第六話 逃げられない

 長髪の男の首をもぎとった人影は、天井に頭がつくくらいに背が高く、とても人間のようには見えない。

 長髪の男を残酷に扱うと、その肉塊とともに、背の高い男は調理室に入り扉を閉めた。


 あまりに突然行われた残虐な行為と奇怪な行動。声を出す者はいなかった。だが、次の瞬間。青ざめた男が叫んだ。

「見ただろう、おまえらも見ただろう!? あの背の高い男が、おれたちを最高に気持ちよくしてくれるんだ!」

「コイツ黙らせろ」

 フードの男が命じた。

 野球帽の男が、部屋のどこかに隠してあったバットで、青ざめた男を殴った。青ざめた男は、ギュ、とヘンな音を出した。頭から血が流れだす。それでも、ニヤニヤと笑うのを止めない。

「くっそ! なんなんだよ!」

 野球帽の男はそう叫ぶと、青ざめた男をさらに、何度も殴った。

 フードの男は冷めた目でその様子を見ていた。それから、はぁっと一息ため息をつくと立ち上がった。

「それじゃ、パーティはお開きだ。つまんねーことになっちまった。おれたちは帰るわ。おまえらも気をつけてな」

 フードの男は、さっき見たものを頭から消し去ったかのように冷静だった。少なくともそう見えた。そして、ほかの三人を引き連れて、何事もなかったかのように入ってきた扉に向かった。その足取りは早い。

「先輩、待ってくださいよ。ハジメさんの仇はとらないんですか」

 有地が追いかける。

「バカか。素手で首を折り取るようなヤツ、人間じゃねーよ。仇もクソもねえ」

 フードの男は、椅子にぶつかりながら、入り口の扉に急いでいた。


 その様子を見ながら、ミハルは自分たちも逃げなければ、と思った。しかし、遥子は昏倒したままだ。机に突っ伏したまま動かない。あの、恐ろしい人影は、すぐ後ろの扉の向こうにいるというのに。

 ルリが心配そうに遥子の体を抱き上げようとした。しかし、蹴られた太ももに力が入らず、遥子もろとも崩れ落ちる。ミハルが手を貸すと、ルリの肩を抱くような形になった。

「……ありがと」

 ルリはミハルの顔を見ないようにして言った。

「なんでもねーよ」

 その様子を見て、伊藤がルリに駆け寄る。

「あんたバカ? わたしは七浦くんに肩を貸してもらってるんだから、あんたは遥子をなんとかしなよ!」

 ルリが一喝する。伊藤はその剣幕に押され、遥子を抱えようとするも、無理だ。

「冬妻さん、伊藤に手を貸してやってくれ」

 ミハルがホタルに声をかけるが、ホタルはミハルをちらっと見ただけだ。

「ミハルは誰にでもやさしい……」

 ホタルがボソっと言った。

「冬妻さん、頼む!」

 ミハルは懇願した。

 ホタルはふーっとため息をつき、なぜか遥子ではなくルリに近寄った。

「どれくらい痛い?」

 そう言って、ホタルは遠慮なくルリのスカートをまくり上げた。下着が丸見えになる。目を逸らすミハルと伊藤。

「な、何するの!?」

 ルリは赤面した。ルリの太ももは赤く腫れあがっていた。

「たいしたことないです」

 そう言うと、ホタルはスカートから手を放し、今度はいきなりルリの口に指を突っ込んだ。

「は、はから、ひったい……」

「しばらくこうしててください」

 ホタルは容赦なくルリの口に指をねじ込む。

 ホタルの傍若無人ぶりにミハルと伊藤が呆気にとられていると、有地が戻ってきた。

「扉が開かない。おまえらも手伝え」

 ミハルたちが扉のほうを見ると、フードの男たちが扉と格闘していた。

「鍵は開けたはずなんだが、まったく動かねえ!」

 フードの男は叫んだ。

「扉が開かねえと、逃げられねえぞ!」

 ミハルはフードの男に従いたくはなかった。だが、扉が開かないと逃げられない。その通りではある。ミハルと伊藤は遥子をソファーに寝かせると、ルリの口に手を突っ込んでいるホタルをそのままにして、扉に向かった。


