第9話 水戸黄門

時はめぐり、熱暑に包まれていた江戸の空が急に高く感じられた日のこと。

ようやく訪れた秋の気配にひと息つけたのか、久しぶりにカホルがホタルを訪ねて万七楼にやって来た。

今回もまたはかまに二本差しの若衆わかしゅ姿。またひとりで来ているところを見ると、すっかり親も娘の単独行動を公認してしまった様子だ。


「ふ~ん。その役者のおじいさん、すっかりホタルのことを気に入ってしまったみたいね」


ホタルの話を聞いてカホルが感心したように言った。


「そうなんだ。夏の間せっせとかよって、帯の結び方とか、まげの結い方、くしかんざしこうがいの差し方、懐紙かいしの使い方に扇子せんすあおぎ方とか、江戸時代の女の子だったら誰でも当たり前にできる、今のオレが絶対に覚えておかなきゃいけないことを手取り足取り仕込んでもらってる。ほんと力になってもらえてるんだよ」

「そうか、よかったじゃないの」

「うん、助かっている。だけど、カホルの方は大丈夫なのか? オレよりカホルの方がそういうことはしっかり教わらなくちゃいけないんじゃないのか? もうここは東京じゃないんだからさ」

「うっ」


言葉に詰まったのか、カホルが目をパチクリさせた。


「そ、そういえばホタル。しばらく見ないうちにあんた、また一段と綺麗になっていない?」

「え・・・そ、そんなことないと思うけど」

「いいえ、ぜったい前とは違うわ。肌が透き通ってきているし、なんだか体つきも丸味が出てるっぽいし、あれ? ひょっとして、その胸、膨らんできていない?」


と、カホルが胸をジッとみたので思わず両手で隠してしまった。


「そういう仕草なんか本物の女の子みたいよ、ホタル。ひょっとして例の薬の効果が現れてきているんじゃないの?」


江戸を代表する官許かんきょの芝居小屋、市村座で立女形たておやまをしている十二代目橘屋周五郎から貰った、役者仲間に伝わる秘伝の薬のことだ。と言っても、大豆・くず・ムラサキツメ草という普通に口にする食べ物を干して粉に引いたものなのだが。いずれもイソフラボンの含有量に優れているから、女性ホルモンと似た効果があるのだろう。しっかり塗り込んで胸をもむようにとも指導されていたので毎日続けてきていた。


「そ、そうかな」

「このまま上手うまくいけばあんた、十分こっちの女の子で行けるわよ!」

「あ、ありがとう・・・」


とは言ったものの、生まれついた性を否定されたわけで、ホタルとしては複雑な気持ちになってしまう。


「オ、オレのことより、そうだ! サクラはその後どうしているの?」


どもりながら話題を変える。


「なにせ、うちみたいに大店おおだなのお嬢様ってさ、絶対ひとりじゃ外出させて貰えないから会いにも行けないんだよ」

「ふふん、ホタル。あんたも親にオネダリしてうちの道場に通えば? そうすりゃ、わたしみたいに親公認で一人歩きOKになるよ」

「知ってるだろ。オレ、運動神経ないからな・・・それに筋肉がついたりしたら、男だってバレそうだし」

「そっか。剣道で鍛えて男性ホルモンをビジバシ分泌しちゃうと困るか。女の子に化けなきゃならない男はつらいね。じゃあ、わたしがサクラの様子も見て来てあげるよ。ホタルはお家にいて乙女らしくしてなさい」





