第八話 探すしかない
「そこの嬢ちゃんは察しがよいの。まあ、そんなかんじじゃ」
遥子はそう言うとルリに微笑みかけた。
「そろそろ帰ってもいいです?」
ホタルが眉をひそめながら言った。そして、ミハルの手をぎゅっと握る。
「ミハル、もういいでしょう? 下等な人間たちのこと、十分わかったはずです。ミハルが気にすること、ないんです」
ホタルは、ミハルにすり寄った。ミハルは、そんなホタルを相変わらずどうしたらよいかわからない。
「ずっと我慢してたんです。下等な人間がミハルとわたしのことを聞いて来たときも。ミハルが下等な人間との関係を望んでるから仕方ないと思って。下等な人間がわたしに触れたときも。ミハルが我慢しろって言ったから」
ホタルには、黄色い空間や首だけにされた男たち、上り階段が下り階段になったこと、突如、図書館員を名乗りだした遥子など、たいしたことではないらしい。
「……わかった。わかったけど、冬妻さん、おれたち、帰れるのか?」
ミハルは思わず聞いた。
「冬妻さん、その……中村さん……が言うには、階段は罠なんだって」
伊藤が声を絞り出した。
「そうよ。冬妻さん。ここで起きた異常な出来事からして、その図書館員遥子が言っていることを信じるべきよ」
ルリも援護した。伊藤もルリも、ホタルがこの現実を認識できていないか、逃避するかしていると思っているようだった。
「そうじゃ。娘。どうするんじゃ? 」
遥子は、あごをさすりながら興味深そうにホタルを眺めた。
「わたしたちは来たところから帰るだけです」
ホタルは澄まして言った。
「ほう。しかし、おぬしらが入ってきた入り口は異次元に接続しておるが、どうする?」
「歩いて帰ります」
ホタルはこともなげに言った。遥子は、面白そうに笑った。
「ほっほ。わしも本を探さにゃならん。一緒に行っても構わんかの」
「お好きに」
ホタルは冷たく言い放った。
「ホタル、わたしも一緒に行っていい?」
ルリが、すがるような目でホタルを見た。
「置いてくなんて言わないでくれよな」
伊藤も泣き出しそうな顔だった。
「ミハル、どうします?」
ホタルはミハルに顔を向けた。
「……クラスメイトだろ」
ミハルはため息をついた。
「わかりました。それでは、帰りましょう。ミハルの下宿には門限があります」
ホタルはそう言うと、下り階段のある小部屋に向かった。ホタルを先頭に、ミハル、ルリ、伊藤と続く。
「わしはしんがりを務めようかの」
図書館員遥子は、のんきに言った。それからテーブルの上のウェットティッシュに気づくと、口の周りを拭いた。
三十分くらいは下ったろうか。下り階段は、何階分も続いているようだった。ありえない長さのように思える。伊藤は怯えきっており、ルリにしがみつこうと必死た。ルリはそれを振り払うのに余念がない。ホタルは落ち着いた足取りで、急ぐでもなく、階段を下っていく。
「ねえ、七浦くん」
ルリがミハルの後ろから声をかけてきた。
「ふだんは、ホタルってきみのこと、名前で呼んでるの? その、ミハルって」
ルリがどんなつもりでそんなことを聞いてくるのかミハルにはわからなかったが、きっと気を紛らわせたいのだろう。そんな会話は、少しだけ平穏な日常を感じさせてくれる。
「まあ、そうだな。学校じゃ違うけど」
「もしかして、ただの幼馴染みじゃないとか?」
「それが思い出せない」
ミハルは頭を掻いた。
「最低。思い出してあげなよ!」
そう言って、ルリはミハルをはたいた。
「もっと言ってください、ルリさん」
ホタルは、足を止めて振り返った。なぜだかその顔にはうれしそうな表情が浮かんでいた。その微笑みは、もしかすると初めてミハル以外の人間に向けられた笑みかもしれなかった。
「あ、ありがと」
ルリは、なぜか照れた。
しばらくして、先に光が見えてきた。
ミハルたちがその光に近づくと、それはなんと街灯だった。
気が付くと、ミハルたちは見たことのあるようで、ないような、宅地のなかの道路を歩いていた。
「え? なんで?」
ルリが周囲を見渡す。さっきまで階段を降りていたはずなのに、背後に階段らしきものはない。街灯が並んだ道路があるだけだ。だが、五百メートルほど先は暗闇に溶け込んでいて様子がわからない。
宅地はひっそりとしており、物音一つ聞こえない。
「帰ってきたのか?」
ミハルはつぶやいた。
「そんなわけないじゃろ。おぬしら、さっきまでどこにおったんじゃ。この場所は、おぬしらの頭の中から、一番受け入れやすいイメージを編集しておるだけじゃ。本当の空間をおぬしが認識してしまったら、もう元の人間には戻れんぞ」
遥子が容赦なく現実に引き戻す。
「歩いて帰れるとはいえ、それなりに時間はかかります」
ホタルは平然と言った。
どれもどこかで見たような似たような建物ばかり。だが、明かりのついている家は見当たらない。
しかし、しばらく歩くと、明りのついている家が遠く視界に入ってきた。
「誰かが住んでるのかな」
ルリが不安そうに言った。
「ちょっと様子みてくる。人がいるんだったら、助けを呼んでもらえるかもしれないしな」
伊藤が隊列を離れ、明りのついている家まで駆けだした。
「あ。わしらから離れないように言うのを忘れとった」
遥子が、しまった、といわんばかりに手を口にあてた。
伊藤がミハルたちのそばから離れれば離れるほどその姿は薄れていき、やがて掻き消えてしまった。
「どういうこと!? 伊藤はどこに行ったの?」
ルリが半狂乱になって叫んだ。
「落ち着け。わしらのおる力場から外れたから見えなくなっとるだけじゃ。しょうがない。助けに行くかの。それでよいか? 冬妻ホタル」
ホタルは歩みを止めて、ミハルを振り返った。
「ミハルはどうしたいですか?」
ミハルはデジャブを感じた。
「クラスメイトだろ」
「ミハルは本当に優しいですね」
そう言うと、ホタルはにっこりと笑った。
「みんなで行くの? わたし、ここで待ってていい?」
ルリがおそるおそる聞いた。
「わたしたちから離れると、帰れなくなります」
「わしらは異次元生物の領域に踏み込んどる。まだ無事なのは、わしらがわしらの領域を展開しておるからじゃ。おぬしには異次元生物の領域を上書きするほどの領域は展開できんじゃろ」
相変わらず遥子の説明は理解できない、とミハルは思った。
明りのついている家の前まで行くと、扉が半開きになっているのがわかった。なかから光が漏れている。ミハルが覗き込むと、伊藤が立ち尽くしているのが見えた。何かを見ている。
「伊藤くん?」
ミハルはドアノブを開き中に入った。しかし、ミハルがさっきまで見えていた伊藤はそこにはいなかった。後ろからホタルが続いて入ってきた。
「もう。ミハルったら。置いてかないでください」
「ご、ごめん」
ホタルの不安そうな表情を見ると、ミハルは素直にならざるをえない。
「でも、伊藤くんがいた気がした」
ホタルはため息をついた。
「確かに、伊藤くんはこのなかにいます。でも、探さなくてはなりません」
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