第6話 オレがお嬢様?

≪ミ~~ンミンミンミンミンミンミ~~ン≫

≪オ~シツクツク オ~シツクツク オ~シツクツク≫

≪ジ~~~~~~~~~~~~~ジリジリジリジリジッジッジッ≫


夏の暑さをあおり立てるようにたくさんの蝉が鳴いている。

真っ白な入道雲は青空に向かってもくもくと背丈を伸ばし、太陽に焼かれた瓦屋根が続く町屋の向こうには江戸城のやぐらが優雅にそびえ、丹沢の山並みのはるか遠くには霊峰富士の黒々とした三角錐さんかくすいが見えていた。


≪チリン♪ チリ~~ン♪≫


神田小泉町の料亭「万七楼まんしちろう」。2階座敷の縁側で涼やかな風鈴の音を聞きながら手すりにもたれ物思いにふけるうら若き乙女がひとり。


「参ったよなあ・・・」


咲き乱れる花模様の単衣ひとえをまとい、愛らしい赤い鹿の子の手柄てがらをからめて綺麗に結い上げた結綿髷ゆいわたまげに涼しげな扇と団扇をデザインした花簪はなかんざししたホタルが浮かぬ顔でつぶやく。


「ムリ・・・ぜったいムリ・・・オレがこのまま女として生きていくなんて・・・ムリだよ、やっぱり」


ホタルは高校男子としては背が低い方で体つきも華奢きゃしゃ、そのうえ女の子もうらやむ形のいい小顔に綺麗な切れ長の目をしている。さらにはサラサラの長い髪を1本に結わえているから、詰襟の学生服を脱いで普段着姿で街中を歩いているとよく女の子と間違われた。街頭サンプリングで化粧品や美容飲料、生理用品などの試供品を手渡されることはしばしばで、街紹介バラエティ番組のロケにつかまって“吉祥寺コレクション”で地元の女の子のひとりとしてポーズをとらされたことすらある。


とはいえ腰に届きそうな長さになるまで髪を伸ばしているのはホタルの意思というわけではない。生徒の自主性を重んじる麗慶れいけい学園の校風もあって特に髪の長さには制限がなかったから、幼馴染のカホルとサクラが「仲好し3人組なんだもん、髪もお揃いの長さにしようよ」と小学校からずっと切らせなかったのだ。

ホタル自身は「指輪物語の弓の名手か、頬に十字傷のある人気コミックの剣士みたい」でカッコいいと思い込んでいる。そのお陰で、こうして女髷おんなまげも難なく結えてしまったわけなのだが・・・。


「ほんと参ったよなあ・・・」


という呟きも澄んだ声質で娘姿と違和感はない。ホタルの声変わりは中学2年のときだったのだがどう言うわけか軽くて済んだ。どちらかと言えば少年っぽい声質をいまだに保っているから、ハイトーンで喋ると声だけで女の子と間違われてしまうこともあった。たぶん幼馴染の女の子たちの中にまじって、普段からたっぷり抑揚をつけた女声のイントネーションで喋ることに馴らされてしまった所為せいなのかもしれない。


「いまのところバレずに済んではいるけれど、いつかは咽仏のどぼとけだって目立ってくるだろうし身体だって筋肉がついてくる・・・それに男である以上ヒゲだって濃くなってくる。あ~あ、もうこうなったら神頼みするしかないか」

「なにを悩んでらっしゃるんです? お嬢様」

「あ・・・」


気がつかないうちに小女がすぐ後ろに立っていた。


「お嬢様は神隠しから戻られたばかりでまだまだ本調子じゃないんですから、大事になさっていただかないと。帯の締め方も髷の結い方もお化粧も、み~んなお忘れになってしまったご様子。何をするにも、さよを頼りっきり。愛らしいお人形さんみたいなお嬢様のお世話が楽しくって仕方ないんですから、遠慮なさらず何でもおっしゃってくださいな」


彼女はさよ。料亭万七楼近くの裏長屋で育ち素性は明らか、器量もそこそこいいことから仲居見習いとして雇われていた。しかし、ホタルが帰宅してからは店表の仕事ではなく奥でホタルの身の回り一切の面倒を見ている。それは神隠しにあってから3年ぶりに帰宅したもののホタルの様子が尋常ではなかったからだ。


