3-6

 その通報が入ったのは、セルジオらがオフィスで執務を始めて、三十分ほど経った時だった。

 伝えられたのは場所と、簡潔な内容。

 ――化け物が出た、と。




「ったく、昼間っから化け物とか勘弁してほしいねぇ」


 悪路に跳ねるシルトワーゲンの助手席でアシストグリップを握りながら、ロイは面倒そうにぼやいた。回転する青色灯の光とサイレンが街の空気を引き裂いてゆき、車窓には細い支柱の電気灯が等間隔で流れる。

 通報があったのは街の東部の住宅街。数日前に張り込んでいた地点にも近く、ギリギリ二番署の管轄内、といった場所だった。


「はぁ……今日は夜勤だってのに、初っ端から処置とか体力もたねーぜ」

「まだ相手がアディクターと決まったわけでもない」

「その割に俺らが駆り出されてるのはなんでだ」

「アディクターじゃないと決まったわけでもないからだ。いつものことだろう」


 通報者は化け物が出たという内容と現在地だけ告げて電話を切ってしまったという。その情報だけでは麻薬取締官が出る必要があるのか微妙なところだったが、念のためと、セルジオらに出動要請がかかったのだ。交通整理等を担当する一般の公安官はもう少しすれば追いついてくるだろう。

 するとそこで、ロイが口を開いた。


「ボードマンのことはあんまり気にすんなよ」


 セルジオはちらりと右隣を見て、


「なんだ。藪から棒に」

「神経質な主人のメンタルケアだ」

「お前にケアされるほど荒んだつもりはない」

「にしては、さっきまでのデスクワーク捗ってなかったぞ? 書き損じるわインクこぼすわ、らしくもねぇミスばっかだ。おまけに今も結構スピード出てんぞ」


 そこで車体が悪路で再び跳ねる。

 セルジオは思わずアクセルを緩めた。


「……たまたまだ」

「ならいいが、アディクターが相手だったときのミスは命取りだぜ。それに万が一D2アディクターなら化け物になっちまう」

「そんなヘマはしない」

「いや、お前案外抜けてっからな。朝起きて、洗面所で石鹸口に入れようとしたのはいつだったっけか」

「…………」

「夜警の時溝に嵌ったのも傑作だったな。写真機持っとくんだったぜ」

「……仕事中だ。黙――」

「フライドエッグ焦がしたのにも笑ったよ。あんなもんどうやって失敗すんだか」

「おい……」

「確かお前がウェーバーのマグ割ったのって、入ってわりとすぐだったよな? あ、そうそう、ボーっとしてオフィスのドアにぶち当たったこともあったっけか。あとそれから――」


 するとセルジオは路肩にシルトワーゲンを急停車させた。


「なんなんださっきから! 真面目に仕事する気あるのか!」


 と、その時、怒鳴ったセルジオの口にロイが何かを放り込んだ。思わず、飲み込んでしまう。


「なにを……」


 セルジオは喉の違和感を気にしつつ、ロイを見る。


飴玉トリーツだよ。ちゃんと大声出せたからな」

「……は?」

「ちったぁスッキリしたろ。デスクワークなら構やしねーが、現場に向かうのにもやもやしたまんまはな」

「…………」

「それに、疲れたときには甘いものって相場が決まってる」


 ロイはいつもと変わらない不敵な笑みを湛えたが――セルジオはばつが悪くなって彼から視線を逸らし、無言で車を再発進させる。

 だがしばらくして言った。


「悪かった、怒鳴って。お前の言う通り、少し余裕がなくなっていたのかもしれん」

「ったく。そういうとこ、よく似てるよ」

「……何の話だ?」

「ネアだよ。お前らは糞真面目すぎるんだ。肩肘張ってばっかだと体もたねーぞ」


 セルジオは、小さく笑って、


「そうだな」


 するとロイはシートを少し倒して頭の後ろで手を組んだ。


「けどさっきも言ったがボードマンに関してはホント気にすんなよ? たぶんあいつ、前から俺らのこと毛嫌いしてるからな。もっと言えば、着任初日から嫌われてたんじゃねーかなぁ」

「……さすがにそれはないと思うが。理由も思い当たらん」

「んー、あれだ。ネアを狙ってたんだろ。あのオッサン独り身らしいし」

「もっとないと思うが」


 そんな会話を続けるうちに、車は現場付近にさしかかった。

 通報のあった番地まであと数百メートルほどである。

 だがその時、ロイが何かを感じ取ったように身を起こして首を巡らせ、叫んだ。


「っ! 車止めろ!」


 直後、車体に鈍い衝撃が突き抜けた。減速しつつあったものの、車は左右に揺れる。


「くっ……!」


 セルジオは乱されたステアリングを何とか戻す。悪路に跳ねたわけではない。衝撃は上からやってきた。

 そしてややあって、それが前方に姿を見せた。


「!」


 フロントガラスに逆さまにへばりつく人影――それはDアディクターよりも人に近い形質を残した腐敗人のような化け物。窪んだ双眸に光はなく、だがそれはじっとこちらを見据えている。


