第5話 パラレルワールドのマイホーム

「お嬢様! お帰りなさりませ」


神田小泉町『万七楼まんしちろう』の暖簾のれんをホタルがくぐると、いきなり大勢の店員たちに取り囲まれた。名代なだいの料亭ということでスタッフも相当な数だ。


「た、ただいま」

「ご無事のお帰り、手前どもも安堵いたしましたよ!」

「し、心配かけました・・・ね」


「う、美しゅうござります!」

「お綺麗になられて!」

「あ、ありがとう・・・」

「これで旦那様も女将おかみさんもひと安心だ」

「安心どころじゃないよ、清蔵せいぞうどん。お嬢様のこのご器量きりょうだ。“神田小町かんだこまち”がうちの看板娘となればお店が大繁盛すること間違いなしですよ!」

「これこれ番頭さん。嬉しいのは分かりますが、ほたるは長旅をしてきたのですよ。まずは休ませてやってくださいな」

「あ、これは至らぬことで。ささ、お嬢様に足のゆすぎ水をお持ちして差しあげなされ。内風呂のご用意もですぞ!」


一方、サクラの方は能楽師の屋敷に連れて行かれていた。幕府や諸大名から式楽やまい指導を頼まれる、名門吉祥流きっしょうりゅう家元だけに豪壮な町屋敷を構えていた。


「さくらお嬢様。ご無事のお戻り、なによりにございました」

「おや? 大きゅうなられましたな」

「え? ほんと? ほんとにほんと?」

「そうですとも。なんとまあスラリとして立ち姿の美しいこと」

「え? でへへへっ」


物心ついてよりこの方、いつも「チビ」とか「チンチクリン」などと呼ばれてきたサクラだけに、平均身長を上回る背丈せたけになったことが嬉しくて仕方ない様子だ。


「お姿をよく見せてくださりませ」

「ん? いいよ。ほれ♪」


サクラはダンス部で鍛えたワンステップターンで、くるりと回って見せた。


≪おおおっ≫

「なんという身のこなしじゃ!」

「さすが、吉祥流お家元のお血筋じゃ!」

女子おなごにしておくには誠に惜しい才じゃ!」


能狂言や歌舞伎の所作でも素早い跳躍や旋回はあるが、サクラがやって見せたヒップホップ系の身体のキレはまだこの世界に存在していないものだった。


さて、“大女”となって自宅に戻ることになったカホル。


「・・・」

「・・・」

「・・・」


父母と娘は向かい合ったまま無言でいた。ときおり父の冬影ふゆかげ主水もんどが娘を見やるが、すぐに視線をそらして小さくため息をつく。そんな様子をオロオロしながら母の深雪みゆきが見つめている。


「なんなのよ! いったい私が何かしたって言うの?」


そんな状態が堪らなくなり、カホルは思わず声を張り上げた。いつも仕事仕事で休みの日もゴルフだのなんだのと構ってもくれない父とそっくりな顔が、責めるように非難の目で見つめるのだ。カホルの反発心が首をもたげても不思議はない。


