第3話 先輩! もっとちゃんと舐めてください!

「--先輩」


新田が西森を見下ろしている。


「もっと、、、ちゃんと舐めてください」

「、、、オレなりに精一杯やっている」


西森は疲れたような声音だった。


「得意じゃなくてな、この手のことは」

「ダメです。いつも僕ばっかり、たまには先輩にもちゃんとしてもらわないと、ずるいです」

「--大体な、こういうことには得手不得手があるんだよ。なら得意なやつがやればいい。ポジション的に、これはお前の役割だろう」

「いいえ、今回だけは譲りません」


新田がキッパリと言う。


「きちんと、最後までしてください--」


「わかったよ、、、どこを、舐めればいいんだ」

「全体、的にですね」

「--はぁ」


西森は大きなため息をつく。

時刻は午後10時--

2人以外に誰もいないワークスペースで、西森は自席でパソコンモニターを凝視している。その背後で、新田が背もたれに片手を置いて立っていた。

画面には表があり、試験内容とその結果を記載する欄があるのだった。


「大体ですね、この試験項目だってダメダメなんですよ。なんですか、このしきい値は。きちんと意味を考えて作ってください」


新田が呆れたように叱咤する。

しきい値とは、システム開発における入力値のことを指し、異常な挙動をすることを事前に潰すためのテストの段階で主に使われる用語である。

最大文字数、最小数値、サロゲートペアと呼ばれる一部の漢字、許容する値の前後、空文字など、この工程では規準に沿った形でそうした作業が行われる。


舐めろと言っていたのは、それらの内容をきちんと網羅せよという意味の業界用語である。


「オレは仕様を詰めたり、コーティングするのが得意なんだよ。それにきっと誰よりも量を書いているだろう」

「それはわかっていますし、みんな感謝していると思います。多少こちらで同じ処理内容を精査してリファクタリングしてますけどね」

「--そうそう、使えそうな新しい技術を開拓して土台を作るのがオレの仕事。お前らは、そんなオレの切り開いた道を舗装してゆくのが役目だ」


得意げにうなずき、西森は腕を組む。


「はいはい、そうですね。でもその工程はもう終わって、今はテストの段階なんです。リリースするまでが遠足ですよ、先輩」


「ちっ、面白くねぇ」


それを聞き、新田が顔をしかめた。


「そりゃたしかに面白くはないかもしれませんよ。でもね、これも大事な仕事なんです。コーティングと同じくらい敬意を払わないといけないんです」


と強めの口調の新田。

コーティングとは、プログラムを記述していく作業を指す。


「--わかってるよ。別に舐めちゃいない。いや、これから舐めるんだが」

「はぁ--くだらないことを言うのはそれくらいにして、手を動かしてください」


ため息混じりに新田が言うと、西森は観念したのか、椅子を引き直し、少しだけ姿勢を正した。

それを見届けて、新田も隣りの自席に戻る。


お互いに無言のまま、小1時間が経過した。


「新田」


西森が声をかける。


「少し直したぞ、見てみてくれないか」

「わかりました」

「ああ、今共有しておいた」

「はい、来ました--これですね。、、、うーん、なるほどなるほど」


新田が片手をあごにあてながらつぶやく。

その様子を、不安げに西森が見守っている。


「そうですね、大体いいんじゃないでしょうか」


新田が言うと、ホッとしたように西森の身体からは力が抜けた。


「これを元に、標準化を進めていきましょう。こちらで少し手直しを入れますが、おそらく、これで明日承認がとれるかと思います」

「そうか、やっぱこのあたりの仕事はお前には敵わないな。オレなんか気にせず、みんなもっとお前を頼るべきだ、新田。お前も、もっと仕事を任されたいと思うだろう」


西森が真面目に言った。

それを見て、新田が少し顔を緩めた。


「いいえ--」


「もう十分、頼りにされてますから」


横目でそれを聞き、また西森は正面を向いた。


「そういや新田、お前は今日はなんで残業しているんだ?」

「えっ--そ、そうですね。色々とその、資料をまとめたりしきれていなくて、、、でも、つい先程、無事なんとか完成しました」

「、、、そうか、ならいいんだが」


言い、西森は指先で頭をポリポリとかいた。


「--なぁ、新田。今度の日曜空いてるか?」


さらに続ける。


「この前付き合いで行った合コン相手の女と映画見に行く予定だったんだが、あれから返信がなくてな。チケットだけはもうネットで購入済みなんだが--」


「合コン、ですか」


新田は一瞬曇った表情を見せたが


「いいですね、映画。ぜひお供させてください」


すぐに笑顔でそう返した。


「どんな映画なんですか?」

「ああ--それがな」


新田の問いに、気まずそうに西森が言う。


「ラブストーリーなんだよ」

「--あはは」


新田が声を上げて笑った。

ツボに入ったのか、身体を折り曲げて

これ以上声を漏らすまいと必死だ。


「はぁ、笑われると思ったよ」


西森が、嘆くように発した。


「--い、いえ、すみません」


乱れた呼吸を整えて、新田が言った。


「映画、楽しみにしていますよ。先輩」

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