4-9
少年とセルジオらの戦いは激化していた。
二人を相手にしながら、少年は息すら乱さぬ精緻な挙動で攻撃を捌き、ある時はそれを自身の攻撃に転化する。犬種化したロイと互角以上の体捌きに、セルジオは動揺を隠せなかった。
銃弾は当たらない。セルジオは何度も隙を狙って援護射撃を加えていたが、少年はそれをことごとく躱し、時に衝撃をものともせず例の機工ナイフの腹で弾く。
〈グレイ・ハウンド〉の銃弾すら跳ね返す超硬度金属――あのナイフはおそらく、アイゼンタール製の
そして今のマガジンのラスト一発も、少年の眼前で空を切った。
(あとワンカートリッジか……)
胸中で呟いてセルジオはマガジンリリースボタン押す。予備は後一本。あと七発でこちらの手は尽きてしまう。そうなれば、ロイのように格闘戦で相手を圧倒できない自分は確実にお荷物になるだろう。
(この状況で、それだけは……!)
と次の瞬間、攻撃をいなされたロイが体勢を崩した。少年の動きを封じるためセルジオは素早くマガジンを装填し引き金を引く。少年は追撃を踏みとどまり、それに乗じてロイが体勢を戻して反撃する。だがそれすらも少年は躱して、さらに反撃に転じる。
(埒が明かない……仕方ないか)
するとセルジオは装填してあるマガジンから弾丸一発を素早く抜き取った。マガジンは即戻し、ロイと視線だけでコンタクト。
そして自身とロイの立ち位置が前後で直線状になった次の瞬間、セルジオは左手で銃を握ったまま前へ飛び込んだ。同時に、飛び上がるように後方に飛んだロイの左足のブーツからナイフを抜き取って、代わりに弾丸を彼に投げ渡す。
一瞬の
「……!」
少年は無言だったが、急に変わった攻撃のリズムへの戸惑いが、瞳の中で揺れていた。それは体幹のブレに繋がり、回避する足運びが一瞬乱れる。
「そこだぁっ!」
真横からのロイの声に、少年は視線を動かす。
が、そこには何もない。それは、声だけの援護。
「悪いな」
その瞬間には、セルジオが彼に組み付いていた。〈グレイ・ハウンド〉もナイフも地面に放り、少年の右手首を摑まえ捻りつつ足をかける。そのまま地面に引き倒し、さらに彼のナイフも奪い取って流れるように関節の動きを封じた。
「っ、ぐぅっ……」
少年は呻きながら暴れる。体格の割に強靭な膂力だったが、一度動きを封じてしまえば拘束は容易だった。
「ったく、手間かけさせやがる」
ロイは片手で銃弾を弄びながら近づいてくる。
あの銃弾も結局はダミーだ。警戒心の強い相手だということは分かっていたので、それを逆手に、何かしてくるかもしれないという疑念を幾重にも重ねることが必要だった。
いつだったかロイが提案した作戦だったが、うまく嵌ってくれた。
少年は抵抗の無意味を悟ったのか、いくらか大人しくなっている。
「今一度聞く。君はレイ・ハスタークなのか?」
少年は答えない。
だがそこで彼の口元が、わずかに弧を描いた。
「セルジオ! ナイフを離せ!」
予期せぬ言葉に、一瞬反応が遅れた。
するとロイがセルジオの持つナイフを叩き落とし、そのままセルジオの腕を引いて後方に飛び退った。思わぬ彼の行動に、セルジオは少年の拘束を解いてしまう。
その直後。
二人の目の前で、ナイフが内部から破裂した。まるで攻撃手榴弾のように金属片をまき散らしてナイフが四散し、同時に、異常に多い黒煙が街路に立ち込める。
「こんなものまで……!」
片腕で口元を覆いつつ、セルジオは呟く。
おそらく持ち手の部分に爆薬が仕込まれていたのだ。組み付かれる直前、起爆スイッチを押していたのだろう。しかしまさか自身の安全も顧みないとは。
するとその時、黒煙の幕を突き破って、少年が弾丸のごとく飛び出してきた。あの爆発を至近距離で受け、体に金属片をめり込ませながらも、尋常でない速度で迫る。
「ちっ……」
ロイが前に出、攻撃を受け止めようと身構える。
相手は負傷していて素手だ。それならこちらに分がある。
だが相手のストレートを右手で受けたロイは呻いてその手を引いた。少年の追撃が迫るが、さすがにそれは許さず蹴り飛ばす。
「ロイ……?」
