第14話 あなたが僕の恋人だって?
病院に入院してから1ヶ月が経過すると、新田は退院を許可された。
目を覚ましてからは三週間近く経っている。怪我の方はまだ多少残っており、強く打ち付けた頭は数針縫っている。乗用車のフロントガラスを叩き割ったという話だった。
右腕も骨折していた。右腕はギプスで固定され、肩から布で吊るしている。
だが、一番問題な傷は、頭の中の方だった。
医師の説明によると、新田は、記憶障害を起こしているとのことだった。
あらから、新田は、西森や母と話をし、今現在覚えている記憶の状況の整理をした。
新田は、幼少期から社会人になるまでの大きな出来事を、ほぼ正確に記憶していた。
思い出せないもの--それは、社会人になってから数ヶ月以降の記憶である。
最初に就職した会社のことは、ぼんやりとだけは覚えていた。
それ以降のことが、いっさい、新田には思い出せない。
新田は、自分がタイムマシンに乗って未来へ来てしまったような気さえしていた。
「ここだ、見覚えあるか?」
西森は、新田に尋ねる。
新田と西森は今、それまで二人が共に暮らしてきたマンションの一室に戻ってきていた。
新田の母の勧めもあり、当分は今まで通りの生活を送ることにしたのだった。
「いや--あの、ないです」
リビングを見回し、新田は答える
「すみません--」
新田は、西森に対して、ひどくおどおどしていたし、他人の家に上がり込んでいるように居心地が悪い様子だった。
「いや、大丈夫だよ。それよりも大変だったな。命に別状がなくて、何よりだ」
優しく、西森は言った。
「まあ、立ち話もなんだし、座ってくれ」
「はい、、、」
西森の手を広げるジェスチャーを見て、返事をすると、新田はソファに座った。
「--」
その新田の一連の動作を見たとき、西森は胸がズキッと傷んだ。
新田が座ったのは、日頃から西森が読書をしている位置で、そこは以前、新田はあえて座らないようにしてくれていた場所だった。
本当に--
西森は思った。
今、目の前にいる新田は、オレの知っている新田じゃないんだな--
「あ、あの--」
同じソファではなく、距離を置くようにして食事用のテーブルの椅子に腰掛ける西森に、新田は声をかけた。
「西森さんと、ぼくは--どうして一緒に暮らしているんですか?」
新田が質問した。
まだ、話していないことがあった。
意識が戻ってすぐには下手な刺激をしたくなかったので、新田の母と相談して、退院するまではとりあえずルームシェアをしている仲ということだけを話すに留めていたのだ。
「はぁ」
西森は大きくため息つき、
「信じられないかもしれないが、オレたちは付き合っていた」
そして口を開いた。
「え--」
新田の表情が驚愕に変わる。それを見て、西森が自分の頭に手を当てた。
「僕達がその、つつつ、付き合ってる--?」
新田は、やはり信じられない様子で聞き返した。
新田は、頭が混乱していた。
無理もないことだった。
彼にしてみれば、事故にあったことすら覚えておらず、記憶が途中で分断され、気がつくと、三年近い年月が経っており、病室のベッドの上で満身創痍の状態だったのだ。
その上、今目の前にいるこの男--そう、この"男"が自分の恋人であるという。
新田は、まだ夢でも見ているような気分だった。
それから、西森は、付き合うことになった経緯を最初から包み隠さず、新田に話し始めた。
西森の会社に、新田が入社してきたこと。
新田と仲良くなり、よく遊ぶ関係になったこと。
新田が告白しようとしてきたのを、断ったこと。
新田が、西森を追って西森の地元までやって来て、彼を東京に連れ戻したこと。
「、、、ははは--」
全てを聞き終わると、新田は引きつった笑みを浮かべた。
記憶をなくす前の僕は、いったい何をやっているのか?
