2-2

「どーいうことだよおい」


 二番署の署長室。白い朝日が燦然と降り注ぐ清涼な空気の中、昨日と同じようにネアの前に立つロイは、着崩した執務制服の格好で鬱々とぼやいた。


「制服のボタン、閉めろよ」


 セルジオはロイの言葉に答えず、指導教員のような口調で告げる。

 だがロイもロイでセルジオの言葉には応じず、両手をわななかせて叫んだ。


「あのな! 今日俺らは非番だろ!? なんでふつーに定時出勤してんだよ!」

「おい嘘をつくな。五分遅刻しただろう」


 机越しに座るネアが見かねてツッコむ。


「俺見て言うな! お前からの電話取ったのは俺だぞ! 今日の遅刻はコイツが原因だ!」


 びしっとセルジオを指さして、ロイ。

 するとネアはセルジオに視線を移して、


「低血圧も大変なのはわかるが、以後、気を付けるようにな」

「はい。申し訳ありません」

「だぁぁぁぁっ!」


 ロイは自分の髪を乱雑にかきむしる。


「……朝から騒々しいな。お前も」


 と、ネア。


「いい加減にしろよ! 俺が言いたいのは、なんで休日に急に呼び出しやがったかってことだ! つーか謹慎とかいう話はどーなった!?」

「ああ。その件に関しては昨晩ボードマンと話し合って、お咎めなしということになった。捕まえた三人のうち一人がデビルドロップ中毒者だったんだ。お前たちが逮捕してこなければ、市民に犠牲者が出たかもしれない。迅速に処置を施したのも功労だ。それに特殊取調室を使わなかった点に関しては、ボードマンの責任だしな」


 特殊取調室は、壁や床が強固な複合金属で補強されたデビルドロップ使用容疑者専用の取調室だ。麻薬を使っているような者はいつどこでデビルドロップを投与している――あるいはされているかわからないため、最近では最初からこの特殊取調室を使うことが多い。ただこの部屋は使用の後、責任者が国に逐一報告しなければならないため、使用手続きが面倒なところは少々ある。今回ボードマンが使用を渋ったのもそれに起因するのだろうが。


「けど俺らが今日非番だったことにはかわりねーだろ! 今すぐにでも労務省に――」

「埋め合わせはする。それに休日出勤扱いだからこの分の給料は割増しになる」

「ぐぐぐ……」


 昨日公安署の壁を破壊し、修繕費の一部を給料から天引きとなったロイはとりあえず黙る。


「……しかし制服でなくても良いと、電話で言っておいたんだが」


 と、ネアはセルジオを見る。


「公安署内での制服着用は公安官の義務ですので」

「例外は認められる。私からの指示だと言えば問題ないだろう」

「……気に障ったのでしたら、着替えますが」


 するとその言葉に、ネアは苦笑した。


「いや、いいよ。そのままで」


 そしてネアは軽く居住まいを正して、口を開いた。


「気になる情報が入ったので、二人には伝えておきたい。デビルドロップに関してのことだ」


 デビルドロップ――その単語に、セルジオは改めて口を引き結ぶ。


「まぁ正確には、ハイドラについての情報なんだがな」


 そう前置きして、ネアは机の上で両手の指を軽く組む。

 ハイドラ――かつてフリジニアを拠点に活動していた麻薬密売組織である。

 過去形なのは、五年ほど前、フリジニアの各所にあったそのアジトが一斉摘発されたことに起因する。潜入捜査専門の麻薬取締官が情報を掴み、各都市の麻薬取締課が摘発を実行。ここ数年で最も大きな成果だったと聞く。

 ただそれでも組織は潰しきれず、現在はその残党が周辺諸国に流れ出してそれぞれ小規模な拠点を構えるようになっている。さすがにフリジニアには戻ってきていないようだが、それでも彼らは徐々にその勢力を取戻しつつあるという。

 そして彼らを潰しきれず、結果としてその種子を蒔くような形になってしまったフリジニア政府は周辺諸国から未だその責任の追及を受けている始末だ。


「まだ公にはされていないが、アイゼンタールにいたハイドラの元幹部と思しき人物がフリジニアに入ったらしい。昨夜遅くにアイゼンタールの公安組織から連絡があった。詳しい行方は分からないが、もし本当だとすれば仕事で来ているのだと考えるのが妥当だろうな」


 なおアイゼンタールとは、東の山脈を境にフリジニアと国境を接する隣国であり、交易も盛んな同盟国である。正式名称は大アイゼンタール帝国。主に金属機械工業――中でも車両や鉄道関係の技術に定評のある国で、フリジニアとは古くから友好関係にある。


「この街にいるかはわからないが、ハイドラはデビルドロップも扱う組織だ。二人にはより警戒して日々の任務にあたって欲しいと思う。この件に関しては以上だ」

「……了解しました」


 そこでロイが口を挟んだ。


「なぁおい。まさかそんな忠告するために、わざわざ呼び出したんじゃねーだろーな?」


 眼差しに不信をありありと込めて、ロイはネアを睨む。

 セルジオとしても、この程度ならば休日明けの伝達でも問題ないように思っていた。

 しかしネアはその二つの視線を泰然と受け止めて、言った。


「今のはあくまでついでだ。本題は――」


 その時、背後にある部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 するとネアは手元の置き時計を見やり、扉の先の相手を確認することもなく声を出す。


「どうぞ」


 どうやら、時間で約束していたらしい。

 セルジオらが振り向くと同時、見計らったようにドアが開く。

 するとそこには、赤いベレー帽を被り写真機を首から提げた見覚えのある少女と、彼女に首根っこをつかまれて拘束されている細身の――いや、くたびれた背格好のひっつめの男がいた。


「フリジニア・ミラーのマリィ・カーチェスです! 歳は十六、生まれはカミリア片田舎。今日はよろしくお願いします!」


 少女は高らかに宣言すると、ひっつめ男を捕まえたまま深々と腰を曲げ、頭に乗っていた赤いベレー帽を振り落した。

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