第七話 理解できない
「ありえねえ……下り階段しかねえぞ」
フードの男がつぶやいた。ミハルたちが降りてきた階段のあるはずの小部屋には下への階段だけがあった。上には、灰色のコンクリートらしき天井があるだけ。
しかし、後ろには背の高い人影。フードの男は、振り返りもせずに階段を降りて行った。ジャンパーの男も、そのあとに続いた。有地は、ちらっとミハルたちのほうを見ると、スグルさんをよろしく、と言って敬礼のようなしぐさをしてから、そのあとを追いかけた。
「あー、行ってしまったか。誰があの扉を開けたのか、気にならんかったのかのー」
突然、遥子の声がした。ソファーに寝かされていた遥子が、突然、しゃべり始めたのだ。だが、その口調はそれまでとは異なっていた。
「まったくつまらんブービートラップじゃのにな。おい、そこのなりそこない」
そう言って、遥子は起き上がると、まだ突っ伏したままのひょろっとした男に話しかけた。口のまわりについた白い泡や失禁した下着のことなど、気にした様子はない。
「お、おまえはだ、誰だ……」
ひょろっとした男は、焦点の合わない目で遥子を見た。目の奥に黄色い輝きがあった。
「おまえなんぞは知らなくてよい。それより、本はどうしたのかの?」
遥子は、そう言ってひょろっとした男の目を覗き込んだ。
「あの本……? あー、あの本は返した……」
「返した? 戻って来とらんがの。誰に渡したんじゃ?」
「王国の術師」
「王国の術師とな。あいわかった。あとはこちらで探そう。おまえはどうしたい?」
「気持ちよくなりたい」
ひょろっとした男は、そうつぶやくと、陶然とした表情で、かつて調理室だった黄色い空間を見た。背の高い人影は黄色い空間の手前でぼんやりと立ち尽くしていた。
「あいわかった」
遥子はそう言うと、ひょろっとした男を頭から抱え上げた。ひょろっとした男は、なされるがままだ。遥子は、そのままひょろっとした男を背の高い人影めがけてブン投げた。
背の高い人影は、あたかも大きな人形を受け取るかのようにそれをキャッチすると、パキッパキッと手際よく首をもぎ取り、ツグトシと呼ばれていた野球帽の男の首の横に並べた。
その様子をまともに見てしまったルリと伊藤は、二人揃って悲鳴を上げた。
パチン、と指を鳴らす音がした。遥子だった。ルリと伊藤は遥子のほうを振り返った。
「今見たことは忘れるんじゃ」
遥子がそう言うと、二人はそろって頷いた。次の瞬間、二人は何事もなかったかのように平静を取り戻していた。
ミハルも二人と同じ光景を見ていたが、ふしぎなことに、二人ほどの恐慌をきたさなかった。現実味が湧かない、というよりもむしろ、これが現実と前から知っていたかのような。
一方、ホタルは遥子を見ていた。
「さて、おぬし……いや、お二人さんはいったい何者じゃ?」
遥子は、そう言ってホタルを見、それからミハルを見た。
「人間です。ミハルも、わたしも」
「そうじゃったか」
「ええ、そうです」
そんなことより、いったい、遥子はどうなってしまったのか。ミハルはたまりかねて割り込んだ。
「えと、中村さん、だよな?」
すると、遥子は、悲しそうに首を振った。
「残念、中村遥子は彼岸に行ってしもうたようじゃ」
「じゃあ、あなたは誰なんです?」
ホタルが聞いた。
「わしは図書館員じゃよ。借りた本を返さぬ輩を追ってきたんじゃ」
そう言うと、遥子は首を傾げた。
「あ、おぬしが気になっとるのは、そのわしがなぜ中村遥子なのか、じゃな? 貸し出し中の本の信号をたどっておったら、ここに行きついたんじゃが、ここで使う体がなくて困っとった。そしたらタイミングよくこの体から魂が抜け出たんで、わしがもろうたわけよ。もらわんでは、腐るだけじゃでな」
ミハルは話についていけない。ホタルは内容を理解しているのだろうか。
「わしのことは中村遥子と思ってもらってかまわんよ」
なりすましではないか、と、ミハルが思ったところで、ホタルが口を開いた。
「では、図書館員遥子さん。この事態を説明してくれませんか。わかるように」
そう言うと、ホタルはルリと伊藤に目をやった。
ルリと伊藤は、呆然と遥子を見つめていた。ミハル同様、遥子が何を言っているのかまったくわからないのだ。
「あー、簡単に言うとじゃな。あの黄色い空間は異次元の生物じゃ。で、背の高い男とおぬしらが呼んでおるのはこちらでは仲介者と呼ばれとる」
そう言って、遥子は光を放っている黄色い空間を指さした。ちょうど、背の高い人影が黄色い空間とともに姿を消すところだった。長髪の男ハジメ、野球帽の男ツグトシ、ひょろっとした男スグル。三人の男たちの首とともに。
背の高い人影と黄色い空間とが徐々にその姿を薄め、消えたときには、元の調理室と、首のない男の胴体が三体残っただけだった。
「スグルとかいう輩は人間のタガを外すことで、黄色い空間へのとっかかりをつくったんじゃ。そんなことはふつうできんが、貸し出し中の本にはその仕方が書いてある。仲介者がそのとっかかりを使って、黄色い空間へとつなげた。スグルも、気持ちよくなれて大満足じゃろうて。そういう約束じゃったみたいじゃしな」
そう言うと、遥子はふうっとため息をついた。
「相沢博美はどうなったの? 黄色い空間のなかにいるの?」
ルリがおそるおそる聞いた。
「その女子は、人間のタガを外すための儀式、言ってみればとっかかりとして殺されただけじゃ。死ねば魂は別の次元に移動する。ここの人間には知られとらんがな。死なずに黄色い空間のなかで魂を腐らせる快楽に未来永劫さいなまれるのとどっちがいいかっちゅうのは、人によるかの」
「死んだら驚いたってやつか……」
伊藤がつぶやいた。
「そんなことよりな。どうもここに接続しとるのは黄色い空間だけじゃなかったようでな。仲介者が帰ったところからすると、一通り仕事は終わっとるとみてよいじゃろう。つまり、ほかにも接続しとるやつがおる」
「とすると」
ルリは、言葉を継がずにはいられなかった。
「わたしたちは、ほかの異次元生物の人間サンプルにもうなってるってわけね」
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