1-7
「――んで、なんでこーなる?」
「俺に聞くな」
白を基調とした樹脂製の抗菌タイルが敷かれた部屋の中で起立しながら、二人は小声でそんな言葉を交わした。
今二人は先の普段着のような衣服ではなく、紺瑠璃を基調とし、各所に金色の装飾が入った官給品の執務制服に着替えていた。屋内なので制帽は被っていないが。
二人の居る部屋の中は至って静かだった。音らしい音といえば壁際の床に備え付けられた直方体のマルチ・エア・コンディショナーから吐き出される風音と駆動音くらい。
その適温に調整された部屋には西向きの窓から傾いた日の光が長く差し込み、それなりに広いこの部屋の中央、来客用ソファの下の絨毯を静かに焼いている。
そしてある時、セルジオらの目の前――木製の大きな執務机を挟んだ先に座る灰色の髪と瞳を持つ少女が口を開いた。
「さて、いささか月並みな台詞だが……事の経緯を説明してもらおうか」
ヘリオスシティ第二公安署(通称、二番署)の署長室に彼女の声が響く。セルジオらと同じく執務制服姿の彼女は、長い睫毛のかかる瞳を少し細めて、二人にそれぞれ視線を送った。
彼女の名はネア・レディング。この部屋の主であり、第二公安署を取りまとめる署長である。
年齢は十八歳。高等学校、大学を飛び級で進学したという才媛で、弱冠十四歳にして保安庁の国家公務員採用試験に合格し、瞬く間に現在の『公安正』の地位まで駆け上がったという。ちなみに彼女がこの二番署の署長を任されたのは一年前。つまり十七のとき、すでに彼女は今の立場にあったのだ。
才あるものを年齢によって押しとどめる古い慣例はこの国ではいくらか前に撤廃されている。彼女はそうした社会情勢の助けもあって今ここに座っているというわけである。
各都市公安を総括する保安庁からも一目置かれ、将来有望な女性士官。そんな人物がセルジオらの直属の上司なのであった。
なお彼女の灰の髪と瞳は、
「ではセルジオ・マックフォート巡査、説明を」
ネアは机の上に肘を乗せて両手を組み、こちらの名を呼ぶ。
だが口を開こうとしたセルジオより先に、隣の相方が不愉快そうに言った。
「……ガキが偉そーにしてんじゃねーよ」
するとその時。ネアの右手が音もなく動いた。
机の上のペーパーナイフを素早く掴み、それを一切の躊躇なくロイに向かって投げつける。
眉間に向かってピンポイントで放たれた一撃。
だがロイはその一投を身をひねってギリギリで躱した。外れたナイフはロイの背後に抜け、放物線を描いてから、落下地点にあったソファの背もたれにざっくりと突き刺さる。
数拍の間を置いて、ロイが叫んだ。
「お、お、お前、殺す気か!」
「すまない。手が滑った」
「嘘つけっ!」
「……ペーパーナイフに大した刃はないだろう?」
「それでも尖ってりゃ刺さるだろーがっ!」
ロイは背後のソファを指さしてがなる。
「うるさい馬鹿犬。
「誰がやるか! 大体、俺の
「やめろ。ロイ」
放っておけば比喩なしで噛みつきそうな相方の様子を見て、セルジオが声だけで制する。
「手ぇ出してきたのは向こうだぞ!」
「先に無礼を働いたのはお前だ」
ロイは反論しようとしたのか口を数回開け閉めする。が、さすがに不毛と悟ったようで、そのまま何も言わずに口を閉ざした。
……こちらの立場が悪い時くらい、大人しくして欲しいものだ。
セルジオはネアに向き直る。
「レディング署長。失礼致しました」
「別に構わない。万年反抗期の子供みたいなものだからな。ソレは」
「……恩情、感謝します」
そこでネアは改めて問うた。
「では、経緯を聞こうか」
言いつつ、彼女は机の上にあった一束の書類を手にする。それを見届けてから、セルジオは口を開いた。
「本日午前八時四十五分。平素と同様の手続きで末端使用者捜査の情報が我々に回ってきました。協力者からの情報提供付きのもので、私とパートナーのロイ・ブラウンは即日捜査を開始。同日午前十時三十分頃、情報にあった三人の男女グループを市内で特定しました」
