第十話 夢だけど、夢じゃなかった、かもしれない

 ホタルたちは舞台の観客席に降り立った。

「あれ? この家、舞台なんてあるの? 家にふつう舞台なんてないよ?」

 ルリが突っ込んだ。

「何回も言うようですまんが、この場所は、どこまでもわしらの記憶から取り出したそれっぽい映像で構成されているまがい物でしかない。街並みも、家も、この舞台もそうじゃ」

 遥子が説明した。その瞬間。

「スポットライトが!」

 ミハルは思わず叫んだ。誰が操作しているのだろうか。何か、よくない意思が感じられた。まるで、ダンゴムシを残酷に扱う子どものような。

 舞台の上、スポットライトの先には、フードの男が立っていた。血だらけだ。

「こら! このクサレトレーナー! ざまあみろ!」

 いったい誰に向かって怒鳴っているのか。ミハルが目を凝らすと、フードの男の前には試合用のトランクス姿の男のような人影が血だらけで倒れこんでいた。

「おれが一番強えだろうが!」

 フードの男は、何度もそう叫びながら、血だらけの男の顔を足で踏みつけた。ぐしゅっ、ぐちゃっという音がして、血だまりが広がっていく。

「あいつ、いったい何やってんの?」

 ルリが口を押えながら言った。

「一人芝居、といったところです」 

 ホタルが冷たく言い放った。

「どういう意味だ? 二人いるじゃないか」

 ミハルは聞き逃さなかった。

「もう一人は、フードの男の記憶から作られた人形じゃよ」

 遥子がそう言ったとたん、フードの男は、そのまま、その血だまりに飲み込まれていった。

 スポットライトが消え、暗くなる。そして、再びついた。今度は、制服姿の男子だ。有地だ。

「前の大会、一位だったよママ。 どうしてほめてくれないの? ママ!」

 有地は、スーツ姿の女性に語り掛けていた。その女性は、どことなく有地に似ている。

「確か、有地のうちってすごい名家だって聞いたことある」

 ルリがつぶやいた。

「前の大会って、全国じゃないでしょ。そんなの自慢しないで。恥ずかしいから」

 その女性は、そう吐き捨てると、舞台の奥へと歩み去ろうとした。

「恥ずかしい? ぼくが恥ずかしいって!?」

 有地は、その女性に後ろからとびかかると、手首で首を絞め始めた。チョークスリーパーだ。

「まさか!? おい、有地くん。有地!」

 ミハルは大声を出した。だが、有地には聞こえないようだ。チョークスリーパーは、スポーツで鍛えた十代の男子が本気で締め上げれば文字通りの殺人技だ。

 スーツ姿の女性はしばらくもがいていたが、そのまま、動かなくなった。有地は、「ママ、ママ……」とつぶやきながら、その動かなくなった体と一緒に、フードの男同様に床へと沈み込んでいった。

「さっきの男もそうじゃが、承認欲求が強すぎるようじゃの。そんな輩が最も承認を得たいと願う相手から拒否されるのは、耐えがたい苦痛じゃろう。哀れな」

 遥子は、憐憫がこもったため息をついた。

「黄色い空間で首だけになって生かされとるやつらは人間の肉体的な快楽のサンプル、ここで家の床になるやつらは人間の精神的な苦痛のサンプルといったところかの。仲介者らしい組み合わせじゃ」

 ミハルは、目の前の光景が恐ろしかった。確かに、フードの男たちや有地は邪悪かもしれない。中村遥子のように、クスリの作用でおかしくなった女子もいただろうし、死んだ女子もいたかもしれない。行方不明者や家出娘のすべてが見つかっているわけではない。とはいえ、いま、フードの男たちや有地が、人知を超えた邪悪にさいなまれるのを、因果応報の一言で片づけていいものか。彼らがそう育ったのは、どこまで彼らの責任なのか。どこまでの因果を、彼らが背負うべきなのか。

「見て。伊藤よ!」

 ルリが叫んだ。

 今度は舞台に、伊藤が立っていた。

「あれ? ここはどこだ?」

などと、マヌケなことを言っている。すると、舞台袖から制服姿の女子が出てきた。ルリだ。

「え!? わたし!?」

 ルリはホタルの隣に座っている。

「あれは記憶から作られた人形じゃ。気にするな」

 遥子は、ルリに落ち着くように言った。ルリは、辛うじて半狂乱になるのを押さえたようだった。そして、舞台を見ないように、下を向いた。

 舞台では、伊藤とルリ人形が会話を始めた。

「川辺、なんでここにいんの? ほかのみんなは?」

 遥子の名前は出てこない。

「伊藤、わたしがおまえのことどう思っているかわかる?」

 ルリ人形は、伊藤を見つめながら言った。

「ちょ、ちょっと。わたしはあんなこと言わない!」

 顔を伏せたまま、ルリは叫んだ。

「静かに。まだです」

 ホタルは、ルリを声で制した。

 ルリ人形は、舞台上で伊藤に一歩近づくと、言った。

「ほんっと、つまんねーヤツだなって思ってる。見た目も、性格も。おまえの成績とか趣味とか、まったく興味ないし。有地にくっついてるからって、スクールカースト上位層に入ったとか、誰も思ってないから」

