第6話 オレがお嬢様?
≪ミ~~ンミンミンミンミンミンミ~~ン≫
≪オ~シツクツク オ~シツクツク オ~シツクツク≫
≪ジ~~~~~~~~~~~~~ジリジリジリジリジッジッジッ≫
夏の暑さをあおり立てるようにたくさんの蝉が鳴いている。
真っ白な入道雲は青空に向かってもくもくと背丈を伸ばし、太陽に焼かれた瓦屋根が続く町屋の向こうには江戸城の
≪チリン♪ チリ~~ン♪≫
神田小泉町の料亭「
「参ったよなあ・・・」
咲き乱れる花模様の
「ムリ・・・ぜったいムリ・・・オレがこのまま女として生きていくなんて・・・ムリだよ、やっぱり」
ホタルは高校男子としては背が低い方で体つきも
とはいえ腰に届きそうな長さになるまで髪を伸ばしているのはホタルの意思というわけではない。生徒の自主性を重んじる
ホタル自身は「指輪物語の弓の名手か、頬に十字傷のある人気コミックの剣士みたい」でカッコいいと思い込んでいる。そのお陰で、こうして
「ほんと参ったよなあ・・・」
という呟きも澄んだ声質で娘姿と違和感はない。ホタルの声変わりは中学2年のときだったのだがどう言うわけか軽くて済んだ。どちらかと言えば少年っぽい声質をいまだに保っているから、ハイトーンで喋ると声だけで女の子と間違われてしまうこともあった。たぶん幼馴染の女の子たちの中にまじって、普段からたっぷり抑揚をつけた女声のイントネーションで喋ることに馴らされてしまった
「いまのところバレずに済んではいるけれど、いつかは
「なにを悩んでらっしゃるんです? お嬢様」
「あ・・・」
気がつかないうちに小女がすぐ後ろに立っていた。
「お嬢様は神隠しから戻られたばかりでまだまだ本調子じゃないんですから、大事になさっていただかないと。帯の締め方も髷の結い方もお化粧も、み~んなお忘れになってしまったご様子。何をするにも、さよを頼りっきり。愛らしいお人形さんみたいなお嬢様のお世話が楽しくって仕方ないんですから、遠慮なさらず何でもおっしゃってくださいな」
彼女はさよ。料亭万七楼近くの裏長屋で育ち素性は明らか、器量もそこそこいいことから仲居見習いとして雇われていた。しかし、ホタルが帰宅してからは店表の仕事ではなく奥でホタルの身の回り一切の面倒を見ている。それは神隠しにあってから3年ぶりに帰宅したもののホタルの様子が尋常ではなかったからだ。
それはそうだろう。江戸検1級合格者とはいえ、さしものホタルも江戸時代、それも女性として生活した経験はなかったのだから。この世界での父久右衛門も母ふじも、生活するうえで常識のことを全て忘れてしまっている娘の様子をひどく心配していた。そこで17歳と齢も近く話し相手にもなれるだろうからと、さよにお嬢様付の女中を申しつけたのだった。
「う・・・え・・・えっと・・・か、神様に願いごとをしたいんだけど、どこかいいお宮さんとかないかな?」
「お嬢様そりゃあ、お玉稲荷ですよ。
その頃、神田浜松町の町道場では激しい朝稽古が繰り広げられていた。
「でや~~~~!!」
≪パシッ≫
「あまい! まだまだ撃ち込みが浅いよ! さあもう一丁!」
仁王立ちになって見下ろすカホルに、若い門弟がフラフラしながら立ち上がる。
「それにしても凄い剣さばきだ」
「ああ。それに
「これで立ち会ったのは何人目だ? かほる殿は疲れを知らんのか」
すでにカホルに稽古をつけられてコテンパンにやられヘタりこんでいる門弟たちの間から驚きの声が漏れる。
パラレルワールドの父は江戸でも屈指の剣術道場「
相手の竹刀の動きが見えるんだよなあ・・・それに見えてから反応しても十分に間に合うしなあ・・・時代劇の本場だから
「ええっえい!」
最後の力を振り絞るようにして門弟が決死の突きを飛ばす。
≪パシーーーーッ≫