それはそうだろう。江戸検1級合格者とはいえ、さしものホタルも江戸時代、それも女性として生活した経験はなかったのだから。この世界での父久右衛門も母ふじも、生活するうえで常識のことを全て忘れてしまっている娘の様子をひどく心配していた。そこで17歳と齢も近く話し相手にもなれるだろうからと、さよにお嬢様付の女中を申しつけたのだった。


「う・・・え・・・えっと・・・か、神様に願いごとをしたいんだけど、どこかいいお宮さんとかないかな?」

「お嬢様そりゃあ、お玉稲荷ですよ。女子おなごの願いを聞き届けてくださる霊験あらたかな神様ですから。すぐ近所ですし、お気晴らしにもなりますからお連れしましょうね」






その頃、神田浜松町の町道場では激しい朝稽古が繰り広げられていた。


「でや~~~~!!」


≪パシッ≫


「あまい! まだまだ撃ち込みが浅いよ! さあもう一丁!」


仁王立ちになって見下ろすカホルに、若い門弟がフラフラしながら立ち上がる。


「それにしても凄い剣さばきだ」

「ああ。それに膂力りょりょくも段違いだ」

「これで立ち会ったのは何人目だ? かほる殿は疲れを知らんのか」


すでにカホルに稽古をつけられてコテンパンにやられヘタりこんでいる門弟たちの間から驚きの声が漏れる。


パラレルワールドの父は江戸でも屈指の剣術道場「百鳴館ひゃくめいかん」のあるじだった。カホルは父から正式に入門を許されて門弟として道場で稽古を始めるようになったのだが、思いのほか学生剣道の腕前が通用してしまっている。


相手の竹刀の動きが見えるんだよなあ・・・それに見えてから反応しても十分に間に合うしなあ・・・時代劇の本場だから手強てごわいかなって思ったけどそれほどでもないじゃん・・・とカホル。


「ええっえい!」


最後の力を振り絞るようにして門弟が決死の突きを飛ばす。


≪パシーーーーッ≫


剣先を十分に引きつけて擦り上げると、そのまま面を叩いて押し倒した。


「うわっ! ま、まいった! 参りました」

「むむっ、これぞ正しく“せん”じゃ。でかしたぞ、かほる」


その様子を見所けんぞで見ていた父が目を細め満足そうに頷いた。






同じ頃、神田松枝町かんだまつがえちょうにある能楽師 吉祥流きっしょうりゅう家元邸の稽古場では、家元のひとり娘の神業のような身のこなしを学ぼうと弟子たちが悪戦苦闘していた。


「こうよ!」

「こ、このように踏み出すのですな?」

「ちぃがぁうぅ! こうだったらこうよっ! わっかんないかなあ~」


少しイラついた声でサクラが叫ぶ。


「ほら、休まないでつづけてつづけて!」

「しからば参ります。えいやっと! おっとっと」

「あ~あ。こんな簡単なボディターンすらできないんだもん。この先を教えるのはまだまだ無理ね」


と渋い表情で腕組みした。


「はあ・・・申し訳けもござりません。しかし、お嬢様はいずこでご修行あそばしたのでしょうか」

「え? 学校の部活だけど?」

「がっこうの・・・ぶかつ・・・それはいかなるものでありましょうや」


きょとんとしてしまうサクラ。


「あ、そうか。ここは江戸時代なんだった。えっと、なんて言うんだっけこっちの学校・・・あ! 寺子屋か」

「寺子屋とな。されば、お嬢様は神隠しの三年間、上方かみがたにおいででありましたか」

「ううん、違うよ。吉祥寺にいたんだもん。でも、どうして関西方面にいたと思ったの?」

「関西方面・・・せきの西でございますな。難しい漢語をよくご存じで。寺子屋は上方での呼び名。江戸では手習い所とか手習い師匠と申しおりますので」

「ふ~ん、そうなんだぁ。ともかくダンスの、えっと、踊りの、手習い師匠のとこで覚えたわけ。さあおしゃべりはそのくらいにして練習するわよ! スリー、トゥー、ワン、はい!」






