3-3

 同時刻。

 特に意味もなく公安署内の食堂に入ったノックスは、そこで赤いベレー帽を見つけた。

 ベレー帽はテーブルの上で萎れていて、傍の椅子にはぼぅっと窓の外を眺める栗色の髪の少女の姿があった。


「よう。何してんだ? 休憩か?」


 かけた声に驚くように反応して、少女――マリィはこちらを見つめた。


「先輩……朝いなかったからもう来ないと思ってたのに」

「いいか? 仕事ってのは朝出て夜帰るもんばっかじゃねーんだぞ」

「……緊急時でもない限り、記者クラブに夜勤なんてそうそうないじゃないですか」

「なはは。そーだな」


 ノックスはいつものシガレットを取り出すと、咥えてオイルライターで火をつける。そしてマリィの隣の椅子を適当に引くと、そこに腰を下ろした。


「それよりなんですか? 先輩から絡んでくるなんて珍しいじゃないですか」

「口説きに来た」


 即座に吐かれたその言葉に、マリィはがばっとノックスに向き直った。


「セ、セクハラですっ! っていうか私まだ十六なんで犯罪ですっ!」


 犯罪、という一言に、周囲にいた公安官の視線が二人に――正確にはノックスに注がれる。


「うぉい! そーいう人聞きの悪いことは言うなとは言わんが小声で言えっ!」

「そんな……口説きに来たのは否定しないんですか……」


 自分で体を抱くようにして、青ざめた顔でマリィが身を引く。


「だーっ! 冗談に決まってんだろうが! 誰がお前みたいなちんちくりん口説くか!」

「だ、誰がちんちくりんですか! それこそセクハラですっ!」

「いい加減にしろよ! 俺はお前がなんか暗ーく……」


 そこまで言って、ノックスは後の言葉を引っ込めた。代わりにため息だけ吐き出して、近くの灰皿に手を伸ばし、そこにシガレットを押し付ける。

 どうも、気遣いは無駄だったらしい。

 そう思って席を立とうとする。

 だがそのとき、マリィがぽつりと言ってきた。


「……そんなに、変でしたか。私」

「ん?」


 見ると、栗色の髪が彼女の横顔を隠している。


「実はちょっとだけ、考えてたんです。記者のお仕事って、どこまでが正しい事なのかなって」

「…………」


 二日前、マリィはスクープを撮ったファイア・グラフィックのメンバーに復讐を受けた。そして彼らのうち一人が謎の薬物を使って、結果的に三人が死んだという。

 未知薬物が関係する事件であるためこの件に関しては報道規制がかかったが、マリィは当事者の一人として事情聴取されている。メンバーの死もそこで聞いたのだろう。自分も上司としてその件の説明は受けた。


「私がとったスクープで自暴自棄になって死んでしまった人がいる……記者のお仕事が必要なのはわかってますけど、人を傷つけないバランスって、どこまでなのかなって」


 するとノックスは新しいシガレットを取り出し、しかし火はつけずに咥える。

 そして言った。


「上出来だ」

「え……」


 ノックスはマリィの頭をくしゃりと撫でた。


「そこまでわかってりゃ、とりあえず上出来だよ」

「…………」

「確かにスクープ写真なんざ相手からしたら盗撮だ。人気商売の芸能人とはいえ、な。けど一つ言っといてやる。闇なんてのはどこに潜んでるかわかんねぇもんだ」

「闇……?」

「実はあのグループは昔から麻薬に嵌ってるって話があってな。まぁ今まで尻尾をつかめるような情報はなかったんだが……最近になって連中の恋人だった奴の何人かが、違法薬物の所持で逮捕されたそうだ。全員、ファイア・グラフィックのメンバーから勧められたと証言したらしい。事務所が頑張ってるみたいで、報道されねぇけどな」


 これは独自の、確実なルートで仕入れた情報である。嘘はないはずだ。


「だからもし連中が野放しの状態だったら、薬物の濫用が広まる恐れもあったはずだ。その点に関しちゃ、お前のスクープは、連中が薬も含めて自分たちの素行を見直す――それこそだったろうさ。けど、奴らはその薬の苦さに耐えかねて甘い汁を啜ろうとした。それが正真正銘の毒だとも知らずにな」

「私たちは必要悪、ってことですか?」

「そういうところもある。ま、連中とも似たようなもんかもな」


 言って親指で天井――麻薬取締課のオフィスがあるここの二階を示す。

 そしてノックスは、今度こそ立ち上がった。


「本当の正義ってのは写真機のレンズじゃなく、生身の人間の目玉に映るもんだ。まぁ今は存分に悩め。若者よ」


 そう言ってひらりと手を振り、ノックスは踵を返して一歩踏み出――そうとしたところで不自然な格好で止まった。


「おい」


 見るとマリィがシャツの裾を引っ張っている。


「……どさくさまぎれに帰ろうとしてもダメですよ」

「は?」

「今日は夕方から二番署記者クラブの定期総会があるの、知ってますよね?」

「いや、知らん」

「フリジニア・ミラーの記者が私一人だけとかすっごく気まずいの想像できますよね?」

「んなもん慣れだ」

「慣れってなんですか! 今日はもう逃がしませんからね!」

「おま……さっきまで暗ーく落ち込んでたくせに!」

「それとこれとは話が別です! 目の前で怠けようとしてる人を、私の正義にしたくありませんから!」


 なんだかとてつもなく面倒臭いことを言ってしまったと、ノックスは直感した。

 思わず肩を落として瞼を閉じたが……そこには別段、なにも映らなかった。

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