剣先を十分に引きつけて擦り上げると、そのまま面を叩いて押し倒した。
「うわっ! ま、まいった! 参りました」
「むむっ、これぞ正しく“
その様子を
同じ頃、
「こうよ!」
「こ、このように踏み出すのですな?」
「ちぃがぁうぅ! こうだったらこうよっ! わっかんないかなあ~」
少しイラついた声でサクラが叫ぶ。
「ほら、休まないでつづけてつづけて!」
「しからば参ります。えいやっと! おっとっと」
「あ~あ。こんな簡単なボディターンすらできないんだもん。この先を教えるのはまだまだ無理ね」
と渋い表情で腕組みした。
「はあ・・・申し訳けもござりません。しかし、お嬢様はいずこでご修行あそばしたのでしょうか」
「え? 学校の部活だけど?」
「がっこうの・・・ぶかつ・・・それはいかなるものでありましょうや」
きょとんとしてしまうサクラ。
「あ、そうか。ここは江戸時代なんだった。えっと、なんて言うんだっけこっちの学校・・・あ! 寺子屋か」
「寺子屋とな。されば、お嬢様は神隠しの三年間、
「ううん、違うよ。吉祥寺にいたんだもん。でも、どうして関西方面にいたと思ったの?」
「関西方面・・・
「ふ~ん、そうなんだぁ。ともかくダンスの、えっと、踊りの、手習い師匠のとこで覚えたわけ。さあおしゃべりはそのくらいにして練習するわよ! スリー、トゥー、ワン、はい!」
その日の午後、少し傾きはじめた夏の日差しの中にふたりの若い女が
「お嬢様、こちらがそのお玉稲荷ですよ」
と言いながらさよは小さな池の端に建つ朱塗りの
「
「でも、まわりは家でいっぱいだけど」
「埋め立てられたんですよ。なにしろ北と南を結ぶ街道筋ですから大勢ひとが集まってすぐに土地が足りなくなってしまったんですよ」
整備された境内には往時の姿を彷彿とさせる小さいながらも蓮池が残っていて、
「その桜が咲き乱れる池のほとりの茶屋にたいそう美しいお玉という娘がいたのだそうです。当然人通りの多い街道筋のこと、すぐに評判となってお玉に
「え? お玉が池?」
「そうです・・・お嬢様、なにか気になることでもございましたか」
「お玉が池って言ったら
江戸後期の剣豪千葉周作が北辰一刀流をあみ出して、江戸に道場を開いていたのはお玉が池だった。幕末には江戸三大道場のひとつに数えられ門弟数千人の隆盛を誇ったという。
「ああ、
「何十年も前・・・」
「だから今このあたりにある剣術道場といえば神田浜松町の百鳴館冬影道場だけです」
「百鳴館っていったらカホルの家だ!」
とその時、ポツポツと水滴が水面を叩きはじめた。
「あら、雨だわ。お嬢様に風邪をひかれては大変! 傘を取ってきますからちょっとこちらでお待ちを。おじさん、お嬢様を少し雨宿りさせてくださいな」
と言いながらさよは、ホタルの手を引いて蓮池の傍らで営業中の茶店の中へと導いた。
「おおっ」
「なんて綺麗なお嬢さんなんだ」
ホタルが
「こちらにお入りなさい。すぐに茶をお
店主らしいおやじが盆を手にしながらホタルを見て愛想よく答える。
「お嬢様、さよが戻るまできっと動いちゃだめですよ」
さよは
≪ピカッ≫
しばらくしてホタルが外を見ていると、いきなりすぐ近くで雷光がさく裂した。
≪ダダーーーーーーン!!!≫
「うわーっ!」
思わずホタルは叫びながら両目をつぶり両耳をふさいでしゃがみこんだ。
強烈な光のさく裂と爆発音にしばらく身動きできなかった。どうにか落ち着きをとりもどして立ち上がりかけたとき背後から声をかけられた。
「お嬢ちゃん、うまく化けているね。お前さん、ほんとうは男の子だろ?」
え? ば、ばれた? 見破られてしまった衝撃と恐ろしさで身動きができなくなってしまった。
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