第二話 降りるしかない
どういうわけだか、その床は透き通って見えた。
いや、ミハルとルリには見覚えがあった。あの、違う次元、違う世界に隣接しているイメージ。
エレベータが作動するとかしないとかという問題ではなかった。
「どうするよ、これ」
ルリがカラスもどきのうえに避難した。
ミハルは、呆然とした。
あの時と同じだ。あの、カラオケボックス燈火にいたときと。
だが、ホタルはいない。
ミハルが逡巡しながら床を見ていると、床の向こうに見覚えのある顔が浮かんだ。
浅井だった。
浅井は、にこっと笑うと、手を突き出した。
その手は、ミハルの足を掴んだ。そして、そのままミハルを引き込んだ。床は何の抵抗もなかった。
ルリがカラスもどきから飛び降り、ミハルの消えたところに膝をつくも、もう、ミハルも浅井も見えなかった。床は、どこまでも床だった。
「な、なによ……」
ルリは、真っ青になって、カラスもどきにまたがった。
辺りには、風の音だけが漂っていた。
「来ちゃだめだって、わからなかった?」
浅井は、ミハルに微笑みかけた。
ミハルは、白い世界に漂っていた。後ろにはルリの姿がぼんやり見えていたが、すぐに消えた。
ミハルは人の気配を感じた。白装束に身を包んだ月連の関係者らしき者が、何人も辺りを漂っている。みな、歓喜の表情を浮かべていた。
浅井は、ミハルのそばを器用に周回していた。
「この世界は、わたしたちに約束された神の世界。わたしたちが手を伸ばせば、元いた世界のどこでも吸収できる。あなたもそうやって吸収したの。感謝なさい。信徒でもないのに福音を与えたのだから」
浅井も、周りを浮かんでいる人々と同じ恍惚の表情をしていた。
ミハルたちのいる白い世界は、無重力というわけではなく、むしろ水中のようで、ミハルは浮遊感を感じていた。水のなかにいるような感じがするが、息はできていた。少なくともミハルはそう感じた。
「ホタルはどうしたんですか」
「んー? どこでしょうね。もうわからないわ」
浅井は、もはや現実世界に関心を失ったようだった。
「あなたはどうして、この世界にいるのに、元いた世界のことなんか気になるの? ここは、老いも死もない世界なのよー?」
老いも死もない……ミハルは、聞き覚えがあった。そうだ。あの、黄色い空間に囚われた者たちも、永遠に近い時をあの状態で生き永らえさせられると図書館員遥子から聞いた。
この白い世界も、そんなモノなのかもしれない。
だが、ミハルは違和感を感じた。
「元いた世界が気にならないなら、あなたはどうして、おれなんかをわざわざこの世界に引き込んだ?」
「別に引き込まなくてもよかったんだけど……誰かに言いたかったのかもねー。成功したってことを」
「なんにだ?」
ミハルは嫌な予感がした。どうもこの世界は、浮遊感を楽しむだけの世界ではなさそうだ。
「もちろん、全世界の救済。わたしが手を伸ばさなくても、この白い世界は、やがて元いた世界を飲み込むわ。かみさまが道を開いてくれたから。そして、みんな幸せになるの」
……もしかして、ホタルが言っていた「大それた存在」なのだろうか? この白い世界は。
「ホタルはどこですか!」
ミハルは浅井に詰め寄った。この白い世界では、思うだけで体がその方向に動くようだ。
「えー? かみさま? わかんないその辺じゃない」
浅井の言うことは、もはや真に受けられなかった。
ホタルがかみさまだというのも、意味がわからない。
ミハルは、しばらく、その辺に漂っている白装束の連中を捕まえては、ホタルの居場所を聞き出そうとした。しかし、浅井以上にあやふやで、まったく要領を得ない。
いったい何時間たっただろうか。この白い世界では、空腹も眠気も感じないようだ。ただ、浮いている。浅井はもう、どこかに行ってしまって見えなくなってしまった。白い世界ははてしなく続いているようだった。ミハルが引き込まれた「床」も、もう見えなくなってしまった。
さっきまでそばにいた浅井さえ見失えばもはや見つけることはできそうにないのに、ホタルをどうやって見つけようというのか。
ミハルは途方にくれた。
そして、ずっとカバンを肩にかけていたことを思い出した。
赤黒い肉塊の入ったお弁当箱は、まだカバンに入っていた。
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