第九話 夢かもしれない

「伊藤はすぐみつかるよね?」

 ルリが心配そうにホタルに聞いた。

「わかりません。ここは、いわゆるふつうの家ではありませんから」

 だが、ミハルたちにはふつうの家の玄関にいるようにしかみえなかった。

 ホタルは土足で上がり込む。ミハルたちも土足のままホタルのあとに続いた。そんなことを気にしている場合ではない。

 玄関に一番近い扉を開けると、ごくふつうの民家にありがちな廊下が続いていた。ただし、その廊下は、どこまでも続くかのようにみえた。

「伊藤は、そうさの、夢を見させられとる。そして、自分のことを忘れさせられとるのじゃ。この場所は夢を使って人間の魂を溶かして食らう、と言ったらわかりやすいか」

 遥子は、歩きながらたんたんと説明した。

「この家の明かりは、チョウチンアンコウの発光体みたいなもんかの」

 そんな話を気にも止める様子もなく、ホタルは前を歩いていく。持ち前の好奇心からか、緊張に耐えられなくなったからか、ルリが遥子に話しかけた。

「わたしたちは化け物の胃の中ってこと?」

「ずっと前から胃の中じゃよ。まあ、多少食われても回復するわい。気にしなくてよい」

 ルリは青ざめた。


「います」

 しばらくして、急にホタルが立ち止まった。

「伊藤?」

 ルリがおそるおそる呼び掛ける。

 ホタルは、足元を指差した。

「……別の人間です」

「おまえさん、よく気がついたの」

 図書館員遥子がパチンと指を鳴らすと、淡い赤い光が辺りに満ち、それを反射して、廊下の色が変わった。

「こうすれば、見やすいかの」

 ミハルが色の変わった部分に目を凝らすと。

 それは、人間の顔、いや、体だった。かすかに、まるで化石のように見える。

 ジャンパーの男だった。ジャンパーのまま、塗り込められている。その表情は、まるで地獄にいるかのようだ。

「ヒイっ」

 ルリが小さく悲鳴をあげた。

 ジャンパーの男は、ほんの少しだけ、動いていた。

「生きてるの?」

 ルリが呻いた。

「生きる、の定義によるの。こいつはもう完全に取り込まれておる。死んではおらんが、魂は悠久の時をかけて削り取られる。魂がそうなった場合に最終的にどうなるかは、わしらもまだつきとめきれておらん。わしらの科学では追いかけられんのは確かじゃ」

 死んだ後の魂の行き先すら突き止めているというのが本当なら、そんな科学がわからないというのなら、望みがない。ミハルは慄然とした。

「伊藤は大丈夫なの?」

「わかりません。先を急ぎましょう」

 ホタルは、歩き出した。

「助けられないのか?」

 ミハルはホタルに聞いた。

「足元にいるように見えますが、わたしたちとは違う次元に取り込まれています。……助けたいのですか?」

 ホタルはなぜそんなことをミハルが言うのかまったくわからないといった調子だ。

「……いや。伊藤を探そう」

 ミハルは目の前の問題を優先することにした。

「それがいいじゃろう。わしも、あの状態の人間を助けられるとは思えん。伊藤とかいうやつを見つけて引き上げるべきじゃ」

 図書館員遥子は、そう言うと先を促した。一行は再び歩き出した。


 それからさらにしばらくして。またホタルが立ち止まった。

「扉です」

 ホタルは今度も足下を指差した。ミハルは、どこの民家にでもありそうなふつうの扉がなぜか足下に張り付いているのを見つけた。

「誘っておるのか」

 図書館員遥子が腕を組みながら唸った。

「このタイプの存在がそんなふうに人間を気にかけるとは思えませんが」

 ホタルはしゃがみ込むと、扉のノブに手をかけた。

「ここからは多少時間がかかる出来事が起きるかもしれませんが、気にしないでください。ミハルが門限に間に合うようにはするつもりです。いいですか、かならず、わたしの後に続いてください」

 ホタルは申し訳なさそうにミハルに言うと、扉を引き開け、なかに飛び込んだ。

 ミハルは、なんのためらいもなくホタルに続いた自分に驚いた。

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