第4話 幸運を告げる魔物
「ふわぁ……おはようございます。長老様」
寝惚け眼をこすりつつ、長老様に俺は挨拶する。
身体には疲れが若干残っていた。
結婚もしていないのに異性と肌身を寄せ合う訳にもいかないので、道中拾った靴下をアメリアに渡して昨日は眠りについた。
森で十数年暮らしているから寒さには慣れっことはいえ、熟睡はここ何年もできていない記憶がある。
いつしか肉食動物に怯える草食動物のように、小時間の仮眠を取るのを一日に何度も繰り返す日々を過ごしていた。
「寝不足か、ランドルフや」
「大丈夫です。支障は出しませんから」
長老様の発言で、そこまで顔色が悪いだろうかと気になったが、心配をよそに話を進めた。
まだまだ頼りないのは、自分でも痛いほど理解している。
それでも里の力になりたいことに、偽りはなかった。
「アコトニス教団が進行している以上、対策を講じねばならん。そこで新たな住み家へ移動することにした」
「いつここを襲撃されてもおかしくないですし、仕方ないですね」
「そこでお前たちには、北東の魔物を駆逐してもらいたい」
「魔法陣を張る術者や、戦えないみんなに危害が及ばないように、ですか。難しいかもしれませんが頑張ります」
アメリアが応えると、両隣にいる俺とトニーも頷いた。
住み家の移動は、あらかじめ移転先の魔物の数を減らす必要があるので、かなり骨の折れる作業だ。
だが、誰かがやらねばならない。
俺も成人した以上、この責任から避けては通れないのだ。
自分自身を鼓舞しながら、使命感に身を燃やす。
「じゃ、いってきます」
背を向けたその時
「お前たちにこれを渡しておこう。無事に戻ってくるのじゃぞ」
「ん、なんですか。これ」
そういって長老様は俺たちに、満月を模った金属製のお守りを持たせてくれた。
横を向いた狼が彫られていて、なかなかかっこいい。
でも丸いものを手渡されて、俺はいい気持ちはしなかった。
自分の意志と関係なく人狼になって、人を傷つけてしまったことが、脳裏にまざまざと蘇ってしまうから。
「これがきっとお前たちを、危険から守ってくれるはず。どうか無事に戻ってくるのじゃぞ」
それだけ告げると長老様は、瞼を固く閉じる。
ほんの一瞬だが、瞳は潤んでいたように見えた。
信じて送り出し、散っていった仲間のことを思い出して、込み上げる涙を堪えているのだろうか。
長老様の心境を慮(おもんばか)ると、俺はいらないとは言えなかった。
「月の女神の加護が宿っている。かつて人にも崇拝されていたようじゃが……」
「そうなんですか。ガキの頃だから覚えてないけど、俺の村では月の神は信仰してなかったなぁ」
俺や里のみんなには、信仰する神などいない。
強いていえば長老様こそが、俺たちにとっての神だ。
けれどもふと心細さ故に、偉大な何かに縋りたくなるような気持ちがないわけではなかった。
「長老様が信じている神様なら、きっと悪いものじゃないよ。なぁ、アメリア、トニー!」
「ランドルフに賛成。」
「長老様に託された任、必ずや果たしてみせます」
数時間後
俺たちは、森の北東へと赴いていた。
といっても風景は相変わらず緑一色で、全くといっていいほど変化がない。
「どうすれば魔物を掃討できるんだ」
「それなら、巣を壊すのが手っ取り早いだろうな」
「でも、親が巣を守っているだろうから、すごく苦労すると思うわ」
俺たちはどうすればいいかを話し合う。
アメリアの言う通り、、猛反撃にあうのは想像に難くない。
それにたとえ別の種族といえども、赤子を殺すのは流石に気が引ける。
「どうやって数を減らしていけばいいんだろ、頭使うのはサッパリだ」
「罠や薬で、戦わずして殺すのが理想的か。とはいえ、そんな都合のいい道具あるわけがないが」
「考えるだけじゃ、何も始まらないわ。いきましょ」
雑談をしていると、遠くに子どもの遊ぶ人形のような大きさの、黒いローブを羽織った老婆が辺りをたむろしていた。
それも一人二人ではなく、徒党を組んでいる。
「魔女がいやがる。もう俺たちの居場所を嗅ぎ付けやがったのかよ、クソッ」
「どうしよう。長老様に知らせに戻った方がいいかな」
「いや、奴らには聞きたいことが山ほどある。それに長老様の命を受けた以上、期待に答えねばならん」
「……里を見つけたとは限らないか。後をつけられないよう、慎重に進んだ方がいいな」
姿勢を低くして、草陰に隠れつつ隙を伺っていると、羽音が俺の鼓膜に響く。
振り返ると、鱗粉をまき散らしながら羽ばたく、不可思議な生物が飛来していた。
トンボの大きな複眼、蝶の如き羽根。
6本の脚には棘がついていて、掴んだ獲物を簡単には離さない仕組みになっている。
まさに虫のいいとこどりをしたような外見の昆虫だった。
腹部からは、タコの触手を彷彿させる産卵管のようなものが伸びている。