「ふむ」
ネアは手にした書類――先ほどセルジオが提出した報告書である――に視線を送りつつ、相槌を入れる。
「その後、彼らの入ったアパート近くで張り込んでいた際、ブラウン巡査がアパート四階付近からのコレイン臭気を検知。臭気を辿った結果彼らの入った部屋と一致したため突入し、そこにいた男女計三人を薬物所持法違反と違法使用の現行犯で逮捕した次第です」
「まぁ、そんなところだろうな」
別段顔色を変えるでもなくネアは言葉を放る。報告書が彼女の下にあるのでその反応も当然だった。一通り目を通しているだろうし、それを読めば今回の経緯は把握できる。
なぜ呼び出したかといえば、顔を合わせたうえで当人たちの口から話を聞きたかった。そんなところなのだろう。
するとネアはさらに続けた。
「捜査手順に問題はない。通常の麻薬取締官の捜査では確実を期すために略式での強制捜査権はあまり使われないが、諸君らの場合はその確実性と速さが強みだ。そして実際に彼らはコレインを加熱吸引していた。略式捜査に対しては、明日にでも捜査の合憲性を示す書類が司法局から届くだろう」
普段よりいくらか儀礼的な雰囲気で、彼女は言葉を紡ぐ。
「ちなみに回収された金属製のピルケースは時限式の特殊なものだったらしい。あまり聞いたことはないが……今組対課が三人から詳しい事情を聴いているし、いずれ出所は判明するだろう。それとブラウン巡査の実力行使については今回はセーフとしよう。それどころじゃないしな」
とそこでネアは持っていた書類を机に放ると、執務椅子の背もたれに深く体を預けた。
「……残念なものだな。あの三人組が『組対課が意図的に泳がせていた末端使用者』でなければ、よくやったと労ってやれたのにな」
「…………」
そうなのだ。
先ほどの捜査、普段回される末端使用者の摘発だと思っていたのだが、どうも手違いでこの二番署の組織犯罪対策課が捜査のためにあえて泳がせていた人物を、自分たちは逮捕してしまったらしい。
なお組織犯罪対策課――通称、
つまり今回セルジオらは、そんなライバルの業務妨害をしてしまったことになる。
通常、通報のあった末端使用者の情報は、セルジオら自身が組対課と麻薬取締課の捜査資料を参照して捜査に影響がないことを確認する。そして問題ない者だけを独自に逮捕するのだが……今回はそこで確認ミスが生じてしまったのである。
「この件に関して組対課のボードマン公安部長が大層お怒りらしい。深刻な捜査妨害にあたるとして、お前たち二人の処分を求めてきた」
「……あのオッサンか」
ロイが露骨に嫌そうな顔で唾棄する。
「聞いたところ大きく捜査に影響が出る人物ではなさそうだったが、お咎めなしとはいかないだろうな。組対課と麻薬取締課の溝を広げるわけにもいかない」
「…………」
「それに、そもそもボードマンは『雑草抜き』にかなり否定的だったからな。今回の抗議の根底には、お前たちに末端使用者を逮捕させるシステム自体への批判もあるかもしれない」
「俺らに普通の仕事やらせねぇのは国だろうが。文句ならそこに言えよ」
「……彼は知らないからな。無理もない」
とネアはそこで、セルジオを見た。
「セルジオ。今回の件について、何か弁明はあるか?」
「……いえ。見落とした可能性は否定できません。完璧に自分たちのミスです」
「ロイはどうだ? ダブルチェックの体制になっていたはずだ。確認時に問題はなかったか?」
「……おう。ちゃんと見たぞ」
変な間を作ったうえに噛み合わない受け答え。セルジオは内心ため息をついた。
するとネアはじとっとロイを見つめて、
「お前、本当に確認したのか?」
「もちろん今日はやったぞ。嘘じゃねぇ」
もう喋るなとセルジオは思ったが……どうしようもなかった。
「今日『は』だと!? まさか普段やってないのか!」
「え……あ! いや――」
「セルジオ! どうなんだ!?」
