3-2

「……二つ目の悪魔か」


 署長室を出てしばらく。書類の入った茶封筒二つを手に廊下を歩きながら、セルジオは独りごちた。組対課へは、取締課に戻ってウェーバーに書類を渡してから出向くつもりである。


「俺らも嬉しくねーもん見つけたもんだなぁ」


 あの新薬が特級危険薬物に認定されたということは、その中毒者には今後、Dアディクターと同じ『処置』が必要となるということだ。

 よってファイア・グラフィックのメンバーに対しセルジオらが行った『処置』もその正当性が証明されたことになるわけである。すでに司法局から公正証書が届いていたようで、先ほどネアからその写しコピーを書類と一緒に受け取っている。


「ったく。面倒な薬使って面倒な薬作るたぁ暇人もいたもんだな。その貪欲さをもうちっとマシな方向に使えんもんかね」

「同感だな」


 ハイドラに代表される麻薬密売組織は、独自の薬物製造拠点を持っているものがある。当然、その施設の所有率と勢力の大きさは比例するが、弱小勢力であるから薬物製造はできないというわけでもない。無論品質は、ピンキリだが。


「この頃、薬剤師の流出も増えているらしいしな。これからこうしたことは増えるかもしれん」


 フリジニアの薬物製造のノウハウは随一といわれるが、その分、技術流出というものも存在する。現状は薬学先進国だが、今後もその栄光が続くかはわからない。


「けどあれだ。今回のは俺としちゃ、スッキリしねーな」

「なにがだ?」

「戦い方だよ。近接攻撃NGって、俺何すりゃいいんだ」


 言ってロイは空手を前に突き出す。

 ロイがデビルダストに影響を受けるかはまだ検証中らしい。検証結果如何では近接攻撃が解禁されるだろうが、はっきりと影響がわかるまではD2アディクターとの戦闘においてロイはサポートだ。万が一があると困るからと、今しがたネアからもはっきりと忠告を受けた。

 何か槍のような長物の武器でもあればいいのだろうが、そんなもの急には用意できない。貴族と騎士の時代ならまだしも、現代の公安組織にそんなものは保管されていない。


「でもあれだ、確か俺用の免疫増強剤があったよな? あれで抗体作らせればいいんじゃね?」

「それも検証待ちだな。効果があるとわかれば使用許可も出るだろう」


 なお一連の検証に使うロイの細胞サンプルは、手に入れるだけでも首都にある政府機関を通してかなり煩雑な手続きが必要になる。よって結果がわかるのは少々先になるだろう。ちなみに免疫増強剤に関してはヘリオスシティ北端の薬捜研にあり、持ち出しには政府の許可が必要になる。


「せめて結果出るまでは中毒者出ないでほしーね」


 ロイは目尻を下げて、うんざりと廊下の天井を見上げる。


「……お前が銃を使えればいいんだがな」

「無理だろ。お偉いさんは俺が生身でどこまでやれるか実験したいんだからよ」


 ロイは基本的に攻撃目的での火器の装備を認められていない。事態に体一つで対処させなければ運用実験の意味がないとの政府の意向である。


「せめて今だけでも認可してもらえるといいんだが」

「政府の連中がそんな頭柔らかく動くと思うか?」

「いや……」

「はぁ……ネアに交渉依頼したってどうせ無理だろうなぁ。あいつはあいつで変に堅物だしよ」

「……ロイ。署長に対する言葉使いはもう少し何とか出来ないのか。ある程度砕けた表現は彼女が許可しているところでもあるが、不満をぶつけるような言い回しはやめろ」


 セルジオが指摘したのは今の発言についてでもあったが、先ほど署長室に入っての最初の会話――休日の件に対するロイの憎まれ口のこともあった。

 するとロイは呼吸ともため息ともつかぬ息を吐いて、


「ま、結構きてるな、ありゃ」

「……?」

「あいつ、俺の文句に大して怒らなかったろ? 相当機嫌が悪いらしい」


 ネアがそういう性格なのは知っている。彼女は変にストレスが溜まるとあまり怒らなくなるのだ。感情の起伏が薄くなるといってもいいかもしれない。以前、十五連勤のときなどまるで人形のようになっていた。それはそれで怖いのだが。


「だとしても、なんでまた今日……?」

「わかんねーか?」


 するとそこでロイはぴっと人差し指をこちらの鼻先に向けた。


「ネアの昔の話。お前も前に聞いたろ? デビルドロップ被害が増えてる中、また新たにそれをベースにした薬が出てきやがったとなったら、あいつはどー思うよ?」

「……ふむ」


 いつだったかの雑談で昔の話になった際、ネアは自分の過去を話したことがあった。

 彼女は幼少の折、家に強盗に入られ両親を亡くしている。

 しかもその強盗は、抵抗する彼女の父親にデビルドロップを注射器まるまる一本分――致死量クラス投与し逃走したのだという。

 奇跡的にも父親は投与のショックでは死ななかった。そして彼は即座に化け物となり、ネアの母親を殺した。その後は逃げるように家を飛び出し、どこぞの路上で取締官に処置されたらしい。

 当時のネアはリビングのクローゼットに隠れるよう言われていたらしいが、わずかに空いた隙間から、彼女はその事件の一部を目撃してしまっていた。

 そして彼女は、未だ捕まっていない顔も知れぬその男とデビルドロップを憎んで、公安に入ることを選んだのだという。

 なお彼女の家名であるレディング家は、ヘリオスシティではそこそこの名家である。今はもうそれほどの権力は持っていないらしいが、そこのお嬢様が公安に入るということで、当時の界隈には驚きの声が少なからずあったとか。


「ま、こっちに怒鳴ってナイフの一本でも投げてくれりゃ、気が紛れるかとも思ったんだが……そんなレベルじゃなかったらしい」


 躱す用意してたのが馬鹿みてぇだな。とロイ。

 するとそこで、セルジオはロイから視線を外した。


「お前、意外と人を見ているんだな」


 とその言葉に、ロイがにんまりと笑う。見ていないが、雰囲気でわかった。


「だろ? なんかご褒美くれてもいいぞ。ご主人」

「オフィスに戻ったら、トリーツ飴玉ひとつくれてやる」

「け」


 ズボンのポケットに手を突っ込み、ロイは口を尖らせる。

 だがまぁ、書類仕事一枚くらいは請け負ってやろうかと、そんなことを思うセルジオだった。

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