見ると、その手のひらには黒い破片が深々と突き刺さっていた。破裂したナイフの破片でも指の間に仕込んでいたのかもしれない。
「ったく。しぶといがきんちょだな」
ロイが破片を抜きつつぼやく。
するとその時、シルトワーゲンのサイレンが遠くで聞こえた。さらにその音は徐々に近づいてきている。騒ぎを見つけた誰かが通報したのかもしれない。
と、少年が上空に手を掲げた。何かが袖口から射出され、細い煌めきが伸びる。そして次の瞬間には、少年が宙に浮いた。
「ワイヤー……!」
セルジオの手元に銃はなく、手の痛みが堪えているのかロイも出遅れた。そのわずかな間に少年は近くの六階建ての建物の屋根まで上昇し姿を消してしまう。
いくらロイでも、何の取っ掛かりもなくあの高さまでは飛べない。
完全に、取り逃がしてしまった。
その後間もなく、シルトワーゲンが到着した。思いのほか多く、前後からこちらを挟むように乗り付け、そこから公安官が出てくる。
「レイ・ハスタークと思わしき少年を取り逃がしました。今すぐに包囲網を――」
するとロイが血だらけの手をかざした。
「なんかおかしいぜ。こいつら」
見ると、降りてきた数名の公安官は皆一様に、こちらに向けて銃を構えていた。
「……何のつもりだてめーら」
ロイがぎろりと見やる。
――と、公安官らの奥から、大柄な男が姿を見せた。灰色のコートを着たその男――ボードマンは周囲の公安官を制止するでもなく、こちらを見据える。
「ボードマン。なんだよいったい」
そこでボードマンは苦々しげに言った。
「二人とも動くな」
「はぁ?」
「お前たちには今回の薬物テロの関係者である容疑がかけられている。お前たちの自宅から、未使用のデビルダストが大量に見つかった」
その言葉に、セルジオとロイは顔を見合わせた。
そしてセルジオはボードマンに向かって叫ぶ。
「テロに加担などありえません! 我々の自宅からというのは確かなんですか!?」
「出動した麻薬取締官らが偶然発見した。指紋も出ている」
「そんな……何かの間違いです!」
「アリバイでもあるのか?」
「それは……」
ここ数日自宅になど戻っていないし、自分たちがテロに加担などありえないことだ。デビルダストを持ち込んだなども絶対にない。しかしそれはアリバイたり得ない情報だ。公安署にいた誰かが自分たちをずっと見張っていたならともかく、そうでない限り自分たちの無実をこの場では証明できない。
するとその時、ボードマンの背後から少女が顔を覗かせた。
活動制服に身を包み、まとめた灰色の髪を制帽であるキャップに収めている。
その少女――ネアは、不安げな瞳をこちらに向けていた。何かを言いたげで、しかし躊躇っているような表情。
それを見て、ロイはぼそりと呟いた。
「駄目だな」
「ロイ?」
「裏があるわけじゃねぇ。ネアもボードマンも、マジだ」
それはつまり、捜査上の作戦や、意図がないことを示していた。彼らは本気で自分たちを疑い、ここに集結している。
「誰かが俺らを嵌めようとしてやがる。テロの責任を押し付けてぇにしちゃ雑な気がするが、ここで捕まったら、相手の思うつぼだな」
相棒の言わんとしていることは分かった。
不利になるか、状況を覆せるか――それは賭けになるが。
そして何の前触れも、言葉も発さず――セルジオとロイは走った。
先ほどロイが壊した民家の中に飛び込み、反対側のドアを蹴破って、その先へ逃走する。
「逃がすな! 追えっ!」
そんな声を後ろに聞きながら、セルジオとロイは別の通りに出る。
と、そこに一台の
「乗るぞ」
言ってセルジオは、首輪を放ってロイにつけさせる。
「窃盗だぜ? おまけに定員オーバーにノーヘル」
「公安官の緊急借用権行使だ」
気休めにそれだけ言って、セルジオはキーを回してアクセルをふかす。腰の携帯無線機はこの場で放棄。ロイのものも同じくだ。
「行くぞ」
そして二人はいつの間にか零れつつあった小雨の中、あてもない逃走を開始する。
しかしその一部始終を見ていたひっつめの男の存在に、二人はついに気が付かなかった。
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