第7話 女形

「お嬢ちゃん、うまく 化けているね。お前さん、ほんとうは男の子だろ?」


そう言ったのは店座敷の奥から出て来た老人だった。耳元でささやくように言ったのだが、ホタルはびっくりして思わずまわりを見回した。


「!!」

「誰にも聞こえちゃあいないよ。それにしても見事な娘っぷりだ。うむ、実に器量がいい」


そう言った老人をよく見ると、なかなか高級そうな生地の着物を着て、身のこなしも老人にしてはしなやかだ。


「ど、どうして・・・」

「商売だからね。分かるんだよ」

「でも・・・」


老人はまわりを窺いながら、さらに声をひそめてホタルにだけ聞こえるように話し出した。


「ひとつ意見しよう。お前さん、いまさっきが出ちまったんだよ」

「?」

「悲鳴も娘になりきって叫ばないとな」

「あっ!」

「声を聴いておやっと思い、よく見たら顔の相に体つきが男の子だったってえわけだ」


嬉しそうに目を細めながら老人は言った。


「心配しなさんな。お前さんみたいに綺麗な娘を前にしたら誰だって目を奪われちまうさ。並みの人間じゃあ見抜けないよ」

「・・・」

せんの様子じゃあお前さんに仕えてる小女もお前さんの正体を知らないみたいだが。男だとばれちゃあ、いけない事情でもあるのかい?」


心配している表情に変わった。


「・・・オレが女じゃないこと、黙っていてくれるんですか?」

「オレ、な。その愛らしい口から出るとなんとも味わいがあるな。まあ、安心なさい。ばらしたからって何も私の得にはならないんだよ」

「・・・だったら話そうかな」

じゃの道はへびさ。お前さんが女になりきりたいと思っていなさるなら一肌脱ごうじゃないか。 その器量だ。男に育ってしまうには、いかにも惜しいよ」

「おじさんは・・・いったい誰なんですか?」

「わたしかい? ふむ。二丁町にちょうまちやぐらげている者さ」

「二丁町で櫓・・・え? ひょっとして役者さん?」


江戸時代最後まで官許かんきょの芝居が許されていたのは中村座、市村座、森田座の3座だ。いずれも引幕ひきまく芝居櫓しばいやぐらを許されていて、他の宮芝居などと格式の差をつけられていた。二丁町はその中村座がある堺町さかいちょう、市村座がある葺屋町ふきやちょう、隣り合う芝居町の代名詞なのだ。


「ちったあ名の知れた老人さ。ま、一度話をしにうちの小屋に顔をお出しなさいよ。市村座の周五郎の馴染みだと言ってもらえれば通じるようにしておくから。名前はなんて言うんだい? ホタルちゃんか、いい名だね。お、雷が遠ざかったと思ったら雨もあがったみたいだな」


財布から銭を取り出して赤い毛氈もうせんの上に置くと老人は立ち上がった。


「それじゃあご馳走さん。ここのあわぜんざいは逸品だ。齢をとると無性に甘いもんが食べたくなってね。また寄せてもらいますよ」

「いつも過分にありがとうございます。橘屋たちばなや旦那だんな


ホタルは、雨上りの道を遠ざかって行く老人の後姿を見つめたまま、いま言われたことの意味を考えていた。





「いやあ、あの後ホタルどうしたかなって思ったら気になっちゃってさ。ちゃんと一流料亭の娘やれてる?」


翌日、カホルが万七楼まんしちろうにホタルを訪ねて来た。もともとボーイッシュな性格で男の子っぽい挙動だったが、長い髪をポニーテールにした若衆髷わかしゅわげを揺らしながら腰に小太刀を差した袴姿はかますがたは実に恰好かっこうよかった。


「そう言うカホルは江戸でも屈指の大道場の娘なんでしょ? お嬢様がそんな男みたいな恰好してていいの?」

「ふふん。うちは親公認よ。ほんとは娘ひとりじゃ外出できないもんなんだそうだけど『ま、かほるには並みの男では手も出せまい』って今日もこうしてひとり歩きOKだったんだ」


と言いながら誇らしげに渋い男物の小紋こもん両袖りょうそでを広げて見せた。


「その様子じゃ・・・こっちでも剣道はじめちゃったみたいだね。本物のさむらい相手に竹刀しないを交えたりして大丈夫なの?」

「うん。いまのところ誰にも負けていない」


少しはにかみながらもカホルは自慢するように鼻の下を人差し指でこすった。


「すごい!」

「なんか相手の仕掛けてくる手がみんな見えちゃうんだよね」

「そっか。カホルはもともとスポーツ万能のアスリート系で動態視力がいいからな」

「生まれてこの方一度だってアッチ向いてホイでホタルに負けたことないしね」

「うう・・・」


そうなのだ。カホルの反射神経、運動神経は幼い頃から群を抜いていて、運動会や水泳大会ではいつも代表選手、武蔵野市にとどまらず東京都の公式記録を塗り替えてきていた。本人は「相手を大上段から一撃でぶっ倒す快感がたまらない」と言って剣道に打ち込んでいるのだが、体育祭とか都大会とかになると“助っ人”として各部から三顧さんこの礼をもって迎えられ出場している。