 男たちは必死にノブにしがみついていたが、扉はピクリともしない。ミハルや伊藤が加わっても、事態は好転しそうになかった。

 そうこうしているうちに、奥の調理室から妙な音が聞こえてきた。キイキイと小動物の鳴く声のようにも聞こえる。

 だんだんと大きくなる。

 人の叫び声のようでもある。

「おい、あれ、ハジメの声じゃねーか?」

 扉の隙間をこじ開けようとナイフを差し込もうとしていたジャンパーの男がつぶやいた。その声音は明らかに怯えていた。

 長髪の男、ハジメと呼ばれた男の頭は、確かに胴体から離れていた。なのに、なぜ、その男の声が聞こえるのか。

「もしかして、まだ生きてんのか?」

 野球帽の男がノブから手を離した。

「どう考えても生きてるわけねえだろ」

 フードの男が押し破ろうと扉にかけていた体重を抜いた。

「ツグトシ、ミツオ、来いよ」

 フードの男はそう言うと、調理室に向かった。

「さっすが先輩たち、頼りになる」

 有地が場違いな軽口を叩く。極度に緊張しているのだろう。そんな有地をウザそうに一瞥すると、フードの男たちは調理室に向かった。

 ミハルと伊藤は、そのどさくさにホタルたちのところに戻った。

 ルリはよだれだらけになりながら、ホタルを睨んでいた。ホタルはどこ吹く風だ。だが、ホタルはミハルが近づいてくるのを見ると、指を引っ込めた。そして、テーブルの上のウェットティッシュで手指を拭いた。

「……なんだか失礼ね」

 ルリは憤懣やるかたない様子だ。

「あなたは怖くないの?」

 ホタルはルリの顔を見て言った。ホタルなりに、この状況を理解しているのだろう。たしかに、みな、恐怖に満たされているように見える。ホタル以外は。ミハルは、そう冷静に分析している自分に気づいた。

「怖いわよ。でも、それはそれ」

「そう。その様子なら大丈夫そうね」

「何が?」

「足」

 ルリは、太ももに手をあてた。スカートをめくり、患部を確かめる。するとそこにあるはずの腫れはすっかり消えていた。

「いったい何したの」

「舌の下にあるツボを刺激したのです」

「マジ!?」

 ルリは素っ頓狂な声を上げた。ミハルと伊藤は呆気にとられるしかなかった。


 一方その頃、フードの男たちは調理室の扉の前でまごついていた。どうやら、やはり、その悲鳴はハジメの声のようで、フードの男たちはあまりの恐怖にみな黙り込んでしまった。

 ついに、緊張の糸が切れたフードの男がイラついた様子でノブをひねりはじめると、扉が開いた。フードの男は飛び退った。

 そこは、部屋ではなかった。空間だった。黄色く発光する空間。

 その空間のなかに、長髪の男はいた。正確には、長髪の男の首があった。そして長髪の男は、「ああう、ああう」とか「きいい、きいい」とか、悲鳴とも喘ぎともつかない奇妙な声を出しているのだった。

 そのそばにかがみこんでいた人影は立ち上がると、手をフードの男のほうに伸ばした。フードの男は軽い身のこなしで避けた。背の高い人影の手は代わりに野球帽の男を掴んだ。

 人影の頭に当たる部分には、皮が張り付いただけのガイコツのような、人形のような顔があった。野球帽の男がそのとき見たのは、そんな顔だった。

 その次の瞬間、パキッという乾いた音が二回とブシュッ、という液体のほとばしる音が一回した。

 背の高い人影は、左右にひねってねじり取った野球帽の男の首を、黄色く発行する空間に浮かぶハジメの首の横に並べて置いた。驚くべきことに、野球帽の男の首は目を見開き、声にならない叫びを上げはじめた。

「ツグトシ……」

 ジャンパーの男が野球帽の男の名前をつぶやいた。

 そのとき突然、バンッと大きな音がした。

 階段へと向かう扉が吹き飛んでいた。さっきまで、開かなかった扉だ。

 フードの男とジャンパーの男は、必死でその扉のところへと走った。椅子の転がる大きな音が続く。有地も残されまいと、そのあとを追いかける。


 ところが。扉の向こうで男たちを待っていたのは、上り階段ではなかった。下り階段だった。



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