 伊藤は怒りで顔を赤くした。

「なんだよ。いくらおれでもキレるぜ!」

「ヤれるもんならヤれば?」

 ルリ人形は、そう言って嘲笑した。伊藤は、怒りのあまりぷるぷると震えている。そして、やがて、泣き出した。

「くそっ。川辺。おまえくらいはおれのこと、まともに見てくれてるって、少し期待してたのによ……あんまりだぜ……」

 そして、伊藤はしゃがみ込み、うなだれた。

「うわー。カワイソすぎ……」

 ルリは伊藤を哀れんだ。

「今です!」

 ホタルは、鋭く言った。

「何が?」

 ミハルとルリが同時に言った。

「ルリさん、舞台に上がるのです」

「え。上がれるの? 近く見えるけど別の次元とかそういうパターンじゃないの?」

 ルリはおそるおそる顔を上げ、ホタルを見た。

「床に溶け込んだ人間と、目の前の舞台の人間とでは全然違うでしょう。早く行ってください」

 ルリは、よくわからないまま、ホタルにすっかり気圧され、席を立って舞台に近づいた。舞台は、よじ登ろうと思えばよじ登れるくらいの高さしかない。ルリ人形が視界に入らないように目を伏せながら、おそるおそる後ろから伊藤に近づく。伊藤はルリ人形に気を取られていて気が付かない。

「わたしたちも行きます」

 ホタルはミハルの手をとった。図書館員遥子もそのあとに続く。

「あれ。ルリが二人!?」

 視界に入ってきた本物のルリを見て、伊藤がすっとんきょうな声を上げた。

「あっちはにせものよ!」

 ルリがルリ人形を見ないようにして叫んだ。ホタルたちもすでに舞台に上がってきていた。

「で、どうすんのよ」

「出口に向かいます」

「出口? どこにあるの」

 ルリがすっとんきょうな声を上げた。

「ほら、そこに」

 ホタルが、ルリ人形が出てきたのとは逆方向の舞台袖を指差した。ルリが見ると、そこには、緑色の蛍光灯で「非常口」と示された扉があった。

「マジかい」

 ルリが呆れた。

「早く行きましょう。この場所の気が変わらないうちに」

 ミハルは、手が強く引かれるのを感じた。ホタルは、もう一方の手でルリの手をつないでいる。

「ルリさん、伊藤の手をとってください」

「お、おう」

 ルリは伊藤の手を掴んだ。伊藤は、何が起こっているのかわからず呆然自失のていで、走るルリに引きずられていく。ルリ人形は、追いかけようともせず、ただ突っ立っている。糸の切れた人形だ。

「なるほど。この伊藤とやらは、他人を支配しようという気があまりないらしい」

 そう呟きつつ、遥子も出口へと走るホタルたちを追いかけた。

 「非常口」と書かれた鉄扉の向こうは、白い部屋だった。ただ、真っ白な部屋。

 しかし、ホタルたちが入ってしばらくすると、次第に色づいてきた。

 まずは灰色一色。そして黒。茶色……次々と色が生まれ、形を成していく。だんだんと、ソファーやテーブルなどが形をとる。あの、地下室だ。

 それと同時に、ミハルの意識は急速に薄れていった。そのなかで、ルリと伊藤がくずおれるのを見た気がした。遠くで、ホタルの声が聞こえた。

「だから、わたしを食べてって言ったのです。これでは、門限に遅れてしまいます」


 ミハルは、あの地下室のテーブルに突っ伏したまま、目を覚ました。カラオケボックス燈火だ。顔を上げて、辺りを見回す。

「冬妻さん?」

 ホタルは、ペットボトルの飲料をグラスに注ぎ、興味深そうに眺めていた。

「ようやく起きましたね」

 ホタルはグラスをテーブルに置くと、落ち着いた声で言った。その声で起こされたかのように、テーブルに突っ伏していたルリと伊藤も目を覚ました。

「あれ? みんな寝てたの?」

 ルリが呟く。すると、のんきな声がした。

「みんな、起きたー?」

 地下室に入ってきた部屋、つまり上り階段があるはずで、下り階段があった部屋から遥子が入ってきた。開いた扉からは、上り階段と、トイレのマークのついた札がかかったドアノブが見えた。元に戻っている。

