1-8

 西館四階、第三取調室。そこに面する廊下はすでに騒然となっていた。


「第三取調室周囲の封鎖終わりました!」

「麻薬取締官二名の配置も完了! ドアロックも解除可能です!」

「待て! まだ避難が完了していない! ……最初の変化から何分たった!?」

「およそ十五分!」

「ステージスリーに移行している可能性が高い! 警戒を怠るな!」

「いいか! 取締官以外の奴は下手に手を出すなよ!」


 飛び交うのは怒号と指示とその返答。現場には執務制服のままの公安官とスーツ姿の公安官が複数人いて、みな防弾防刃のベストと黒いオートマチックを装備している。

 そしてその中に二人、全身黒一色の異様な衣服を身につけた者がいた。横にはシェパードらしき犬をそれぞれ連れており、その犬は第三取調室の扉を睨んで、独特の鳴き声をあげている。


「なにこれ、どういうこと……?」


 第三取調室のある廊下の端――階段のある曲がり角の陰から事態を見守っていた少女は思わず呟いた。

 見た目から判別する年の頃は十五、六歳。鼻の周囲のそばかすが特徴的な少女だった。栗色の髪を肩口で切りそろえていて、いくらか活動的な印象も受ける。服装は白いブラウスにベージュのショートパンツ、厚手のオーバー・ザ・ニーの靴下という格好で、頭にはクラッシックな赤のベレー帽を載せている。

 さらに首からはバンドの付いた小型の一眼レフ写真機カメラを提げており、ブラウスの胸には公安のシンボルマークとも国章とも違うデザインのバッジが光っていた。


(いつも通り先輩はいないし、いきなり避難命令とか出るし……なんなのまったく)


 どさくさに紛れて騒動の中心らしい場所に潜り込んだはいいものの、状況はつかめない。大事であることくらいは察せるが、今は与えられた情報が少なすぎる。


(……ううんマリィ、受け身になっちゃダメ。真実は自分で掴み取るもの。そう、これはきっとチャンス。……大丈夫、新人とはいえ今や私はフリジニア・ミラーの記者なんだから)


 少女――マリィは軽く拳を握って気合を入れると、写真機を手に取調室付近の様子を撮影しようとする。しかしこの位置からではあまりいい写真は撮れなさそうだった。位置と距離の問題もあるが、目立つ被写体である黒服の二人の腰が引けていて絵的に恰好悪いというか、写真映えしない。写真機自体は暗い場所でもばっちり撮れる最新のものなのだが。


「……とりあえず場所変えようかな」


 と、マリィはもう少し現場に近づこうとする。

 すると背後から野太い声が降ってきた。


「おいお前、そこで何してる?」

「ひぃやぁっ!?」


 写真機を手放しそうになりながら肩を跳ね上げ、マリィは振り向く。

 そこには四十代前半といった風貌の男が一人立っていた。スーツを着た男で、身長は百八十センチほどか。がっしりとした体形であるが、それが脂肪ではなく筋肉由来のものであろうことは雰囲気で察せた。角ばった顔には厳つさの中にも貫録を感じさせる皺が刻まれており、右の額にある傷痕も彼の厳格さをより強調している。目つきもかなり険しい。