先端は針の如く尖っていて、おそらくあそこから毒液を刺すのだろう。
幼い頃アメリアの自宅で眺めた図鑑に載っていた蜂の一種に、長い産卵管を持つのがいた覚えがある。
だが現存する昆虫と、瓜二つの虫は見たことがない。
いったいどのような習性を、持っているのだろうか。
俺が観察していると
「この昆虫は……」
「知ってるのか!」
トニーが怯えたように、声を震わせて話し始めた。
彼が言うにはあらゆる毒を以て、冒険者たちを死に至らしめるという魔物のようだ。
不幸中の幸いというべきか、死ぬ際に苦しみは一切伴わないようで、人生に絶望した死にたがりからはこう呼ばれている。
幸運の昆虫と。
そのモンスターは何をするでもなく、品定めでもするみたいに、俺たちの周りを飛び回っていた。
魔物を減らすのは目的でもあるが、今は魔女の動向に注視したい。
ウロチョロして目障りなモンスターに苛立った俺は、鬱陶しいそれを
「シッシッ、あっちにいきな」
錆びた手斧を振り回しつつ、追い払おうとする。
が、魔物は器用にホバリングしつつ避けた。
複眼は人の心を見通すかの如く、じっと俺を捉えていた。
まずいぞ、このままでは標的にされる。
本能で危機を察して、距離を取ろうとすると、すかさず管を俺の手首に巻きつけた。
そして抵抗して暴れる俺に即座に針を突き刺して、魔物は何かの液体を注入するのだった。
「グァァアアッ! 何しやがんだ、ぶち殺してやっからなァ!」
激しい痛みに襲われた俺は、思わず叫ぶ。
次の瞬間、眼の前は夜が訪れたかのように真っ暗になっていた。
普通なら気が動転するだろうに、自分でも嫌になるくらい俺は冷静だった。
事前にトニーが教えてくれたから、何が起こってもおかしくないと覚悟できたのだろう。
刺された腕は、熱湯でもかけられたように熱くなっている。
触れてみると、何かがべったりと腕に付着していて、大量の血を噴き出しているのだと察した。
身体から汗が滲み出て、風呂上がりみたいに全身びしょ濡れだ。
「クソッ、どうなってる! 眼が、眼が……」
「眼がどうかしたの、ランドルフ。……危ない!」
耳に届いたのは風が木の葉を揺らす音、そして魔物が飛翔する羽音と、彼女の叫び声だけ。
普段は眼に頼り切っているから、どこから襲ってくるか、まるで判別がつかない。
どう避ければいいのか。
じっくりと考える猶予もなく、俺は取り敢えず身を屈めて、驚異が過ぎるのを待つ。
「ランドルフ、頭の上に魔物が」
「上かっ!」
アメリアは状況を把握したのか、魔物の位置を俺に教えてくれる。
だが、一足遅かった。
再度刺された俺は、地面を踏みしめるだけの力を失い、うつ伏せになっていたのだ。
どんなに抗おうとしても、上下の瞼がくっついて、脳は深い眠りに誘おうとする。
朝ということもあって、ぽかぽかとした陽気が心地いい。
風に吹かれた雑草が、こちょこちょと鼻をくすぐってくれていなければ、とっくに眠りについていたことだろう。
流石に戦場で眠れるほど、精神は図太くない。
それに魔物相手に興奮していて、脳は覚醒している。
寝不足だけが、寝ようとしている原因でないのは確かだった。
このままでは、魔物の餌食になってしまう。
途切れそうになる意識の中で、そう直感した俺は、手で顔を引っぱたきながら気つけする。
頬はヒリヒリと沁みたが、命には代えがたい。
「ちょっとどうしたの、しっかりして!」
「ついにおかしくなったか?」
人の気も知らないで、好き放題言いやがって。
トニーの無神経な発言に腹を立てつつも
「アレに刺されてから急に眼が見えなくなったり、眠くなったんだ。2人も気をつけろ!」
「そうなんだ、すぐに治すわ。アォォォォォン……」
アメリアが天に向かって遠吠えをすると、薄暗い洞窟に光が差し込んだかのように、視界が色づいていく。
先ほどまで気怠かった身体は、羽根を得たように軽くなっていた。
腕の傷も、嘘のように無くなっている。
これは彼女が生まれながらにして有している、不思議な力だ。
他者を傷つけるような能力ではなく、ただ病む人を癒すというのが、彼女に合っている。
魔法とは違って原理が不明で、どんな代償が待っているか、俺は時折不安を感じることがある。
でもどんなに止めたところで、仲間が苦しんでいれば、その力を行使するに違いない。
「ありがとう、アメリアは優しいな。トニーと違って」
「おい、それどころじゃない。やつら、どうやら逃がしてくれる気はないみたいだ」
彼の指差す方へ顔を向けると、視線の先には一匹、また一匹と昆虫が集まっている。
「まさか蜂や蟻のように社会性を持つのか。厄介だな」
「うだうだいってもしょうがねぇだろ。アメリア、後方支援を頼むぜ」
「うん、任せておいて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます