第二話 人間じゃない
「冬妻さん、それ、何……?」
ミハルは、おそるおそる、落ちている人間の手を指さした。断面からは、まだ血が滴っている。
ミハルの腕に腕を絡ませ目を閉じていたホタルは、薄眼を開けると、つまらなさそうに言った。
「これですか? これは、さっきの男の手です」
そして、また目を閉じてミハルにくっつく。
ミハルは、背中に冷水を浴びせられた気がして、ホタルから飛びのいた。
「いったい何した!?」
ミハルは、大声を出していることに気が付かなかった。犬の散歩をしていた人が、ミハルのほうを振り返った。
「え? 下等な人間がわたしの大切な人に痛い思いをさせようとするから、少し痛い目を見てもらっただけ、です」
ホタルは、そう言ってきょとんとしている。
「いくらなんでもやりすぎだろ!」
下等な人間たち?
「そうですか? これでもかなり我慢したんです、けど」
ホタルは困った顔をした。ミハルの言っていることが本当に理解できないようだ。
そもそも、人間の手首を跳ね飛ばすなど、人間業ではない。
「おまえは人間じゃない……のか?」
ミハルは聞かずにはいられなかった。
「失礼な。わたしは人間です」
ホタルは、立ち上がり、腰に手をあてて怒った仕草をした。本当には怒っていないようで、かわいらしく演出している。こんな状況でなければ愛らしい。
「まったくもって、ふつうの人間です。あの男が下等なだけです」
ふつうの人間が目にも止まらぬ速さで人間の手首を切り離すなどできようはずもない。
「もう。せっかくいい雰囲気だったのに」
そう言うと、ホタルは「手」を拾い上げ、大きく振りかぶると、「えーい」といって放り投げた。「手」は、あたかも野球のボールのように大きく弧を描くと、小さな点になって、海に消えた。
呆然とその光景を眺めるミハル。
「ミハルは優しいから、下等な人間にも気を遣うんです」
そう言って、ホタルは髪の毛をかき上げた。夕日に銀髪が赤く輝く。
「やりすぎだろ……」
現実味のない光景。ミハルは繰り返した。
「わかりました。今度から、もっと我慢するように頑張ります」
ホタルは、そう言って、少し困ったような顔をして微笑んだ。
その日、手首を切り落とされた男の事件は、ちょっとしたネットの噂になったが、地元メディアが取り上げることはなかった。
その翌日の朝。
ミハルが登校していると、ホタルがどこからともなくまたやってきて、お弁当箱を取り出す。なかには赤黒い四面体があった。なんだかいい匂いがする。煮込まれているのか。
ミハルが無視していると。
「まだ食べてもらえないんですか」
そう言って、ホタルは形のよい眉を残念そうにひそめた。
ミハルは、「手」の一件を、ホタルが隠し持っていたナイフで素早く手首を跳ね飛ばしたところを見ていなかったか、見てもショックで忘れているのだと心の中で整理していた。それにしたって、人間業ではないが。
ミハルには、ホタルに得体のしれない恐怖を感じずにはいられなかった。が、横を歩いているホタルを見ると、そんな恐怖は薄れてしまう。ホタルが隣にいることに居心地のよさをますます感じ始めている。
「それ、食べないとダメか?」
「そんなことをわたしに言わせるんですか」
ホタルは、あきらめきったような顔をして、見た目とは裏腹な匂いのする肉塊をお弁当箱にしまい込んだ。
六月半ば。それは、梅雨に入ってしばらくしてからのことだ。
「そろそろ来ますね」
下校時、ホタルがミハルの隣に来てつぶやいた。
ミハルは、ホタルに何かを聞いても十分な答えが得られないことに慣れつつあったが、それでも、何が、と聞かずにはいられなかった。
「嵐、です」
台風のことを言っているのだろう、とミハルは思った。
「ミハルはかわいそうです」
そう言って、ホタルはため息をついた。
「ミハルはきっと悲しみます」
ミハルは、なんで? と聞いた。するとすかさずホタルはカバンからお弁当箱を取り出すと言った。
「食べてくれれば、悲しまなくて済みます」
中に何が入っているかはミハルにはわかっている。外見は、お手製のお弁当を食べてくれない彼氏に悲嘆しているいじらしい女子だ。
「いや、食べない」
悲しまなくて済む、とはどういうことなのだろうか。
「ミハルは下等な人間に愛着をもってます。だから、きっと悲しみます。でも、それもミハルの選んだことなら、わたしは我慢します」
下等な人間。悪役が言いそうな、なんとも奇妙な言い回しだ。ミハルにはホタルが誰のこと、いや、何のことを言っているのか想像もつかなかった。
翌日。隣のクラスの女子が失踪した。ミハルとは一面識もない生徒だ。
そのさらに翌日。その女子と思われる体の一部が海岸に漂着した。
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