 まぁその険しさは、こちらに対して不信感を抱いているからなのかもしれないが……ともあれ、あまり笑わなさそうな男である気はした。

 同じような年齢のはずなのに、いつもへらへらしているあの先輩とは大違いである。

 すると男はマリィの胸のバッジをちらりと見て、言った。


「お前、記者クラブの人間だな? 避難命令が出ているはずだが?」

「あー……えっーと……フリジニア・ミラーの記者としましては、何が起こっているのかこの目で確認すべきと、思いましてですね……」


 マリィは自身の野次馬根性を、いくらか濯いだ表現で言葉にする。

 だが男はその体躯に見合う大声で叫んだ。


「何が確認だ! さっきの放送を聞いただろう! 関係ない奴はさっさと避難しろ!」

「き、記者クラブの人間なんですから、関係なくはないです!」

「邪魔ンなるって言ってんだ! お前みたいな勝手な人間が大概現場を混乱させるんだよ!」 


 あまりに一方的な言葉に、マリィも少々むっとする。


「混乱っていうなら、さっきの館内放送も大概じゃないですか。ろくな情報も伝えないで緊急時だから避難しろって。そういう曖昧さも混乱を招く要因になると思うんですけど」

「……曖昧にすることで過度な不安を与えないって手段もあるんだがな」


 男は節くれだった指を自身の白髪交じりの髪に突っ込むと、迷ったような素振りを見せつつ頭を掻いた。

 だがひとつため息をつくと、観念したように告げる。


「まぁ別に隠すことでもないんだがな。……この先の取調室には今、Dアディクターの疑いがある人間がいるんだ」


 と、その言葉に、マリィははっとして聞き返す。


「Dアディクター……ってまさか、デビルドロップ!? 中毒者が出たんですか!?」

「まだ確定じゃないが、ほぼ間違いないそうだ」


 若干苛立たしげに、男。


「あの薬ってマジだったんだ! これは取材しなきゃっ……!」


 角から飛び出そうとするマリィ。しかし男はその後ろ襟を片手で引っ掴んだ。


「馬鹿野郎! 死にてぇのか!」

「き、記者には真実を報道する社会的責任が――」

「やかましい! 避難しろっつってんだ! ったくデビルドロップの名前出しゃあ大人しくなるかと思えば……」


 すると男はふと何かに気づいたように空いた手で顎をさする。


「そうか。見ない顔だと思ったが、お前エイルトンの抱え込んだ新人だな?」


 その言葉に、マリィももがくのをやめて反応する。


「先輩を知ってるんですか?」

「……まぁ、あいつはここじゃ割と有名人だからな」


 しかしそこで、男は再び怒鳴った。


「って、ンなことはどうでもいいんだ! いくぞ! 東館はこっちだ!」


 言って男はマリィのブラウスの襟をつかんだまま、後ろへ引きずっていく。


「あ、ちょ、そこ引っ張らないで、写真機が! これローンまだ残ってるんですよ! ……っていうかあなたいったい誰なんですか!」

「組対課のライアン・ボードマンだ! お前みたいな馬鹿を指導するのも役目なんだ!」


 ここに配属されてまだ一週間だったが、その名前に聞き覚えはあった。ボードマン公安部長……『おやっさん』などという徒名までつけられている名物刑事でもある。

 厄介な人間に見つかったものだとマリィは内心舌打ちする。


「あ、あの……」


 引きずられながら、マリィ。


「なんだ?」

「こ、こんなところで私なんかに構ってる暇ないんじゃありませんか? ほら、ベテラン刑事さんが現場に行かないと、士気が下がったりとか。私なら一人で避難しますから……お気になさらず、お仕事頑張ってください」


 マリィは左手を額にかざして適当な敬礼をしてみせる。

 するとボードマンは一度立ち止まると、ため息をついた。


「いいか、お前みたいなのは逃がすと結局首突っ込んでくるんだ。今も言っただろう。馬鹿な奴がいないか目を光らせるのも俺の仕事なんだよ」


 さらにボードマンは、若干の苦り顔で付け足した。


「それに、あっちはもうじき片が付くだろう。今俺が行ったところでどうなるわけでもない」

「……?」


 しばしの沈黙。がその後、ボードマンは怒気を復活させた。


「とにかく! お前はこっちだ!」


 当然というか、移動も再開させる。


「え! そんな! 怒ってるのちょっとは治まったかと思ったのに! いや、待っ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 声を廊下に反響させて、マリィはずるずると引きずられていく。叫んだところで傍の騒ぎが大きすぎて誰も気に留めない。

 マリィは数分と経たず階段を下ろされ、問答無用で一階の渡り廊下まで引っ張り出された。あきらめ半分に見上げた視界には、石綿とセメントで造られた灰色のスレート屋根が広がる。

 と、そこで背後――ボードマンからすれば正面だが――から声がした。


「……あの、おやっさん、その子は?」

「中にいたじゃじゃ馬だ。今から東館につないでくる。……ったくちゃんと見張れ。どこに目ぇつけてんだ」


 内容はともかく、言葉そのものは一切こちらに向けられてはいなかった。会話しているのはボードマンと渡り廊下警備の公安官のようだ。

 ちなみに自分は一階裏の空いていた窓から無人の部屋に侵入し、そこから廊下に出たのでこの公安官に罪はない。が、言うとまたボードマンがキレそうなのでとりあえず口を噤む。

 と、その瞬間。

 ブラウスをつかむボードマンの手に力が籠ったような気がした。同時に黒い人影が二つ、自分の横を通り過ぎ、西館へと駆け込んでいく。

 その二人は先ほど犬を連れていた公安官と同じ黒い衣服を身に着けていて、渡り廊下から入って左手にある階段を一気に駆け上がる。

 マリィはそこでふと冷静になって思い出した。


(あ、そうか……デビルドロップ……ってことはあの黒い服の人はもしかして……)


 この国の麻薬捜査官にはデビルドロップという薬物を使用した中毒者に対して特別な権限が与えられている。フリジニアから遠く離れた小国の田舎町出身の自分にとってそれは噂レベルのものでしかなかったが、入国前に国柄を調べた際、そうした記述を確かに見つけた。

 他国ではその事態に際し正規軍が駆り出されることも多いが、危険薬物が他国より氾濫しているこの国では特殊訓練を受けた麻薬捜査官と取締犬がそれに対処するという。


デビルドロップ中毒者Dアディクターを殺せる、唯一の……)


 胸中でそう呟きつつ、マリィは自然と西館廊下の窓を見つめ、彼らの姿を探していた。

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