第九話 本拠地に行くしかない

 ミハルとホタルは、浅井に導かれるまま、清潔な白い床の廊下を歩いていた。

 廊下のわきにはいくつもの扉があるが、中が見えるようにはなっていない。清潔感あふれる白い床と同じ色をした扉の向こうには、何があるのか。

 その扉の一つの前で、浅井は立ち止まった。

「ここよ」

 ミハルたちは部屋に入った。

 そこでは、ルリと伊藤が白いテーブルと椅子だけが置かれた殺風景な部屋でのんきにお茶を飲んでいた。

「あ、ホタル。それと七浦くんも。学校さぼったんだ。あーあ」

 ルリは肩をすくめた。

「おれらも同じだけどな」

 伊藤はルリにただついてきただけのようだった。ホタルの言うことを聞いていたのだろうか。

「悪くないわよね。話をするだけで三万円。どうせ信じてもらえるわけでもないし」

 そう言うと、ルリはいたずらっぽく笑った。プラス好奇心、といったところだろう。

「好奇心はネコではなく、人魚を殺す、でしょうか」

 ホタルは意味不明なことをつぶやくと、軽くルリを睨んだ。

「どゆこと?」

「こっちの話です」

 浅井がいきなり明るい声を出した。

「さあさあ、お友達も揃ったことだし、今度は七浦くんたちも一緒に、最初からお話を聞かせてね」

 そう言うと、浅井はミハルとホタルに空いている椅子を指し示した。


「……なるほどねー。それは確かに、実際に見てみないと、よくて集団幻覚の類と思われるわね。それでも珍しいけど」

「でしょー。で、ホタルがさー、冷静すぎんのよね。いつも冷静なんだけど」

 ルリはなかなかよく覚えているようだった。おかげで、ミハルや伊藤が口を挟む必要はなかった。ホタルは、自分の話題になっても無反応だった。

「じゃ、お昼過ぎてもアレだし、みなさんにはそろそろ帰ってもらおうかな」

 浅井は、音を立てて椅子を引くと、壁のそばにある電話機でどこかに連絡した。

 しばらくして、白い服を着た男が、三人分の封筒をもってやってきた。

「はい。謝礼」

 ルリは、受け取ると早速中身を確認して、歓喜の雄たけびをあげた。伊藤は、少し緊張した様子で、封筒をカバンに入れた。

「あれ? ホタルの分はないんですか?」

 ミハルは、自分のカバンに封筒を入れつつも、違和感に気づいた。

「え……ああ、そうね。もちろん、冬妻さんにも払うわよ、あとでね」

「あと……?」

「そんなことはいいから、早く出てくれる? この部屋、午後から使う予定なの」

 浅井はそれとわかるひきつった笑顔で、四人に部屋からの退出を促した。

 突然、扱いが荒くなったことに戸惑いつつもミハルたちが部屋を出ると、外には白服の男たちが三、四人、待ち構えていた。

「こちらです」

 来た道と違った。

「あの大きなエレベータじゃないんですね」

と、ミハルは思わずつぶやいた。

 すると、浅井は不意を突かれたのか、奇妙な答え方をした。

「あのときは急いでたからよ」

 急いでいた?

 浅井は、ミハルの問いただすような視線にも、ひきつった笑顔を浮かべたままだ。

「行きましょう、ミハル」

 意外なことに、ホタルが口を開いた。

「そう、そうそう。わかってるわね」

 浅井は、何がホタルにはわかっていると思っているのだろうか。

 浅井と白服の男たちとともにしばらく歩くと、装飾の施された大きな扉の前に出た。

 浅井が壁際のボタンを操作すると、扉は機械的な音を立てて開いた。

「みんなは、この人たちが車で学校まで送るわね」

 浅井は、白い大きなバンを指し示しながら言った。

「冬妻さんとは、何の話をするんですか?」

と、ルリ。ルリもさすがにおかしさに気づいたようだった。

「ほら。あなたも言っていたように、冬妻さんは冷静だったから、いろいろと詳しく話を聞けるかなーって」

 浅井がしどろもどろになっていると、バンから男が降りてきた。

「浅井さま。結局、もう一人は見つかりませんでした。学校にも行っていないようです」

「いいのよ、もう、それは」

 遥子のことだろうか。ルリの話だと、遥子もかなり奇妙だったはずで、遥子の話を聞く必要がなくなった、というのはミハルには解せなかった。ほかに目的があるのか。

「ミハル。ルリ。とっても楽しかった。また会いましょう」

 ホタルは、寂しげな表情で言った。伊藤は抜けていた。

「じゃ、また明日。ホタル、イロつけてもらいなよ。わたしらみたいに半日分の仕事じゃないんだからね」

 ルリはそう言うと、バンに向かった。伊藤もその後をついていく。

「冬妻さん、大丈夫?」

 ミハルは、ホタルの様子が気になってしょうがない。

「大丈夫です。ミハルも、また会いましょう。きっと」

「はいはい、その辺にして。きみたちは昼からでも学校に行ったほうがいいんじゃないかしら」

 浅井は、そう言うと、ミハルにバンに行くよう促した。

 それはホタルだって同じだ。おかしい。ミハルは確信した。したが、肝心のホタルが残るつもりなのも、わかっていた。

「じゃあ、冬妻さん、また」

「また」

 ホタルは微笑んだ。

 浅井は、その微笑みをできるだけ早くミハルから遠ざけるように、扉を閉めた。


 ミハルたちが白いバンに連れられて学校の前まで帰ってくると、もう、ほとんど学校の授業は終わっていた。車中ではカンタンな食事も出されなかった。

「なんだか雑よね」

「そうだな」

「バイトってほぼ移動時間じゃん」

 伊藤がそうつぶやくのと同時だった。

 校庭をつっきって、誰かがこちらに向かって走ってくる。まだ下校時間ではないはずなのに、だ。

 遥子だった。

「おまえら、無事じゃったか」

 図書館員遥子だった。

「よく『王国』から無事に逃げ出せたな。ん? ホタルがおらんな。さては、ホタルめ」

 そう言うと、遥子は難しい顔をした。

「『王国』? って、あの『王国』だったの? あそこ」

 ミハルもルリもきょとんとするしかない。

「いや、そう言われると、わしもようわからんのじゃが、あそこが魔術をかじっておる人間の集団の本拠地なのは間違いない。訪ねてきた白服の男の頭を覗いたら、そう書いてあった」

「魔術?」

 ルリがすかさず突っ込む。

「それはまあいい。そんなことより、ホタルがおらんということは、やつらめ、ホタルを使って何かしようと考えておるようじゃ。ホタルが危ない」

 ホタルが危ない、ということなどあるのだろうか。見えない速さで暴漢の手首を切り落とし、異次元を平然と通り抜ける。

「『王国』の連中は、おまえらを人質にとっとるんじゃ。おまえらはいつでも殺せる。今日のことで、ホタルは理解したはずじゃ。ホタルは、おまえらのために犠牲になるつもりじゃ。どうするんじゃ?」

 犠牲? 聞き捨てならない。

 ミハルは言った。

「いったい、どうすれば助けられる?」

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