「D2アディクター……!」


 セルジオは急ブレーキを踏み、車を停める。当のD2アディクターは慣性に従って前方の地面に転がったが、すぐにむくりと起き上がりその場を徘徊し始める。

 セルジオは車を降り、腰の〈グレイ・ハウンド〉を取り出す。


「間違いねぇ! D2アディクターだ!」


 助手席から降り、臭いを嗅いだロイが叫ぶ。


「――処置、開始!」


 セルジオは時刻だけ確認すると、即座に引き金を引いた。

 銃弾はアディクターの頭部を一撃で破壊し、残った体が街路に倒れる。腐敗してゆく胸部には心臓が覗き、セルジオはそこを狙って完全に絶命させる。

 ――とそこで、セルジオはアディクターが注射器の付いた奇妙な腕輪をしていることに気が付いた。


(なんだ……?)


 だがセルジオが疑問を口にする前に、ロイが呟いた。


「……なぁセルジオ。車乗ってて気づかなかったが、ここやべぇぞ」


 その言葉の意味を、セルジオはすぐ知った。

 顔をあげると、前方右側の路地からD2アディクターと思しきものが二体姿を見せた。加えてその奥の住居の隙間から一体。そして右手の廃屋から三体のアディクターが姿を見せる。

 さらにそれ以外の場所からも続々と、D2アディクターが出現する。それは背後も同じで、近くにある四階建ての廃アパートからも続々とアディクターが落ちてきていた。

 そうこうしているうちに、セルジオらは四十体以上のアディクターに囲まれた。そしてやはりその全員が、例の腕輪をつけている。


「銃声で動き出したみてーだな。あのヘンな腕輪がこいつらのからくりか?」

「かもな」


 しかしこの区画はもとより人気が少ない場所だ。通行人はもとより周囲の建物にも入居しているような人間は少ないため、たとえD2アディクターが出現しても、ここまで増殖する下地がない区画のはずである。


「……誰かが中毒者を外部から連れてきた可能性もあるが」


 するとロイは鼻を数度ひくつかせて、言った。


「いや、たぶん違うな。こいつらここの人間だ。微かにだが、薬の臭いに混じって街と同じ臭いがしやがる。おまけに全員臭いが濃い」

「濃い?」

「ああ……実はこの前もちょっと思ったんだが、噛まれて増えたD2アディクターは臭いが薄いんだよ。けどここの連中、あの時のリーダーの野郎と同じだけ臭いが濃いんだ」


 ということは、全員がデビルダストを直接投与されているということか。


「やはりあの腕輪に仕掛けがあるのか」

「だろうな。けど、その辺考えるのは後にしようぜ」


 アディクターらは鈍い動きながらも、すでにその包囲を狭めつつある。

 するとロイはブーツにつけた鞘から小ぶりなナイフを取り出した。急ごしらえだが両足に一本ずつ、一応の武器である。武器というものにおおよそ馴染みのないロイは渋ったが、対D2アディクターを考慮しなければならない今、ないよりましだということで装備させた。


「どうする? 一旦引くか?」

「いや、まだあの薬の周知ができていないからな。人が少ないとはいえここで叩かなければ被害が増える可能性もある」

「じゃ、一人でざっと二十体だな」

「お前はサポートだ」

「せっかくナイフ持ってきたってのに」

「結局近接武器だ。投擲するにしても二本しかない」

「お前だって弾は七発だろ? 予備入れても全部相手にするには足りねーぜ?」


 戦闘制服着用時――つまり、Dアディクターと対峙するときの麻薬取締官は〈グレイ・ハウンド〉以外の火器の所持を許可されていない。処置と虐殺を重ねる国民は未だ多いため、必要以上の火器を持たせないことでバッシングの声をある程度抑え込んでいるのだ。携帯及び使用可能な弾倉も七発装填のものが一人最大四本のみで、よほどの緊急時以外は対人使用も制限されている。当然、攻撃手榴弾コンカッション閃光発音筒フラッシュバンなどの使用も禁止だ。もっとも、フラッシュバンなどは視界を奪われたアディクターがより暴れることになるので、使われないだけだが。


「で、結局どーすんだよ」


 するとセルジオは無言でシルトワーゲンの後部トランクを開け、中から交通整理用のロープを数束取り出す。長さは一本約二十メートルほど。ナイロンでできたもので、強度はそこそこある。そしてさらに自身の腰から取り出したのは、二つの手錠。

 と、その用途を察したロイが肩を竦めた。


「牧羊犬か何かか俺は」

「応援が到着するまで持てばいい。誘導は任せる。頸部拘束具も解除だ。それと、お前の手錠も貸してくれ」

「わーったよ」


 そしてセルジオは腰にあるトランシーバーを二番署に繋ぐと、状況説明と共に麻薬取締官の応援要請を済ませた。その後マスクを引き上げて戦闘準備。ロイも首輪を外してそれに倣う。

 その間にも、怪物の呻きは不気味にその数を増していた。

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