「へ~ここがホタルの部屋かぁ」


小ぶりだが総桐そうぎり和箪笥わだんす江戸指物師えどさしものしの熟練技による姫鏡台、朱漆しゅうるし衣桁いこうには見事な振袖と帯、日差しを防ぐ姫簾ひめすだれがかかった8畳ほどの江戸娘らしい部屋を興味深そうに見渡した。


「ちゃんと女の子らしく暮らしてるみたいじゃない。見た目はOKだけどあんたの心の中は大丈夫なの? なにか困ってることはない?」

「そりゃあ毎日男だってバレないかドキドキバクバクだよ・・・お風呂が内風呂なのでひとりで入れるからまだ助かってるけど」

「そっか! お風呂屋さんだったら、いくらホタルが可愛くても男だってわかっちゃうよね。で、今のところはバレてないのね?」

「うん、うちの中ではね・・・でも」

「ん? なによ?」

「それがさ、ひとりだけオレが男だってことを見抜いちゃった人がいるんだ」

「ええええっ?」


老役者と出会ったことを話したところ、どうやって力を貸してくれるつもりなのかは確認してみた方がいいと言う意見だった。ホタル自身も思っていたことなので一度二丁町の芝居小屋を訪ねてみることに決めた。


「母さん、あ、あたし・・・二丁町に行きたいんだけど・・・」

「おや、芝居見物かい? だったら母さんもしばらく行ってないから、いっしょに観に行こうかね。なにせお前、この器量だろ? 見物衆にちょっかいだされかねないやね」

「いえ、そうじゃないの。芝居見物じゃなくって、知り合いを訪ねたいんだけど・・・」

「知り合い? お前、二丁町に知り合いなんているのかい?」

「ええ・・・」

「ん? ひょっとして役者かい? うちの娘をたぶらかすなんてとんでもないよ! そいつ、なんて名なんだい? 言ってごらん?」

「・・・市村座の・・・周五郎さん」

「市村座の周五郎・・・って橘屋かい? 十二代目橘屋周五郎かい!? なんでほたるが当代随一の立女形たておやまと知り合いなんだよ?」


老人は歌舞伎役者で、しかも女形のトップスターだった。


「きのう玉姫稲荷の茶屋で雨宿りしたときに話をしたの・・・話のつづきがあるから一度訪ねて来てほしいって・・・」


出し渋る母親からようやく外出許可を取り付けたが、大事な大事な一人娘のお嬢様である以上、単独で出かけることなどはとんでもないこと、さよと行くことになった。






「おお、ホタルちゃんか。よく来てくれたね。そろそろ訪ねてくる頃合ころあいじゃないかとは思っていたが、お前さんと早いとこ話がしたかったんだよ」


数日後、市村座の楽屋裏をホタルは訪れた。周五郎は弟子に案内されてきたホタルとお付きのさよに向かってほほ笑みながら手招きをした。


太夫たゆう、こちらのすごい別嬪べっぴんさんはいったいどちらさんなんで?」

「ふふっ気になるかい」

「へえ、そりゃあもう。」

「おしえないよ」

「まあた、ご冗談を。このお嬢さんが小屋に入ってくるなり一座の者ども役者から木戸番までみな大騒ぎしてるんですぜ」


そう言いながら弟子の役者がまぶしそうにホタルを見つめた。


「わたしの茶飲み友達さ。このお嬢さんが訪ねてきたら、いつでもわたしのところに通してあげるんだよ。皆にもそう言っといとくれ」

「へえ」

「それとな、折り入ってホタルちゃんと話があるから、その間こちらの女中さんを小屋のなか案内してやっとくれ」


さよは、江戸でも1、2を争う人気芝居の小屋の中を見学できるという思いがけない幸運に顔を輝かせながら弟子に連れられてその場を離れて行った。


「見たかい? ホタルちゃん。ふだんから女には目の肥えているうちの連中ですらお前さんの器量には一目置いていたじゃないか。女として自信をもっていいよ」

「・・・」

「ま、そこにお座りよ。ああ、ひざは崩してかまわないからね」


ホタルは畳の上に横座りに腰をおろした。正座に慣れていないことをひと目で見抜かれてしまったみたいだ。


「野郎は膝が固くていけねえや。女みたいに正座のまま畳に尻をつけちゃあ座れないからね。さてさて、ホタルちゃん。お前さんがこうして訪ねてくる気になったのは、わたしがどうやって力を貸そうというのかが知りたかったからだね?」

「はい・・・本当に・・・女になれる方法があるんですか?」

「ある」


そう言うと周五郎は茶箪笥ちゃだんす抽斗ひきだしから紙包みを取り出して広げた。


「粉? この白い粉はいったい何なんですか?」

「ふふ、わたしら役者仲間の間に伝わる秘伝の薬さ。と言ったってごくごく普通の食い物から作られているんだがね。大豆とくずとムラサキツメ草を干して粉に引いたものなんだよ」