男に惚れ--しかも、一度振られるかたちになり、それを追いかけに会社を辞める覚悟をしてまでリベンジに行った、だと--
今の新田には、それは到底信じられる話ではなかった。
こんな話、馬鹿げている--
「あ、そうだ」
思い出したように、西森は付け加える。
「付き合ってるというか、もう、その--なんというか、オレたちは結婚している」
「--は、はいいい!?」
西森のその言葉を聞き、新田は飛び上がるように大声をあげた。
それから、西森は立ち上がると、どこからか一枚の用紙を手に持って帰ってきた。それを、新田に手渡す。
新田は用紙を受け取ると、両手でしっかりと持ち、顔を近づけて食い入るようにそれに目を通した。
パートナーシップ宣誓証明書
私たちは〇〇区のパートナーシップ宣誓の取扱に関する要綱に基き、互いを人生のパートナーとすることを申請します。
西森 譲
新田 優一
用紙には、そのような事が記載されており、たしかに新田の筆跡でサインもされていた。
「はあ--」
新田は深くため息をつき、頭をうなだれる。だか、それからすぐに顔をあげると、
「あ、すみません! その、そういうつもりはなくて--」
自分の非礼に気がつき、すぐに謝罪した。
「--大丈夫だ。お前にしてみれば、信じられないことだと思うのは理解している。でもな、オレは--」
西森は微笑んで、新田を見つめる。
「新田、オレは、お前が生きていてくれたことが本当に嬉しいんだ。今は、それだけで十分だよ。少しずつでいい。まずは、オレとのこの生活に慣れることから始めてみないか」
新田は、西森を見つめる。
西森が、悪い人間ではなさそうなことはわかっていた。だが、今後、この人物を恋人として見れるかというと、今のところ自信がなかった。
正直、新田は、その記憶を取り戻してしまう自分が怖くもあった。
だが--
何故だろう、この西森という男--話していると、すごく安心する。
「--はい、よろしくお願いします」
複雑な気持ちを整理できないまま、新田はうなずいた。
--それから、数週間が経ったが、新田の記憶は、まだもどる気配がなかった。
西森は、試みとして、新田とこれまで過ごしてきた時間を再現してゆくことにしていた。
新田は現在、休職していた。西森は仕事を今までの半分程度だけをこなし、残りの時間を新田と過ごすことにした。
新田に、西森はプログラミングを教えていた。だが、それはプログラミング自体ではなく、仕事の進め方のほうであった。
自分の仕事の一部を、新田に振り、それを管理することにした。
「新田、ここはそうじゃない。今回の場合、優先すべきタスクはこちらだ。いいか、お客さんの望むことが何かを考え、それを最優先するんだ」
デスクに向かう新田に、西森は背後に立ち、そう指南する。
「--はい、すみません」
新田は、申し訳なさそうに言った。
まるで、新人の頃の新田だな--
西森は、どこか懐かしい気持ちだった。
仕事が終わると、西森は、新田とゲームをしたり、休日は遊びに出かけた。とはいえ、新田の自由を奪うつもりはなく、基本的には、すべての提案を新田から承諾を得ていた。
西森は、あの頃と同じことを繰り返しているつもりだった。
だが、それは以前とは少し異なっていた。二人の関係には、根本的な何かが足りない気がしていた。
「--記憶が戻るには、何か強い出来事がきっかけとなることがあります」
当時、西森は病院で医師からそう告げられていた。また、記憶障害は一時的なものだが、戻るまでの期間には個人差があることも。
そして、戻らないことがあることも。
日々の生活の中で、西森は、焦っていた。
--どうすれば。
西森は思う。
どうすれば、新田が戻ってくるんだ--
そして、ある日の夜、西森は決心する。
強い出来事--それなら、あるじゃないか。
その日、西森は久しぶりにひどく酒に酔っていた。
シャワー浴びて出てきた新田に、西森は絡んだ。
パジャマ姿の新田に、突然、背後から抱きつく。
「新田ぁ--」
「ひ--に、西森さん?」
新田は驚いて、声をあげる。
「いつになったら、お前、記憶が戻るんだよ」
「す、すみません」
「--ふふん、まあいい」
西森は、気が大きくなっていた。それまで丁重に扱っていた新田への対応ではなかった。
新田の体をつかみ、自分の方に向けると、ふいに唇を奪った。
「--んん、、、」
新田はうめいた。
西森は、じたばたする新田を力で抑え、強引に舌を挿入する。
新田の体から力が抜けると、西森は、それから彼を抱きあげて、寝室のベッドに投げ捨てた。
「西森さん--いったいなにを、、、」
信じられないものを見る目をして、新田がつぶやく。
「わかってて言うのか、それ--」
西森は、どこか楽しむように不敵に言い、新田の着ている服を無理やり脱がせ、自分も脱ぐ。
「やめてください、西森さん--」
新田は、西森を直視する恥ずかしさに、片手で顔を抑えながら、もう片手で抵抗する。だが、その抵抗むなしく、西森が新田を乱暴に愛撫してゆく。
新田の息があがってゆく。
西森は、久しぶりの新田のその姿にひどく興奮を覚えていた。
やがて、西森が新田とひとつになると、
「--どうだ、新田! オレたちはここで幾度となく愛し合ったんだ。今更、それを忘れたとは、言わせない」
荒々しく、西森が言った。
「思い出したか、新田!」
「、、、」
「にっ--」
ヤケになった西森のその声が、ふいに止まった。
一瞬で、西森の血の気が引いていた。
西森は行為をやめると、新田に毛布をかけた。
そして、拳を固く握りしめ、自分の頬を本気で殴った。
「--ぐす、、、ぐす、、、」
西森が見たものは、悲痛に泣きじゃくる新田の姿だった。
--こんなの。
西森は頭を抱えると、自分のした事の愚かさに気づき、自己嫌悪で涙さえ流していた。
こんなの、ただのレイプじゃないか--
オレは、なにを--
西森は、さらに自分を殴る。
西森と新田--
二人の関係に以前とは足りないもの--それは、二人が長い時間をかけて築き上げてきた信頼関係だった。
それが、今、完全に壊れてしまっていた。
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