「これ! 女子おなごがなんと言う口を利くのです! お父上にお謝りなされ!」

「そんなこと言ったって、私のことを嫌そうに冷たい目で見つめ、ため息ばかりついているのはそっちじゃないの!」

「うむむむ。図体ずうたいが大きくなったばかりか性根しょうねまで腐り果てたか。かほる、道場に参れっ!」

「お、お前様! 年頃の娘になにをなさろうと言うのです?」


両手をひろげカホルをかばう母。


「構うなっ!」


そう言うなり主水はカホルの手首をつかんで立ち上がると、廊下をどんどん進みはじめた。しかし、歩幅ではカホルの方が勝っている。


道場に入ると弟子たちが打ち込み稽古をしているところだった。


「お前の性根を叩き直す! 誰か、かほるに合う防具を!」

「先生!」

「危のうござります!」

「構わぬ! この体格じゃ、少々のことではこたえぬわ」


カホルに合う防具は、道場にある物の中でも大きなサイズのものだった。170センチと言えば5尺6寸、男性としてみても江戸時代では大男だ。


「かほる様。得物えものは何を使われます?」


道着どうぎに着替え防具を着込んだカホルに、住込み弟子が尋ねた。


竹刀しないを」

「は。ではこちらの三尺一寸のものを」

「いや、そっち。そっちの方がいいわ」

「えっ・・・」


カホルが指差したのは、この道場で一番長い4尺の竹刀だった。木刀から袋竹刀、四つ割り竹刀と剣道で使われる武具は変遷してきているが、長さも時代によって変化していた。

5尺を超える長竹刀も生まれたが、打ち込み稽古の有利不利を勘案して江戸後期安政年間に3尺8寸までと定められている。しかしここはパラレルワールド。


「普段使っているのよりちょっとだけ長いけど、重さは軽めね。これなら全然いけるわ」


そう言うと、カホルは片手で竹刀を勢いよく振り下ろした。


≪ビュオッ≫

「おおっ! ぴたりと剣先が! お見事! 振りきれてござる」


そして、道場の真ん中で父娘は向かい合った。こうして並んでみると父の方が15センチ近く背が低い。


「ふふ。剣は長ければ有利というものではないぞ、かほる。江戸屈指の道場『百鳴館ひゃくめいかん』でもその長竹刀で立ち合いできる者は限られておる。女子のそなたにそのような重い竹刀が振りこなせるものか。かかって参れ!」


父は切っ先を相手の胸元に向け、正眼に構えた。


≪おおっ≫


道場に驚きの声があがる。カホルが体格を活かして竹刀を大上段に振り上げていたからだ。ただでさえ背が高い上に長竹刀を天井に突き上げたのだ、剣先が高い天井にまで届きそうだった。


「む・・・」


父は、娘の思わぬ大きな構えにたじろぐ。いわおのようにそびえる切っ先と鋭く見つめる視線。両方ともに下から見上げなければならない状態だった。


構えたまま動けない。広い道場の中央、2メートル隔てて向き合ったまま、じりじりと時間が過ぎていく。


父が狙うは胴打ち。上段に構え伸びやかに伸ばされた大女の胴は、打ち損じようのないターゲットだ。一方、カホルが狙っているのは大上段からの面一撃。勝負はふたりの剣速次第だ。


≪ええいっ!≫


父は、気合いを発しながらカホルの左側に踏み込むと胴正面に剣先を伸ばした。その瞬間、カホルはジャンプした。伸びてくる剣先より高く跳び上がったカホルは大上段から、父の頭頂部めがけて竹刀を振り下ろす。


≪おめ~ん!≫

≪グワッシャ≫


カホルの甲高い掛け声に続いて壮絶な衝撃音が響いた。シーンと道場は静まり返った。


「み、見事・・・」


激しい息遣いから父が絞り出すように言うと、床に片膝を突いてしまった。

冬影主水は頭上に迫るカホルの剣先を首を傾げてどうにか避けたのだが、そのまま右肩に強烈な衝撃を受けてしまったのだ。


「・・・」


カホルは無言のまま父の肩口から衝撃にひん曲がった竹刀を引く。自分でもこの結果に驚いているのか、瞳を大きく見開いたまま口をパクパクさせている。


「いまの打ち込みの速さを見たか?」

「あの頑丈な四尺竹刀がひしゃげておるぞ!」

「それに先生の胴打ちを避けた高い跳躍はどうだ!」

「かほる様は、行方知れずの三年の間にとてつもない修行をされてきたに違いない・・・」


その場に居合わせた弟子たちは、まだ今起きたことを信じられない面持おももちで見ていた。


徳川幕府ができてから400年、ここパラレルワールドではまだ江戸時代が続いている。江戸時代の大きな特徴は物価や社会生活がほとんど変わらないことだ。何百年もの間、食糧事情に大きな変化はなく、人口もほとんど横ばい。そこに暮らす日本人の骨格や筋力も長い平和の時代によって次第に平準化されていた。


十分な栄養と健康管理、科学的なトレーニングによって育まれた現代の高校生アスリートが恵まれた体格と鍛えられた俊敏性をもって挑めば、鍛練を積んだこちらの世界の武道家にして戦うことができた。

例えば、われわれ現代人にとっては普通のものである新幹線や飛行機、高速道路等の速度感覚も江戸時代に生活している人間には信じられないスピードになる。対戦競技にとって動体視力の差は大きなアドバンテージだ。


「かほる。お前・・・武者修行をしたいがため行方ゆくえ知れずになっておったのだな」


父は、自らの目で確かめただけに、娘の常識を超えた俊敏さと竹刀さばきに感銘を受けていた。


「・・・」

「いや、聞かずとも分かるわ。お前が剣の道に進みたいと願ったとき、女だてらに何を言うかと父は許さなかったからの。しかし、お前はやり遂げたようじゃ。優れた剣士をお前の婿むこに迎え、この『百鳴館』を継がすつもりであったが・・・お前自身立派な跡取りのようじゃ。入門を差し許す。この冬影主水の後継として稽古に励め」


事情はよくのみ込めなかったが、カホルは自分の剣道がこの世界でも通用したということだけは実感できていた。


こうして2008年の吉祥寺から、江戸時代が続くパラレルワールドに転位した3人は新たな生活をはじめることとなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る