第4話 江戸市中へ

「もう口をきく元気もないよぉ・・・」


サクラが辟易へきえきした様子で言った。吉祥寺の名主館を出てから5時間、四谷の大木戸を抜けてようやく江戸の市街地に入った一行は江戸城の北側を外堀に沿って進んでいた。


「江戸時代って馬車とか乗り物はないの? もう歩けないよ」


とカホル。


「馬と駕籠かごならあるんだけど、車輪のついた乗り物は制限されているんだよ」

「どうして?」

「うん。おもに軍事上の理由と既得権益を保護する目的なんだけど、要はあまり便利にしない方が平和が守られるって考えているんだろうね」

「ふ~ん。それにしてもカホル。アンタはいいわよ」


ねたましそうにチラッと横目でカホルを見つめると、サクラが言った。


「どうして?」

「あ~あ。これだから体格に恵まれた子は鈍感だって言うのよ」

「どんかん? わたしのどこが鈍感だって?」

「だってそうじゃない。あんたが5歩で済むところを私たち7歩もかかって歩いているのよ? 同じ距離でも歩数が全然違うんだから! ね、ホタル」

「い、いっしょにすんな!」


そう言うと、ホタルは大股で歩きはじめた。


「うふふ。無理しちゃって!」

「ホタル! 大股で歩くと浴衣の裾がめくれちゃうわよ!」

「これこれ、勝手に先に行ってはいかん! なんちゅうお転婆娘じゃ」


吉祥寺村から引率してきた村役人が、足早に追い越していったホタルに向かって声を張り上げた。






「ごめんくださりませ。吉祥寺村の名主、甚右衛門じんえもんの命により参上つかまつりました」


呉服橋の広場の正面にどっしりと構える武家屋敷の門前で、村役人が門番に訪いを告げた。


「そうか、ここが北町かぁ!」


ホタルが感に堪えないという表情で立派な意匠の長屋門を見上げる。


「え? ここって北町なの? 吉祥寺北町なの?」

「そんなはずないでしょ! まる1日歩いてきてるんだからアンタが住んでいた北町のわけないじゃない。ホタル、北町っていったいなんのことよ?」

「北町奉行所だよ」


ホタルにそう言われて門を見渡すふたり。両サイドに家紋の入った提灯が飾られているだけでなにも看板等ははなく、紋付羽織姿の町人が出入りしていた。


「どこにも表札なんか出ていないじゃない」

「なんで分かるのよ?」

「テレビや映画とは違って実際には奉行所に表札はないんだかったそうだ。さっき呉服橋を渡ったろ? その正面にあって武士だけではなく町人たちも門から出入りできる所と言ったら、北町奉行所しかないんだよ」

「ふ~ん。ホタルは何でも知ってるんだね」


サクラが薄目を開けて、いかにも興味なさそうに言った。


「なんか嫌な言い方。ま、それはともかく、いまオレたちがいるのは北町奉行所だ」

「あっそ。で、北町奉行所って何するところ?」


再びサクラが興味なさそうに尋ねた。


「え・・・『遠山の金さん』とかで見たことないの?」

「だから、時代劇って趣味じゃないんだってば!」

「さっき趣味じゃないって言ったのは、SF小説だったぞ?」

「どっちもよ。めいっぱい今を楽しまなきゃならない女の子にとって、過去も未来も妄想している暇はないの」


と、門から小者を連れた若い同心が出てきた。黄八丈きはちじょうの着流しに黒紋付の巻羽織まきばおり。大刀を落とし差しにし、帯前に差しこんだ十手からは朱房が揺れている。


「娘さん方、ちょいとごめんよ」


たむろっていたカホルたちの間を颯爽さっそうと抜けて行く。鬢付びんづけ油の丁子ちょうじの甘い香りが残り香となって漂tってきた。


「・・・」

「・・・」

「どうしたの? ふたりとも、急に無口になったりして」


ホタルが覗き込むとふたりとも目がトロンとしている。


「意外と時代劇っていいかも♪」

「サクラ、そうじゃないわ。この世界が時代劇そのものなのよ! 私たちにとっては、これが今なのよ♪」

「やっぱり女の子は現実の世界の中で夢見るのよねぇ♪」

「うんうん♪」


さっきまで足が痛いの、お腹が空いたのとブチブチ不平不満を言っていたのに、が然元気になってしまった。サクラとカホルの変貌ぶりに呆気にとられるホタルであった。






「で、その方。ホタルじゃな?」

「・・・はい」


3人は北町奉行所の一室で吟味方与力ぎんみがたよりきから取り調べを受けていた。サクラに続いてホタルが身元を確認されているのだが、なぜか壮年の侍はサクラのときより優しい声音こわねで語りかける。見つめる視線もまるで花か小鳥でも愛でるようだ。


