第三話 事件は教室で起こってるんじゃない

 死んだ女子生徒は、相沢博美あいざわひろみといった。校長によると、誰にでも優しい真面目な子だったらしい。


 その日、生徒の不慮の死を全校集会で悼んだあと、ミハルたちは教室に戻った。

授業が始まる様子はなかった。ミハルたちのクラスも、ほかのクラスも自習だった。行動的な誰かがさっそく他の学年にも調べをかけたところ、どの学年も自習だった。

 ミハルたちのクラスも、ご多聞に漏れず、自習そっちのけで、みなそれぞれに時間を潰す。マンガを読む者、ゲームに興じる者、そして噂話に花を咲かせる者。


「ねぇホタル、怖い話って平気?」

 中古で購入した十数年前のラノベを読みふけるミハルの耳に、ホタルに話しかける少しハスキーな声が聞こえてきた。

 川辺かわべルリ。クラスの目立ちたがり屋。噂やゴシップが好きな女子だ。かなり胸が大きいので、クラスの男子からはそこだけにはこっそり一目置かれている。ホタルは一緒にいるだけで目立つので、何かとルリに目をつけられていた。ようするに、よくルリに絡まれていた。よく言って世話係、悪く言ってパパラッチだ。何かとホタルの情報を引き出そうとしている。

 ミハルは、思わず耳を澄ませた。なんとか聞こえなくもない。

「あの、死んじゃった女の子、水難事故だって言われてるけど、まだ海水浴ってかんじじゃないよね」

 海開きは、通常、梅雨が明けてからだ。だが、死んだ女子は不用意に水辺に行き、波に呑まれ、サメに襲われたとみられていた。

「不幸通りで、その女の子を見た人がいるんだって」

 不幸通りとは、正式には福雄通りという。繁華街の裏通りでいかがわしいお店やホテルがあるので、通称、不幸通りと呼ばれていた。遊びすぎれば不幸になる、という理屈らしい。海辺からは遠くないが近くもない。歩いて三十分くらいだ。ミハルの襲われた、そして流血の惨事のあったところだ。

「相沢さんは売春でもしてたんでしょうか」

 ホタルが単刀直入に言ったので、ルリは思わず噴き出した。

「ぶふっ。校長が言ってたようないい子ちゃんじゃなかったかもね」

 ホタルの歯に衣着せぬ発言に、ミハルはつい振り向いてしまった。ルリのメガネのフチが光って見えた。

「誰にでも優しく真面目だからストレスが溜まったのかもしれません」

 ホタルは優等生のように回答したが、なんだか少しずれているようにもミハルには思えた。

「そうかもしれないけどさ」

 自慢のゴシップが冷静に分析されて、ルリはいささか興を削がれたようだ。

「ちょっと川辺さん。冬妻さんを怖がらせるつもり? この辺りを殺人鬼がうろついてるって言いたいの?」

 口を挟んだのは、ホタルの隣の席の中村遥子なかむらようこだ。ホタルに何かと世話を焼く、親切で、ちょっぴり健康的な女の子だ。もっとも、こちらはルリのように目立つ者に取り入ろうとするような下心はなさそうだった。

「中村さんは、よく分かってるようだね」

 横からしゃしゃり出てきたのは、有地信哉ありちしんや。早々に形成されたスクールカーストの上位に位置する、リーダー格の一人だ。

「死んだ三年生は、背の高い男と一緒だったってさ」

と、別の男子の声。伊藤正雄いとうまさお。教室では、有地とよく一緒にいる。

「もし殺人鬼がその辺にいるなら、今日、ずっと自習なのも説明がつく。先生たちは対策に追われているんだろう」

 有地は自分の推理を開陳した。

「なによ、偉そうに。そんなのネットに書いてあるような話じゃん」

 ルリは、有地にネタを奪われたのが面白くない様子だ。

「それだけならな。そこで、おれらはちょっと、ゲーセンに行こうと思ってる」

 ゲーセンは不幸通りの近くだ。伊藤のことばを、有地が補足した。

「せっかく事件が近所で起こったんだ。現場近くに行ってみるほうが楽しいかな、と思ってね。どうもその背の高い男が目撃されたのはその辺りらしいんだ」

 有地の不謹慎な台詞に、遥子は少し眉をしかめた。だが、その目は有地に注がれている。

「で、どうよ。川辺も。好きだろ? こういうの」

 伊藤の声には、煽るような調子が含まれていた。

 ホタルは窓から飛ぶ鳥を見るかのような様子でルリたちを眺めていたが、突然、ミハルに目を向けた。たじろぐミハル。

「七浦くんも誘ったらどうでしょう。さっきからこっちを見てます」

 ルリ、遥子、有地、伊藤がいっせいにミハルのほうを見た。ミハルは、もはや興味のないフリもできず、おろおろするばかりだ。

 ルリが何か思いついたようだ。

「そうね。だったらホタルも行く? もしそうなら、わたしも考えるけど」

「なんだよ、自分で決められないのかよ」

 伊藤がバカにしたようにつぶやく。

「バカね。わたし一人であんたたちなんかについていくわけないでしょ」

 ルリが伊藤をはたく。

「もし冬妻さんが行くなら、わ、わたしも行くわ」

 そう言って、遥子はさりげなく有地をチラ見した。

 有地は女子にわりと人気がある。有地は、そんな遥子の視線に気付いてにっこりとほほえんだ。

「はは。どうだろう、七浦くん。もし、こんな噂話に興味があるなら、ぼくたちと一緒にどうかな。冬妻さんも、きみに来て欲しいらしい」

 どうも話の流れは、そして放課後の過ごし方は、ミハルの双肩にかかっているようだった。

 意外な成り行きに、ミハルは内心たじろぐばかりだった。ルリも遥子も、有地も伊藤も、ただのクラスメイトだ。これまでたいした接点はない。一方、ホタルとは異常な接点が続いている。

 ミハルは、ホタルとほかのクラスメイトとがミハルを通じて接点をもったら、何かさらに異常なことが起こるような気がしてならなかった。

 もし、ミハルが興味ないと言えば、この話はなくなるだろう。だが、ミハルとクラスメイトとの接点をつくる機会もなくなる。この先、ずっと孤立していても、いいものだろうか。

「いいよ。おれもゲーセン行きたかったし」

 ミハルは、少し冒険してみることにした。

「お。寡黙な男も冬妻さんの魅力には勝てなかったか」

 伊藤が軽口を叩いた。

 有地がどこかほっとしたような奇妙な笑顔で言った。

「よかった。じゃあ、今日の放課後、だね」

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