その日の午後、少し傾きはじめた夏の日差しの中にふたりの若い女がたたずんでいた。


「お嬢様、こちらがそのお玉稲荷ですよ」


と言いながらさよは小さな池の端に建つ朱塗りのほこらを手で示した。


東照大権現というしょうだいごんげんさまが江戸に幕府を開かれるずっとむかし、このあたりは桜に囲まれた大きな池だったそうなんです」

「でも、まわりは家でいっぱいだけど」

「埋め立てられたんですよ。なにしろ北と南を結ぶ街道筋ですから大勢ひとが集まってすぐに土地が足りなくなってしまったんですよ」


整備された境内には往時の姿を彷彿とさせる小さいながらも蓮池が残っていて、瀟洒しょうしゃな町屋に囲まれたこの一角だけが高い木立から木漏れ日が降り注ぐ公園のような空間になっていた。


「その桜が咲き乱れる池のほとりの茶屋にたいそう美しいお玉という娘がいたのだそうです。当然人通りの多い街道筋のこと、すぐに評判となってお玉に懸想けそうする男が大勢あらわれたんです。何人もの求婚に純情なお玉は心を決めかね、つらくなってついには池に身を投げて亡くなってしまったそうです。そんなお玉の霊をまつっているのがこのお玉稲荷なんですよ。だから池も“お玉が池”って呼ばれるようになって、埋め立てられてしまった今でもこの一帯のことをお玉が池って呼ぶんです」

「え? お玉が池?」

「そうです・・・お嬢様、なにか気になることでもございましたか」

「お玉が池って言ったら千葉周作ちばしゅうさくだ! ねえ、北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう千葉道場ってこのあたりにあるの?」


江戸後期の剣豪千葉周作が北辰一刀流をあみ出して、江戸に道場を開いていたのはお玉が池だった。幕末には江戸三大道場のひとつに数えられ門弟数千人の隆盛を誇ったという。


「ああ、玄武館げんぶかん千葉道場ですね。千葉先生が水戸藩のお抱えになったのと、門弟が増えて手狭になったことから小石川の水戸様のお屋敷近くに新しい道場を建てて移られたんです。もう何十年も前のことですよ」

「何十年も前・・・」

「だから今このあたりにある剣術道場といえば神田浜松町の百鳴館冬影道場だけです」

「百鳴館っていったらカホルの家だ!」


とその時、ポツポツと水滴が水面を叩きはじめた。


「あら、雨だわ。お嬢様に風邪をひかれては大変! 傘を取ってきますからちょっとこちらでお待ちを。おじさん、お嬢様を少し雨宿りさせてくださいな」


と言いながらさよは、ホタルの手を引いて蓮池の傍らで営業中の茶店の中へと導いた。


「おおっ」

「なんて綺麗なお嬢さんなんだ」


ホタルが暖簾のれんをくぐって中に入ると、そこに居た客の間から感嘆のざわめきが起こった。


「こちらにお入りなさい。すぐに茶をおれしますから一服なさるといい」


店主らしいおやじが盆を手にしながらホタルを見て愛想よく答える。


「お嬢様、さよが戻るまできっと動いちゃだめですよ」


さよはたもとを雨避けにして小走りに店へと向かって行った。見る間に雨脚あまあしが強くなって雲間が光り始める。


≪ピカッ≫


しばらくしてホタルが外を見ていると、いきなりすぐ近くで雷光がさく裂した。


≪ダダーーーーーーン!!!≫

「うわーっ!」


思わずホタルは叫びながら両目をつぶり両耳をふさいでしゃがみこんだ。

強烈な光のさく裂と爆発音にしばらく身動きできなかった。どうにか落ち着きをとりもどして立ち上がりかけたとき背後から声をかけられた。


「お嬢ちゃん、うまく化けているね。お前さん、ほんとうは男の子だろ?」


え? ば、ばれた? 見破られてしまった衝撃と恐ろしさで身動きができなくなってしまった。

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