を見合わせた。


「へ~ホタルは原料から作っちゃう気なんだぁ」

「それって凄いかも! さすがリケジョだわ」


感嘆したようにサクラとカホルが言う。


「う、牛の乳だと? そのような下卑げびたものがあるわけがない」


頼母がさも汚らわしいといった表情で言い切った。


「・・・ですよね」

「作れぬのか?」


ホタルが牛乳を諦めかけると、水戸黄門が残念そうな声で言った。


「まず、牛の乳を使って食材を作り出すところから始めないとなりません」


しばらく黙考したホタルは、できそうなことから冷静に段取りを考えた。


「食材とな。牛の乳から何を作るのじゃ?」

「例えてみれば、豆から豆腐や湯葉ゆばを作るようなものでしょうか」

「そうか。うむ? 確かその方の家は万七楼まんしちろうであったな」

「はい」

「であれば牛の乳の食材もできよう。早々に作ってみせよ。左近、万七楼の主に徳川満圀の所望じゃと申し伝えよ」

「は。畏まってござる。万七楼はわが藩がしばしば宴席に使う料亭であれば、あるじ久右衛門きゅうえもんにも否やはありますまい」


こうしてホタルはパラレルワールドの江戸時代で、現代の料理を再現しなければならないことになってしまった。




「さて、カホルとやら。その方、女だてらに剣技に秀でておるそうじゃな? 腕前を見せてみよ」

「ここで、ですか?」

「うむ。そこの庭先でよかろう。そうじゃ水戸家の流儀は北辰ほくしん一刀流じゃ。その方、手合わせをせよ。兵庫ひょうごをこれへ」




「剣術指南役 千葉兵庫にござる」


威風堂々とした壮年の武士が名乗った。


「この人が周作の子孫か・・・」

「え? シュウサクって遠藤?」


ホタルのつぶやきを聞いたサクラがトンチンカンなことを言う。


「兵庫、そこな女剣士と手合わせをして見せよ」

「は。して、そなた様は?」

「わ、私はカホル。えっと、冬影かほるです」

「冬影・・・とな。しからば、冬影主水ふゆかげもんど殿の縁戚えんせきか?」

「はい。百鳴館ひゃくめいかんで父に稽古をつけてもらってます」

「ほう、主水殿の娘御むすめごとな」




「ええええい!」


裂帛れっぱくの気合いとともにカホルが大上段から竹刀を振り下ろした。


≪カシッ≫


兵庫が横払いに受けたと同時に竹刀が絡み合ったまま動かなくなった。


「むっ」

「うっ」


互いに歯を食いしばり、ビリビリと腕が震えている。相手を押し除けようと力を振り絞っているが力が均衡して寸毫すんごうも動けないのだ。打ち合うにはどちらかが間合いを外さなければならない。仕掛けられるか仕掛けるか、お互いタイミングを窺ったままにらみ合う。


「す、すごい・・・」


縁側で観戦していたホタルが思わずつぶやく。サクラは凄まじい力と力の激突に声も出ない様子だ。


水戸徳川家の上屋敷は、今で言う小石川後楽園。大名屋敷の壮大な回遊式庭園の中にある御殿前の庭は鬱蒼とした木立に囲まれていた。夏の終わりの昼下がり、蝉が季節に追われるように伴侶を求め鳴いている。と、なぜか急に鳴き止んだ。


蝉しぐれが止まった瞬間、双方がまったく同時に背後に飛び下がった。


「むっ」

「うっ」


見合ったまま両者正眼の構えに戻り向かい合う。


「ふっ」


口元に声のない笑いを浮かべると、千葉兵庫は竹刀を引いた。


「殿。本日は引き分けといたしましょう。この娘御、相当な遣い手に育つとみました」

「ほほう、兵庫が褒めるとは珍しいのう」

「は。将軍家が楽しみにされておられる御前試合には百鳴館も招かれましょう。そこまで修練を積まれたうえで、本気の立ち会いがいたしとうござる」

「ご、御前試合?」


思わずカホルは驚きの声をあげた。


「左様、十八代将軍 家満いえみつ公は武術がお好きでたびたび御前試合を開いておられる。百鳴館はその常連だ。ましてや殿がご推挙されれば其処許そこもとは必ず招かれることになる」

「しかし兵庫。女人にょいんの身で御前試合の強者つわものと互角に戦えようかの?」

「殿。その心配はご無用かと。膂力りょりょくでも竹刀捌しないさばきでも、並みの男より上でござる」

「ほほう。さようか」


水戸中納言 徳川満圀は感心したようにカホルを見つめ直した。


「ならば次の御前試合には忘れずこの者を推挙いたすとしよう。左近、よお覚えておけ」

「は」


家老の朝比奈左近は、そばに控える祐筆ゆうひつに殿の言葉を書き取らせた。


「ね、ね、水戸黄門。サクラのお友だちふたり、ここに連れてきてよかったでしょ?」

「こ、これ! さくら。口を慎みなさい」

「よいよい、勘解由。確かにさくらの申す通りであったぞ。異世界の料理に異世界の剣術、そしてその方の娘さくらの異世界の舞いか。これは楽しみが増えたわ」

「ほんに。殿は新しきもの、珍しきものには目がござりませぬゆえな。わらわも殿がお喜びになるのが嬉しゅうござります」


上機嫌の水戸中納言とその御簾中ごれんじゅうの喜久子であった。

こうして2008年の吉祥寺からパラレルワールドの江戸時代に紛れ込んでしまった幼なじみの3人は、この世界の徳川幕府のまつりごとの中枢に一歩近づくこととなったのである。

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