「どうぞ」

 震える手で差し出された紅茶を見ても、森下の頭の中では紅茶の注がれるあのリズムが響いていた。やがてそれはロッキンチェアの音になり、森下の意識は現実に返った。

「あ、ありがとうございます」慌てて森下は言ったが、すでに老婦人は窓際へ向かっていた。

 森下は老婦人の頼りない背中を見つめた。その先にはロッキンチェアに揺られる女性がいた。森下はゴクリと唾を飲んだ。あそこまで人間味がないと、文字通り椅子に『揺られている』ようだ――。

 老婦人は女性の目の前に置かれたカップに紅茶を注いだ。それからティーポットをテーブルの上に置いて、こちらに戻ってきた。女性の方は依然としてロッキンチェアをテンポ良く揺らし、僕ら三人を無視していた。


 老婦人はゆっくりとソファに腰を下ろすと、話しはじめた。

「この紅茶はダージリンですが、世間に出まわっているようなものではありません。我が家では特別な茶葉を取り寄せておりますので、もしかしたらお口に合わないかもしれません――失礼いたしました、厚かましいことを申しまして。お口に合わないかもしれないことを心配しただけのことです」

 老婦人はほとんど無表情で言った。途中で言い間違えたというより、もともと台詞が決まっていて、それを棒読みしたような言い方だった。

「いえ、とんでもないです。わざわざありがとうございます」そう言って、森下は紅茶をすすった。

 確かに普通のダージリンティーとは味が違う。一口飲んだだけであらゆる感覚を刺激され、幸福感のようなものが沁みわたった。森下は紅茶が世界を席巻した理由が分かった気がした。世間の連中はなんてひどいまがい物を飲まされているんだろうと考え、微笑んだ。

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