「と、言うわけなのよ」


サクラは、幕府御用能楽師の家元の娘となってから今日までの出来事をカホルに話して聞かせた。


「・・・サクラ。あんたはこっちでも全然変わってないみたいね。言葉づかいも、その態度、というか性格も」

「うん。パパもママもやさしいよ」

「パパ・・・ママ・・・その呼び方だって、あんたの親、よく認めてくれてるよね?」

「うん。ところでさぁ、ホタルはどんな感じ?」


カホルは、ホタルを支援してくれる女形役者の老人が現れたこと、貰った薬が効いたのかますます綺麗な娘になっていることなどを話した。


「へ~え、よかったねぇ。でもさ、ホタルの家って料理屋さんなんでしょ? 毎日すっごいご馳走食べられるんだろうね。いいなあ」

「サクラ・・・相変わらずね。あんた、ホタルの心配よりそっちの方に関心がいっちゃったわけね」

「うちなんか踊りの先生じゃない? そんなにもうからない商売らしいんだ。おかずはひと品だけ。それも毎日毎日、豆腐料理ばっかだしつまんないよ」

「ま、まあそうだろうね。うちも町道場だから、質実剛健ってやつでサクラのとことと変わらないかな」

「その点、ホタルんは料理屋さんだから“まかない”も美味しいだろうしバリエーションもきっと豊富で、毎食同じってことはないからあきないよね。ひょっとしたら、残り物のおすそ分けだって、しょっちゅうあるのかも」


と言ったサクラを見れば、今にもよだれを垂らさんばかりのうっとりした表情だ。


「あ~あ、いいなあホタルは。小学校の頃からホタルはお料理も上手だったし料理屋さんの娘って向いてるのかもね」

「ま、まあね。あんたと話していると、ほんとペースが狂っちゃうわ。ところでなんかトピックスある? ホタルもしばらく会えていないから、あんたのこと気にしていたし。サクラの様子をあいつにも伝えておくけど?」

「そうだなあ、ここひと月のトピックスというと・・・あ! そうだ。明日、水戸黄門みとこうもんのおうちに呼ばれているんだった」

「み、水戸黄門のおうちぃ!?」


カホルは思わず大きな声で聞き返してしまった。


「うん。水戸黄門だよ。パパが踊りの家庭教師している関係で、サクラもお屋敷に呼ばれたんだぁ。それからカホル。あんまり大きな声出さないでね、いまパパ稽古中だから」

「あ、ごめん。ところで大丈夫なの、あんた?」

「え? なにが?」

「いや、その、そんなタメ口で偉いひとの家に行ってもいいわけ?」

「仕方ないでしょ? サクラはサクラなんだもん」

「・・・」


返す言葉もなく、じっとサクラの顔を見つめるカホルだった。






「いや見事じゃ!」

「ほんにまことに!」


翌日、小石川にある水戸徳川家の上屋敷の奥まった一室で、サクラはいつものブレイクダンス系の振りで踊ってみせたのだ。水戸中納言 徳川満圀とくがわみつくにとその正室である喜久子きくこが感嘆の声を上げる。いっしょに観覧している若君姫君も人間業にんげんわざとは思えぬ動きにびっくりしている。