「大豆にくずにムラサキツメ草? ・・・そうか! イソフラボンか」

「磯、ふな、盆? 海に鮒はいないがな。ともかく、この薬を毎日欠かさず湯に溶いて飲むことで男の身体になるのを抑えることができるのさ」


イソフラボンは女性ホルモンのエストロゲンと非常によく似た化学構造になっている・・・だから、この粉薬は自然界にある女性ホルモン代用品から作られたものなのだ。昔から女になりたい男はいたのであり性適合治療は決して現代だけのものではなかったことに改めて気ずかされた。


「女形の役者なら誰でも使ってるってえわけじゃないよ。この子は将来凄い玉になると見込んだ男の子を仕込むためのものなんだ。まあ、一生女の姿で生きていくことにはなるがな」

「・・・」

「女みたいな乳房ちぶさが欲しけりゃ、この粉を練ってよく擦り込み、とにかくまめに胸を揉むことだ」

「オレの胸も・・・膨らんできますか?」

「ああ、間違いない。そのうち女みてえに乳首で感じるようになってもくる。ホタルちゃんは、まだ若いから今からなら十分体つきも作り変えることができるさ」

「・・・あの、し、下の方はどうしたらいいんでしょうか?」

「下の方? ああ、陽物ようぶつかい。男にとっちゃあ大きいに越したことはないが、女になろうというんじゃ男根と二つの玉は邪魔なだけだわな」

「やはりこの薬を擦り込めばいいのでしょうか?」

「擦り込めば小さくて目立たなくはなる。が、消えてなくなりはしないよ」

「どうすれば・・・」

「仕舞い込むんだよ」

「仕舞い込むって・・・どこに?」

「体の中に決まっているだろう。なかには刃物で切り取っちまう奴もいるが、そいつぁ剣呑けんのんだ。ま、体の中に隠しちまうやり方なら痛みもないからね。今日はこれからまだ芝居の出番があるので時間がないが、そのあたりのやり方は次の機会にじっくり教えてあげるよ。まずはこいつを試してみてご覧」


そう言うと周五郎は包みなおした粉薬をま新しい手ぬぐいにくるんでホタルに手渡した。手ぬぐいには橘屋の屋号が品よくデザインされている。


「おじさんは、どうしてオレに・・・そんなに親切にしてくれるんですか?」

「それはお前さんが類稀たぐいまれな美形だからだよ」

「・・・そんなことないです」

「いいや。このお江戸でもお前さんほどの尤物ゆうぶつは見たことがない。浮世絵師が見たらぜってえに美人画に描きたがるだろうよ。しかしだ、それもほっとけばいずれ遠くないうちに男の無骨な身体になっちまうんだ。その前にどうにか手を打たなけりゃならないんだよ。いまがその姿を保つにはぎりぎりの齢頃なんだよ」

「だから・・・オレが訪ねてくるのを待っていた」

「この齢になると移ろいゆくものの果敢はかなさが、ひどく心にしみてくるものさ。お前さんの美しさを残すために力を貸したくなったのは、芸一筋に生きてきたものとしてごくごく自然のことなのさ」

「・・・」


この老役者の言っていることが誠実であり本音なのだということはヒシヒシ伝わってきていた。しかし、知り合いとは言えない通りすがりに出会っただけの人物からの親切にどう応えたものか、ホタルは思い惑った。


「ああ、心配しなくていいんだよ。この橘屋周五郎、神懸かみかけてお前さんに見返りなんか求めないからさ」

「でも・・・」

「そうさな、時折でいいからわたしを訪ねてその綺麗なかんばせで笑顔をみせておくれ」

「はい。それじゃあ今度は母さんに連れてきてもらうようにします。オレが外出しようとするだけでたいへんなんです。母さんは周五郎さんのファンみたいなので、いっしょだったらきっとOKすると思います」


ホタルがそう言うと、周五郎は怪訝けげんそうな顔をした。


「ふぁん? おっけ? そいつぁあいったいなんだい?」

「あ・・・えっと、ひ、贔屓ひいきだから承知するだろうってことです」

「ほほう、嬉しいね。おっ母さんも、ホタルちゃんの血筋だから美人なんだろうね」

「え? まあ・・・そうだと思います」

「ときに、おっ母さんはホタルちゃんの秘密をどう思っていなさるんだね?」

「いや・・・それが実は・・・神隠しにって・・・3年ぶりに戻ってきたらこんなことになっていたんです」


ホタルは、端折はしょったので不正確にはなったが嘘にならないよう事実を話した。


「じゃあ、親御さんたちもホタルちゃんのことを娘だと信じていなさるんだね?」

「・・・だから・・・困ってるんです」

「なるほど、な。事情はわかった。ひとつ、この周五郎もない知恵絞ることにしようじゃないか」


こうしてホタルには、パラレルワールドの江戸に心強い味方ができたのだった。

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