「起こしても起きなかったんだから……こんな時間になっちゃった。けど、みんなで言い訳したほうが、きっと親も納得するって思って、起きるの待ってたんだ」

 ミハルが腕時計をみると、時刻は七時を指していた。そんなことよりも、遥子の口調がいつもの調子なのに違和感を感じた。どうして、いつもの調子なのに違和感を感じるのだろう。

 ミハルは思い出した。さっきまで、この地下室からどこかほかのところに投げ出され、そこから戻ってきたことを。ありえないことの連続だった。夢、なのか。

「ミハル、部活をしていない以上、門限は六時です。早く帰りましょう」

 ホタルはミハルをこの現実に引き戻した。それにしても、ミハルの寮のルールをよく理解しているものだ、とミハルは感心した。

「ちょっと、冬妻さん。その前に、わたしのうちに電話して。みんなでカラオケしてたら遅くなったって」

 遥子は携帯端末を取り出すとホタルに押し付けた。遥子はこんな強引な性格だったろうか? ミハルは言いようのない不安に襲われた。

「有地は?」

 伊藤が目をこすりながらつぶやいた。有地の名前を聞いて、ルリの顔を緊張が走った。ルリも、何があったかぼんやりとは覚えているようだった。もっとも、伊藤はかなり忘れている様子だったが。

「フードの男たちは?」

 そう言いつつ、ミハルは、おそるおそるバーカウンターの奥を覗いてみた。

 何もなかった。首無し胴体も、血痕もない。ひっくり返っていたはずの椅子も、元通りのきれいな状態でいつ来るかわからない客を迎える準備が出来ている。

「誰か、調理室に入ってみてよ」

 ルリが震える声で言った。ルリは、あの奇妙でグロテスクな事件を覚えているようだった。

「川辺さん、何言ってるの。そこは従業員さんしか入らないものでしょ」

 遥子がたしなめた。

「そんなことより、親に謝るの手伝ってよ」

 ホタルは、そんな遥子の声を聞いて少し眉をしかめると、遥子の携帯端末をミハルに手渡した。ミハルは、それを伊藤に手渡した。伊藤はルリに手渡した。

「マジ!?」

「だって、女友達からかけないとヘンに思われるだろー。それにしても、おれたち、ヘンな夢みてたよな。やっぱクスリかな」

「そう……そうかもね。有地も、あと、フードの男たちもいないし……足も痛くないし。夢、だよね」

 ルリは、遥子の携帯端末を手に持ったまま、つぶやいた。

「きっと、わたしたちが寝ちゃったから、有地くんたち、つまんなくなって帰っちゃったのよ。わたしたちも帰りましょ。支払いは後ですればいいよ、きっと」

 遥子はそう言うと、ルリに早く電話するよう促した。ルリはしぶしぶ、中村家に電話をかけ、初めて声を聞く中村遥子の親に、カラオケボックスで遅くまで連絡もせずにしゃぎすぎたことを謝罪したのだった。

「あれ。わたし、どうして泣いてるんだろ」

 ルリは、携帯端末を遥子に返すと、自分が涙を流していることに気が付いた。


 ミハル、ホタル、ルリ、伊藤、遥子の五人は、階段を上った。地上は、まだ天文薄明がかろうじて残っていた。

 治安が悪いといわれる不幸通りだったが、制服姿の五人は警察その他に声をかけられることもなく、それぞれの家路につくことができた。ルリは遥子に、伊藤はミハルに、家に電話をかけてもらい、なんとか事なきを得た。

 ミハルは、寮の管理人に咎められたが、ついてきたホタルにうまく謝ってもらった。ホタルはとても丁寧に謝罪したので、管理人はブツブツ言いつつも、今度から気をつけるように、と言った。

「それでは、また明日、ミハル」

 寮の前で別れるとき、ミハルは、ホタルに送っていくと申し出た。初めてのことだった。手をつないで寮まで帰ってきたわけでもないのに、ずっとホタルの手を握っていた気がした。

「ありがとう。ミハル。うれしい。でも、ミハルが送ってくれたら、わたしがここまでまたミハルを送ることになります。それこそ、いつまでも帰れません」

 そう言って微笑むと、ホタルは踵を返した。そして、振り向きもせずに言った。

「今度こそ、食べてくださいね」

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