第三話 食べるしかない

 ミハルは、その赤黒い肉塊を口に入れた。

 もはやどのくらい時間が経ったかはわからない。空腹感もなかったが、もはやホタルとの接点は、その肉塊くらいだった。

 肉塊は、よく煮込まれているようで、口のなかに入れるとほどけた。味は、なんだか甘辛い。

 ミハルが怖れていたとおり、頭の中に記憶が戻る。

 ミハルが十歳の夏。

 ミハルの目の前で、父親が死んだ。


 その島には、数百人が暮らしていた。

 あるとき、その島に人間の魔術師の一団が乗り込んできた。乗り込んできた、といっても、それは時間をかけて浸透した。つまり、数年をかけて定住希望者のフリをして定着した。

 ある夜、魔術師たちは、ミハルの幼馴染の冬妻ホタルを誘拐した。そのとき、ホタルの家族は皆殺しにされていた。そもそも魔術師たちは、人間の命を道具としてしか見ていなかった。

 島の人間は、もちろん黙ってはいなかった。島には十分な警察力はない。島の住民総出でホタルを探した。ミハルも父親もそれに参加していた。

 ミハルは子どもだったので捜索に参加することはもともとできなかったが、父親にどうしてもと頼み込んだ。

 ホタルを発見したのは、ミハルだった。

 北東の崖にある灯台。

 その敷地に、奇妙にアーティスティックな祭壇が設えられていた。

 祭壇には白く輝く本のようなもの。

 その前に、ホタルは寝かされていた。そのとき、ホタルの肩まで伸びた長い黒髪はコンクリートの床にたゆたう漆黒の川のようだったことを、ミハルは思い出した。

 ミハルはホタルに駆け寄った。

 魔術師たちは、生命を司る女、それもできるだけ無垢な女に本を触らせようと、その島で一番年の若かったホタルを選んだ。だから、ミハルは不要だった。

 十分に殺傷能力をもった短剣で、ミハルは刺された。

 その叫び声でホタルは恐怖とともに目覚めた。

 ミハルの叫び声は一度だけだった。

 ミハルの父親が駆け付けたのだ。

 漁師だったミハルの父親は、屈強だった。ミハルを刺した魔術師を突き飛ばすと、魔術師はまるで枯れ木のようにふわりと浮き上がり、手すりを越えて崖から落ちていった。

 だが、魔術師は一人ではなかったし、儀式用の短剣も一本だけではなかった。人を突き落としたことに少なからずショックを受けていたミハルの父親の背中を、刃物が刺し貫いた。

 ミハルは、焼けつくような傷の痛みと、目の前に広がる父親の血で、何も感じることはできなかった。

 ホタルが叫び声を上げながら、ミハルに駆け寄ろうとした。

 ミハルとホタルとのあいだには、祭壇があった。ホタルの手が、本に触れた。

 辺りは白い闇に包まれた。

 それからの記憶は、ミハルには理解できない。

 その後、ミハルはなぜか、ほかに誰もいない島で、ホタルと二人暮らしをしたのだ。それも、何年か。つじつまが合わない。その分の年を二人ともとっていないのだ。


 ミハルが我に返ると、目の前にホタルがいた。

「探すの、大変でした」

 そう言うと、ホタルは微笑んだ。

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