「……申し訳ありません。最近は書類仕事となると姿をくらますので、探す手間を考えますと……ただ今日は確認作業はさせました。本人がきちんとデータ照合したかと言われると、わかりませんが」
それを聞きながら、ネアは若干俯きがちになって何かを堪える。
だが続いたロイの一言が最後だった。
「きっちり一、二分はかけて確認したぞ」
「そんな時間でまともに確認できるわけあるかぁっ! この馬鹿犬っ!」
言葉尻、ネアが投げた報告書の束がロイの顔にべしっと張り付いた。
「……はぁ……」
怒りが一段落して、ネアはこめかみを抑えて呻く。
「ぼーりょく上司だって労務省にチクってやるー」
なぜか勝ち誇ったような笑みでロイはネアを見下ろす。
その言葉に一瞬目じりがひくついたネアだったが、彼女は軽く咳払いだけして、告げた。
「……今回の件だが、捜査妨害となると最低でも一、二週間は自宅謹慎になる。ボードマンには私からもう一度話をしてみるが……あまり期待しないほうがいいだろうな」
「……はい。本当に申し訳ありません」
だがネアは気分を切り替えるように短く息を吐き出すと、表情を普段のものに戻した。
「まぁ、反省は必要だがあまり深く悩みすぎないようにな。大なり小なり、ミスは誰にでもあるものだ。それにお前たち二人だけに任せていたのも問題だった。その点に関しては私の責任だ。少なくともこれからは私を直に通してから、捜査にあたってもらうようにするよ」
「しかし、署長もお忙しい身では……」
するとネアは、まるで出来の悪い教え子にそうするように苦笑した。
「部下の面倒くらい見るさ。それとも嫌か?」
「いえ……」
その反応に、ネアは軽く首肯して、
「ではこちらの要件は以上だ。質問等なければ、退室してもらって構わない」
「はい、失礼します」
だが背後の扉に向かって踵を返そうとしたとき、セルジオはロイの様子がおかしいことに気が付いた。ロイはその場で軽く首を巡らせて、なぜか周囲の臭いを嗅いでいる。
「?」
ネアもそれに気づいたようだったが、二人が彼に尋ねる前に、ネアの机にあるプッシュボタン式の固定電話が鳴った。
「すまない」
ロイの様子を怪訝そうにしつつも、ネアは電話の受話器を取る。その間に、セルジオはロイに向かって何か臭うのか聞こうとしたが――。
『緊急です! つい先ほど逮捕された三人のうち一人に、デビルドロップのものと思しき症状が出ています!』
「……なに?」
電話の声は切羽詰まっているうえに大声だった。静かな部屋であったため、セルジオらにまで声が漏れ聞こえる。声に聞き覚えはないが、おそらく一般の公安官の一人だろう。ネアに直接電話してきているところを鑑みると、それなりの階級の者なのだろうが。
『現在、西館の第三取調室に隔離していますが、既にステージ
「……特殊室は使わなかったのか」
『今回はDアディクターの可能性は低いだろうとおやっ――ボードマンさんが仰って……』
その言葉にネアは一瞬眉をひそめたが、
「麻薬取締官は向かっているんだろうな?」
『はい……ですがウェーバー巡査部長含め、今はほとんどが出払っているようでして、現在麻薬取締課には二人しか……』
「ここにもう二人いる。向かわせるからそれまで耐えろ。麻薬取締官以外の公安官は取調室周囲と公安署の出入り口を封鎖。最低限、武装も許可する。対象の容疑者を絶対に街へは出すな。事務員は東館に避難。救護班は南館一階にて待機だ」
『了解致しました』
そこで電話は切れる。すると即座にネアが言った。
「聞こえていたな? 出動だ。戦闘制服を着用し、直ちに第三取調室に向かえ。対象は
「了解」
「りょーかい」
そう言ってセルジオとロイの二人は、署長室から飛び出していく。
それから間もなく、警報と避難を促す館内放送が二番署内に響き渡った。
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