あの子とエイムとレティクルと
俺の休日が署長からの一本の電話で台無しになった。朝から指導をする為に、休日返上する事は頭では仕方が無いと理解しているが、やはり釈然としない。
「今度は命中したんじゃね?」
「そうだな。隣のターゲットに」
俺の言葉に「マジか」と言って弾道を確認しながら「なんでやねん」と一人ツッコミを入れているコイツは、大場くるみ巡査だ。
「サクラちゃん、クラック出てるんじゃね?幾らなんでもおかしいよ」
「自分の腕が悪いのを拳銃のせいにするな。大体お前は警察学校で何を学んだんだ」
「えーっと・・・いろいろ?」
本当にコイツは・・・。
「射撃訓練は税金で賄われていると云う事を忘れるな」
「分かってるって。任せてよ」
何をだ。
「つかさぁ、アメリカのFBIが使ってるみたいな、懐中電灯やダットサイトを装着できる拳銃だったら良かったのに。あっちのが1000倍かっこいいじゃんね」
日本とアメリカでは、銃規制の関係上普及率が格段に違うだろうが。第一、あんな火力の強い銃をコイツに持たせられるわけが無い。
「とりあえず、正確なエイムが出来る様になるのが先だろう。グリップの握りが低いんじゃないのか?マズルジャンプを押さえるにはグリップを高くしっかり握らないと」
俺の言葉に、妙に自信満々な態度で大場が言った。
「大丈夫!私、本番には強いから」
コイツに携帯させる拳銃を、水鉄砲に変更して欲しいと切実に思った。
定期的に行わなければならない射撃訓練だが、大場が何故警察学校を無事に卒業出来たのか不思議でならない。本人はゾンビから住民を守ると云う崇高(本人談)な使命を持って警察官の道を目指したらしいが、逮捕術や拳銃の訓練をどうやって乗り越えたのか謎でしかない。
現場に於いて、警察官が拳銃を抜く事案は年に十数件程度ではあるが、発砲事件自体が増えつつ有るのも事実だ。言い方は悪いが、大場の様に俺達とは違う別次元の世界に生きているらしい人物に、現実というものを理解させる作業は俺には手に余る。かと言って放って置くわけにもいかない。何せ俺は大場巡査の指導官を任命されているのだから。
故にこうして貴重な休日に大場巡査の射撃訓練の指導に駆り出されているわけだ。
「大場は操作はともかく、構えだけは完璧だな」
「これはスコットの構え方ね」
ん?怪しい流れになってないか?
「こうするとクリストファー、でもってこれがウェス」
本気で頭が痛くなってきた。
「大場、これは大切な訓練であって遊びじゃないんだぞ」
俺が大場に説教を始めたその時、微かに笑い声が聞こえた。射撃練習所の入り口を振り返ると、其処には栄田潮警視が立っていた。
相変わらずスレンダーだが鍛えられた体型の、クールピューティと称される美貌の女性警視だ。
「お久しぶりです」
俺が挨拶をすると栄田警視が入って来た。
いつ見ても隙がない。
「随分と手こずっているみたいじゃないか」
栄田警視が大場に視線を向ける。
「君が噂の新人君?私は栄田潮、よろしく」
「うしお?丑年生まれ?」
大場が目を丸くして戯けた事を言い出した。
「馬鹿!その丑じゃない!サンズイに朝で潮だ」
「なんだ、ビックリした。丑に生まれるで丑生かと思っちゃった。私は大場くるみ、くるみって呼び捨てで良いよ」
ニコニコ笑顔での自己紹介に俺は目眩を感じた。
「成る程、これは噂以上だ。ところで、幾らなんでも丑に生は無いんじゃない?」
「両親だか祖父母だかが男子神話の信奉者だったのかと思って。男の子が欲しくて男子系の名前にしたのかなって。なんとかのバラみたいに」
「大場、お前誰に対してそんな口を聞いていると思ってるんだ。栄田さんは警視だぞ」
「マジで?警視ってもっと体力無さそうなおじさんがなる階級かと思ってた」
栄田警視が思わず吹き出した。
「面白い子だな。物怖じしないし、加賀には丁度良い後輩なんじゃない?」
「やめて下さい。コイツの射撃訓練で俺は10年位歳を取った気分なんですから」
「ねえ、君。警察学校時代のあの話し、本当なの?」
栄田警視が妙な事を言い出した。
大場も「へ?」と云う顔をしている。
「初めての教習射撃で、レティクルが出ないと騒ぎ出して教官から厳しく注意を受けたと云う話。流石に作り話にしても大袈裟すぎると思ったのだが」
いくら大場が異次元の住人でも、そんなバカな話は無いんじゃないか?
