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 天国への旅


 田辺が待ち合わせ場所である喫茶店に行くと、そこには確かに『一人の女性の姿』があった。 

 誰かのいたずらかもしれないと思っていた田辺は、その席にきちんとした身なりをした女性(貧乏な田辺よりもずっと見た目がよかった)が座っている風景を見て、少しだけ驚いた。

 女性は田辺のことを知っているのか、喫茶店の中に入ってきた田辺を見て、こっちです、とでも言うように、にっこりと笑って、田辺のことを手招きした。

「初めまして。田辺一と言います」

 席に座ると田辺は言った。

「知っています。小説家の田辺さんですよね?」にっこりと笑って、その女の人は言った。

 田辺はやってきた店員にホットコーヒーを頼んだ。

 女性は、店員に「同じものを」と言って、田辺と同じホットコーヒーを注文した。

 それからしばらくの間、二人は黙って、それぞれの姿を観察した。 

 女性はきちんとしたスーツに身を包んでいる、清潔感のある、真面目で、それでいてどこにでもいそうな感じのする、笑顔の美しい女性だった。(少なくとも、ノートパソコンをハッキングするような人には見えなかった)スーツは黒の落ち着いた物で、とても高級そうな品だった。足に履いている靴も(席まで移動するときに靴が見えた)身につけている小物も(時計や指輪、イヤリングなど)どれもシンプルだけど、とても高級な物であることは間違いないように思えた。

 どうやら、お金目的ではないらしいな。

 と、田辺が小説家の悪い癖のようなもので、そんな突飛な、まだ名前も知らない相手にとても失礼なことを考えていると、その女性は、「……田辺一さん。本当に田辺一さんなんですよね?」と田辺に言った。

 そうです。と田辺は答えようとしたが、そのときに店員がホットコーヒーを二つ、二人の席に運んできてくれたので、田辺は言葉をしゃべることをやめた。なので、このときの、二人の初めての会話は、うまく成立しなかった。

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