二章 A cornered rat will bite a dog.―窮鼠犬を咬む―
2-1
濃い霧が街を覆う早朝。街の寂れた区画にある
『……想定外でした。まさかデビルドロップを投与されているとは……』
電話の相手である男は、声に気まずそうな雰囲気をにじませていた。その頬に汗の一つでも流れていそうなことが手に取るようにわかる。
(想定外、か)
老年の男は空いた手で一度顎を撫でる。
フリジニアに到着したのは、数時間前。到着を伝えるために受話器を取ったわけだが、いきなりこんな話になるとはさすがに思わなかった。だがここで相手を咎めても話は進まない。
「まぁ仕事にミスはつきものだ。それ自体をどうこう言いたくはない。問題はそれをどうリカバリーするかだな」
それはフォローではあったが、同時にご破算を許さないという意志の表れでもあった。相手がどう取ったかは知らないが。
『……ご心配には及びません。次の計画を予定通りに実行し、確実な利益をお約束いたします』
「次……か」
『……何か?』
「いやなに。君の計画はどうも派手さに欠けると思っていてね。保険を用意してきたんだ」
『……と、いいますと?』
「爆弾、とでも考えてもらえばいい。まぁ本来なら君が行うべきことを、我々が派手に肩代わりしよう、とそういうわけだな。君がいいならこちらで手筈は整える。手間賃として五パーセントほど、報酬から差し引かせてもらうが」
『…………』
情報の交換は最低限だが、相手も馬鹿ではない。自分の動き方くらいは察するだろう。
『わかりました。お任せいたします』
「では、承認ということで。決行日は当初の予定通りだ」
口約束による契約内容変更だが、自分も相手もこの業界における契約不履行が後々どう自分に返ってくるかは理解している。反故にするような野暮はまずない。
そして老人はいくつかの短い会話の後、受話器を置く。
その時だった。霧の中から染み出すように、小柄な人物が姿を見せた。薄い茶色のマントで体を覆ってフードを被り、そこから僅かに覗く白の髪と褐色の顔だけを外気に触れさせている。見た目は少年そのものだが、その精美な風貌に光る暗い琥珀色の瞳に年相応の感情の振れはなく、すべての物事をただ静観、諦観しているような虚無がその中に封じられている。しかしそれでいて、彼の態様にはどこか獰猛な獣を思わせる鋭利な気配が感じられた。
老人は扉を引き開けて街路へ出ると、その人物に向かって声をかけた。
「レイ。想定内だ。出番ができたぞ」
「…………」
彼に、やはり感情の動きはない。
だが老人は何かを感じたのかふっと唇を綻ばせると、彼を引き連れ、ごく自然な足取りで霧の奥へその身を滲ませた。
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