「だってさ、ウッシー。ゲームじゃ銃を構えればレティクル出るから、普通に出るもんだと思うじゃん」
・・本当だったのか。
「誰をウッシー呼ばわりしてるんだ!口を慎め!」
コイツの鋼の神経にはついていけない。
「別に構わんよ。私もくるみと呼ぶから」
栄田警視の物好きにもついていけない。
「ところで真島君は元気にしているのか?」
「はい、相変わらず地域の安全に尽力されてます」
「真島君も人が良過ぎて、加賀の様な曲者を押し付けられて気の毒ではある」
「あの時は・・警視にはご迷惑をお掛けしました」
俺がそう言うと、栄田警視はフンと鼻で笑った。
「あの事は建前上の理由に過ぎない。警察の様な男社会では女は飾り程度の認識なのは分かっている。まあ、いずれぶち壊すさ」
「警視なら出来そうですね」
「くるみ、加賀がお世辞を言える位には成長しているのだが、もしかして君のお陰かな?」
やめて下さい。絶対本気にするから。
「ちょっ、ウッシー!私を絡ませないでよ」
それは俺のセリフだ!
大場の言葉に栄田警視がフフフッと笑っていたが、不意に真顔になった。
「それで・・、あの・・」
なんだ?栄田警視が急にソワソワとしだした。
「あれだ、あれ」
「は?」
「ほら、子豚ちゃんは、元気にしているのか?」
あぁ、『子豚ちゃん』ね。
「お元気ですよ。毎日お忙しそうです」
「そうか。なら良い」
栄田警視はそう言うと、踵を返して射撃練習所を出て行った。
「ねえねえ加賀っち。ウッシーは何しに来たの?」
「さあな。珍獣の見物に来たんじゃないか?」
「珍獣じゃないし。私が思うに『子豚ちゃん』の消息確認じゃね?つか、『子豚ちゃん』って何?ヤツの事?」
「さあな。それより、射撃訓練は終わりだ。予定時間を過ぎたが、栄田警視の視察有りで勘弁してもらえるだろう。ほら、急いで片付けて」
「ウィッす」
「でもさ、実際レティクルが出ないと知った時の衝撃ったら無かったんだって!」
警察署を後にしながら、大場がそんな事を言い出した。
「常識的に考えて、銃を構えただけでレティクルが出るわけ無いだろうが」
「レティクル出ないと、どこ狙えば良いか分かんないじゃん。オートエイムも付いてないし、この銃ポンコツだと思うでしょ?」
全くコイツは・・。
「現実社会と架空の世界が違う事を学んでくれ」
「つまり、陰と陽って事?」
「違う!絶対に違う!」
「もう、めんどくさいなぁ」
落ち着け、俺。コイツは異次元の住人だ。俺達の理解を超えている生き物なのだ。
「ねえねえ、加賀っち!私考えたんだけど、トリガーガードを指で押さえたら拳銃が安定するんじゃ?」
コイツの考えは常に斜め45°過ぎる。
「自分が携帯している拳銃がリボルバーだと理解しているか?オートマチックならいざ知らず、リボルバーでトリガーガードに指を掛けたら、シリンダーギャップから出る炎で指ヤラレるぞ」
「そうなん?じゃダメじゃんね。やっぱグリップの握りが甘いんかなぁ」
一応理解は出来るようだ。
「良い事考えた!」
・・悪い予感しか湧いてこない。
「テーザー銃に変えれば、私の課題のリコイルも抑えられるんじゃない?」
「大場の為に全署員の拳銃をテーザー銃に変えるのか?現実的じゃ無いだろう」
「やっぱそうかぁ。エイム上手くないとゾンビをヘッドショットで倒せないもんなぁ」
ゾンビ絡みなら、如何なる努力も惜しまないのは大したものだが、喜ぶべきかは分からない。
「やれやれ、鉄男が急に射撃訓練しろなんて言い出すから、まっしーに迷惑かけちゃったじゃんね。」
また大場が妙な事を言い出した。
「鉄男って誰だ?射撃訓練は署長からの指示じゃないのか?」
「だから鉄男じゃん」
「??署長は柴田秋男という名前だぞ?」
「警察署長といえば鉄男に決まってるの」
・・大場の話は聞き流すに限るようだ。
「それじゃあ俺は帰るぞ」
「加賀っち、練習見てくれてありがとう」
「拳銃を安全に正しく管理するのは俺達の責務だからな」
「心配しなくても、拳銃はゾンビ以外には向けないよ」
大場巡査はそう言うと、「じゃね」と手を振ると自転車に乗ってあけぼの交番へと向かって行った。
まったく、真面目なんだかふざけているのかイマイチ掴み所の無い子だが、不思議と憎めないのも事実ではある。
兎にも角にも、ようやく解放されたのだ。休日の残りの時間を満喫することにしよう。
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