4-4
マリィが彼を見つけたのは、偶然だった。
何か飲み物でもと思って何気なく給湯室に向かっていたとき、給湯室前の廊下の窓の外に雑なひっつめが横切るのを見つけたのだ。
「先輩……?」
思わず窓に張り付くが、ひっつめの人物――ノックスの姿はすでに背中だけになっている。しかもこの窓はいわゆる装飾窓であったようで、開けることはできなかった。
しかし何とかノックスの行先を確かめようと、マリィは顔の半分を押しつぶすようにガラスにへばり付く。
すると彼は、遠方にあった小さな通用門から外へ出ていった。
「……?」
あれはちょうど北の出入り口にあたるが、裏口のようなものであり滅多に使われない。彼があそこから出入りしているところを見るのも初めてだった。
そしてその瞬間、マリィの中で
「なーんか隠してますねっ先輩!」
マリィはその場で叫んでガッツポーズを決める。その声に驚き、給湯室からコーヒーを持って出たらしい公安官の一人が、思わず紙コップを取り落した。
だがマリィは、軽い惨事となった廊下に目もくれず、猛然とノックスの後を追ったのだった。
ノックスの姿は、すぐに見つかった。
通用門から出て左手の遠方に見える、猫背気味の背中。
避難勧告が出ていて出歩く人間も少ないため、人を見つけるのにはそう苦労しなかった。今朝方あったらしい公安官の殺人事件も、住民が外出を控える要因になっているのかもしれない。
実はマリィとしてはその事件に興味があったのだが、公安は現地取材をNGとしてしまったのだ。そう言われてしまえば、規則なのでそこは守るしかない。
マリィは目立つ赤のベレー帽を脱いで尻のポケットにねじ込み、気づかれないように距離を離して尾行する。時折、曲がり角の壁や放置してあった店の立て看板を駆使して身を隠す。
「先輩、ホントどこ行く気だろ」
彼と街を歩いたことはまだ数えるほどしかないし、全く予想がつかない。記者クラブの人間用に公安が用意している宿舎はこことは正反対であるし、少なくともそこではないのだろうが。
「でも、こういうのってなんかいいなぁっ♪ 潜入記者って感じで♪」
スナックバーの看板の裏で、マリィは緊張と自己満足で唇を震わせる。
そしてノックスを追って十五分少々。公安署からそこそこ離れたその地点で、ノックスは立ち止まった。彼はそばにある建物を見上げると、そこへ足を踏み入れる。
しばらく待ってから、マリィも動く。
するとそこは、何の変哲もない飲み屋のようだった。
『Bar』とだけ書かれた、くたびれた吊り看板と古い木造の店構え。正面から見る限りドアにも壁にも窓がないので中の様子はわからない。
入り口のドアはもはや壁と同化したような色合いで、その上部ではベルの部分だけ取り外したらしいドアベルの固定金具がひっそりと錆びていた。
「……飲みに来たってこと?」
ここは避難の該当区域だが、あくまで避難は勧告であり命令ではない。薬物テロという状況ながら図太く商っている店はちらほらあるので、営業していても不思議はないが。
「もう……昼間っから、しかも仕事中にお酒飲むとか信じられない」
そしてマリィは意を決してドアに手をかける。しかしまずは店内の様子を伺おうと、そうっと扉を押した。蝶番が小さく軋み、アルコールの染みた独特の空気が顔に当たる。
だが、入り口から見る限り中には誰もいなかった。天井からぶら下がったむき出しの電球が中を照らしているが、それだけである。
「あれ……?」
マリィは後ろ手に扉を閉めながら店内へ。足元には汚れた玄関マットがあり、左手側はカウンターテーブルになっている。バーなのは確かなようで、無人のカウンターの中の棚には無数の酒瓶が並んでいる。
「どこいったんだろ……」
その答えは、すぐ見つかった。またしても壁の色と同化していてわかりにくかったが、入り口からの直線上に扉がある。マリィはゆっくりその扉に近づくと、それを開けた。
奥は、左右に分かれた短い廊下だった。どうやらこの店の人間の住居スペースのようで、壁には印の付いた今月のカレンダーがかけられていた。
するとその時、声がした。
人の話し声。閉め切った室内から漏れているのだろう、大きくも小さくもない声量。だがその声音は明らかにノックスのものだった。
「誰かと話してる……?」
聞こえてくる声はノックスのもの一つだったが、彼は明らかに誰かに語りかけるように声を発している。この店のオーナーとでも話しているのだろうか。
「…………」
会話内容が気になったマリィは音を忍ばせて声を追った。
床の軋みに気を付けて、ノックスがいるらしい部屋の前――廊下の右奥まで進む。
扉はやはり閉まっていた。開けてみようかとも思ったが中の様子はわからないし、もし気づかれたら怒られるだろう。尾行と住居への侵入が後暗いものである事くらい弁えている。なのでマリィはドアの近くで中腰になって耳をそばだてた。
傍に来ると、意外にも声はよく通った。
「けどすまねぇな。だいぶ待たせたか?」
「それなりにな」
答えた声は初めて聴く声だった。まだボーイソプラノの残る――しかし感情のない静かな声。
「お前なぁ……そういう時は今来たと言うもんだ。女の子にモテねぇぞ」
「……要件を済ませろ。次はこの近くだが、暇じゃない」
「わかったわかった」
何を始める気かと、マリィは扉の向こうに全神経を集中させる。
するとノックスは言った。
「ハイドラと商売すんのも久しぶりだなぁ」
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