第3話 噛みつきたい衝動
人に対して、物に対して、とても攻撃的になる時期がある。
ホルモンバランス。季節の変わり目。心境の変化。
要因は数あれど、それはどれも重要でない。
気に食わない人に文句の1つでも言ってやりたい。
気に入らない物に思い切り拳を振り下ろしたい。
子供じみた、いや、それよりもっと下の、躾のなってない獣のような衝動を感じた事は、きっと私だけではないはずだ。
高校の倫理の授業で、孟子の性善説と荀子の性悪説を学んだ。
私は勿論、荀子の考えに賛同した。
人は脆く弱い。故に努力しなければならない。
倫理の先生は、そう噛み砕いて教えてくださった。
私は、脆く弱い自分を知っていた。すぐ泣く。被害妄想。堪え性の無さ。
ちょっかいを出してくるクラスメイトに怒りや悲しみを覚えても、心のどん底には自分への絶望と嫌悪があった。
ひたすら自分を否定した。自分の意見や話は聞いて貰えないものと思って過ごした。
自分自身に自信が無い。それは今でも同じだ。
小説を書きたいと思いつつ、いざ目の前にすると尻込みするのは、上手く書ける自信が無いからだ。
こんなにも脆く、不安定な心に、それは突然擦り寄ってくる。
なら、思う存分ぶちまけてやれば良いじゃないか。
見ているだけで何故か腹が立つ者や物に、自分でも自覚していなかった酷い殺戮衝動をぶちまけてやれば、少しは胸がすっとするのに。
子供が上手くいかない積み木を癇癪で壊すように、だ。
破壊する、という行為は、確かにストレス発散になる。それが、壊すことを禁じられている物なら効果は絶大だ。道を踏み外したとき、日常の縛りを振りほどいたとき、人間は解放感を覚える。その後にやってくる後悔も非難も、その解放感の前に霞んでしまう。人でなし、であることを容認してしまう。
人でなしでも良い。そういう人もいるだろう。
それ程に、"人でいる"事は難しい。
私はまだ、人として生きたいと思っている。この噛みつきたい衝動を上手く飼い慣らしながら、だ。
こんな衝動を持ってしまうのも、人が脆く弱いからだと私は考える。いきすぎた防衛本能のなれの果てだ。
私は言葉を使う事で、衝動を宥めながら、ほんの少し、牙を見せるだけにとどめてやる。普段周りには見せないような牙を。
筆を置いた私は、のほほんと生きる羊の皮を被った臆病な獣なのだろう。
言葉だけが、私の武器だ。
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