「お、恐れ入りたてまつりまする。こ、これ、さくらお辞儀じゃ! 早くを低くするのじゃ!」


吉祥流きっしょうりゅう家元で父の勘解由かげゆが慌ててサクラに注意する。


「え? こう?」 

「立ったままお辞儀する奴があるか!座るのじゃ!」

「ええ~これでいい?」

「ほれ、頭じゃ!頭を低くするのじゃって!」

「こんくらいでいい?」


父娘おやこのやり取りを見ていた殿様と奥方様が声をあげて笑いだした。


「わはははっ! よいよい。今日は内輪うちわじゃ。かた苦しいことは抜きで構わぬわ」

「おほほほほ、ほんに無邪気むじゃきな娘子じゃ」

「え?」


サクラはキョトンとしてお辞儀も忘れフリーズしてしまった。それを見て殿様と奥方様の笑いがさらに大きくなった。


「お、恐れ入りたてまつり」

「わはははっ! よいよい、勘解由。しかしその方の娘、吉祥流の舞いとはまったく違う流儀であったな?」

「は。行方知れずになっておりました三年の間に身に着けたもののようでして」

「ふむ。さくら、と申したな?」

「うん。サクラだよ」

「これ! 殿の御前でそのような口をきいてはならん!」


そば近くに控えていた水戸徳川家家老 朝比奈あさひな左近さこんが慌てて制止した。


「よいよい、構わぬ。して、さくら。その方、行方知れずの間どこにったのじゃ? その話を聞かせよ」

「いいよ。でも信じてくれるかなあ。あのね、サクラはあの時お友だちと3人でね・・・」


サクラは吉祥寺で盆踊りに出かける途中立ち寄った『不知藪やぶしらず』で、急に動き出した星間ゲートの中に入り込んでしまってからの経緯いきさつをかいつまんで話した。


「ふうむ。誠にもって奇怪千万きっかいせんばんな話じゃ」

「うん。サクラだって信じられないんだもん。 だけど、今こうなってるわけじゃない? これじゃあ3人とも元の世界に帰れそうもないでしょ? だから、ここで生きていく覚悟を決めたってわけ」


と言いながら、サクラは自分の言ったことにうんうんと頷いた。


「して、その方。実に見事な舞いであったが、三人ともに舞いは達者なのじゃな?」

「うううん、ちがうよ。サクラはダンスが部活だから得意なんだけど、カホルもホタルも踊りはいまいちね。カホルはね、とっても背が高くて剣道のほかスポーツなら何でも得意なんだよ。ホタルの方はスポーツはからっきしだけど、勉強は得意。それに料理がとっても上手な可愛い子なんだよ」


話を聞いていた殿様と奥方様が顔を見合わせ、サクラの言ったことが理解できたのか確認しあっている。


「ぶ、ぶかつ・・・だんす・・・いまいち・・・すぽおつ・・・それはいったい何じゃ?」


と殿様が尋ねたので、サクラの父勘解由が額の汗を拭いながら一礼して背を起こした。


「は。娘から聞き取っておりますゆえ手前からご説明申しあげまするが、おそらく“ぶかつ”とは手習い、“だんす”とは踊りや舞いのことにござります。“いまいち”と申しますのは、いまひとつ不足である、との意。また、“すぽおつ”というのはどうやら体を動かす遊びのことのようでして。ついでに申し上げますと“からっきし”とはまったく、の意味でござります」

「なるほどの。異世界ではそのように申すか。面白いことよの。そうじゃ! サクラ。その方の友ふたりを連れて参れ。うてみたい。左近、勘解由と善きにはからえ」

「は、はい」






サクラが水戸藩上屋敷に行った翌日、神田松枝町かんだまつがえちょうの能楽師屋敷にカホルが心配して訪ねて来た。


「えっ? 水戸黄門が私たちも呼んでるって?」

「そうだよ」

「なんでそうなっちゃうのよ!」

「だって、水戸黄門がいろいろ尋ねてくるもんだから、ついついカホルとホタルのことも話しちゃったんだよね」

「ま、いいか。それはそれで3人いっしょに会えるいい機会かも。んじゃホタルにはこのこと伝えておくね」


と、いつもながら楽天的なカホルであった。






「ど、どうしてお前のところに水戸様からおめしがあるんだよお!」


ホタルの母ふじが悲鳴のように声をあげた。


「水戸のお殿様がサクラの話を気に入ってしまって、あ、あたしたちにも行方知れずのときの話を聞きたいんだって」

「そうは言ったって・・・お前さん、ひょっとして器量きりょうよしのホタルの噂を聞きつけて、御殿に召し上げようなんて話じゃないだろうね?」

「うむ・・・とは言ってもなあ、水戸様のお呼び出しを断るとなれば一大事だぞ」


と、江戸随一の料亭「万七楼」のあるじであるホタルの父 久右衛門は、サクラの父 勘解由を通して届けられた水戸藩家老からの書状を手に渋い表情で答えた。


「大丈夫よ。サクラのお父さんの吉祥流家元が連れて行ってくれるんだし、カホルとサクラもいっしょなんだから」

「なにお気楽なこと言ってるんだよ、この子は。相手は徳川御三家、三十五万石の中納言様なんだよ!」

「大名屋敷って一度行ってみたかったんだよね・・・オレ」


と最後に声を潜めて「オレ」とつけ加える、江戸検1級合格者のホタルだった。

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