「届け書きによると、行方知れずになったとき十二だったというが、この三年でなかなかの美形に育ったものじゃ。少々背は高いが色白でたおやか、うむ、たとえて申せば咲き匂う白百合じゃな。実に見目麗しい」

「・・・」


羽織袴でまげを立派に結い上げている偉い役人が、まるで自分の孫か娘でも見るような眼差まなざしでしきりとうなずいている。


「よかったじゃないの、ホタル」

「そうそう、綺麗だって言われるのが女の子にとって何よりなんだよ」

「ううっ・・・」


サクラとカホルが、ホタルの心中穏やかならざるを知りながらわざと茶化す。


「そして、その方がカホルか?」

「はい!」

「これは元気のよい娘じゃ。さすが男勝りの背丈をしているだけのことはある」

「お、男まさりぃ?」

「それはそうであろう。その方と肩を並べれば大方の男は小さく見えてしまうからな」


そうなのだ。江戸時代の日本人は思いのほか背が低く、男性は155~158センチ、女性は143~146センチくらいであったという。156センチのホタルとサクラですら女性としては10センチ背が高いのだから、170センチもあるカホルは文字通り“大女おおおんな”ということになる。


「無事帰って来たはよいが・・・三年でこんなに大きゅうなっては、親御さんもさぞ心配なことだろうて」

「ううっ ぐががっ!」


いまにも暴れ出しそうなカホルを、あわててふたりで両側から抑え込む。


「よろしい。その方ら、確かに行方知れずになっておった娘三人のようじゃ。お奉行に神隠し事件は万事解決してござったと報告する。では、小者を遣わしてその方らの親御に引き取りに来てもらうこととしよう」






「かほるぅ!」

「さくらぁ!」

「ほたるぅ!」


呼び声とともに廊下を急いで近づいてくる足音が御用部屋の外で止まった。ふすまが引き開けられると中年の男女6人の顔がこちらを不安そうに覗き込む。


「ほれ、その方らの迎えが来たぞ」


吟味方与力が娘たちをうながすが、入口にたたずむ6人の顔を見て3人とも絶句したままだ。


というのも男性は月代さかやきを剃ったチョンマゲ姿、女性はまげを結いかんざしを差した女房姿だったが、まさしく3人の両親と同じ顔だったのだ。


「三年ぶりじゃ親の顔も忘れたかのう。仕方ない、拙者せっしゃが引き合わせて進ぜよう。神田松枝町かんだまつがえちょう 能楽師のうがくし 吉祥勘解由きっしょうかげゆどの」

「は、はい。こちらに」

娘御むすめごさくら、前に」


不安そうな素振りでカホルたちの方を振り返りながらサクラが前に出る。


「さ、さくら!」


母親と思われる女が人垣をかき分け出て来るなりサクラをひしと抱き寄せた。パラレルワールドの母は小柄こがらでサクラより10センチ背が低かった。


「よかったのお、では次。神田小泉町かんだこいずみちょう 『万七楼まんしちろうあるじ久右衛門きゅううえもんどの」

「はい。手前にござります」

「娘御ほたる、前に」

「は、はい・・・」


ホタルが躊躇ためらいいながら前に出る。


「ああ、ほたる!」


裕福な商家の女将おかみといった感じの女が前に出て来ると、ホタルを愛おしそうに抱きしめた。


「美しゅうなったのぉ」


父久右衛門は母娘が抱き合う姿に目を潤ませながらも嬉しそうだ。


「そして神田濱松町かんだはままつちょう剣術指南けんじゅつしなん 冬影主水ふゆかげもんどどの」

拙者せっしゃにござる」

「娘御かほる、前に」

「はい!」


カホルが元気よく立ち上がる。


「おおっ!」

「なんと・・・」


冬影主水と女房は息をのみ、絶句したまま“少女”から“大女”へと変わり果てた娘を見上げた。


こうしてサクラ、カホル、ホタルの3人は北町奉行所で“親子”の対面を終えた後、それぞれパラレルワールドの自宅へと引き取られていった。




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